浅草名所七福神巡り2 & 下谷七福神巡り 

 2006年と2013年3月にかけて「浅草名所七福神巡り」9社の内5社を巡りましたが、今回は残り4社を巡ります。
 浅草名所七福神は、台東区・荒川区にかけて所在する範囲が広く、又日光街道巡りの時にたまたま巡り合せたという
 ことから本腰を入れて歩くということがありませんでした。
 このルートには、「白髭富士塚」「下谷坂本富士塚」に加えて、「江戸六地蔵の第二番 銅造地蔵菩薩坐像」などが
 あり、見所満載です。
 今回は、充分計画を練り南千住から根岸 (鶯谷駅) にかけての巡回マップを作成しました。
 調べてみると「下谷七福神巡り」のルートが接近していて、体力に余裕があればと 第2プランとして用意しました。


 南千住駅は、汐入公園でのテニスを楽しむ時によく利用しています。
 何時もは北口を利用していますので、南口に出るのは初めてです。
 9時30分南千住駅南口からのスタートです。改札を出て直ぐに高架橋を渡ります。


 
        南千住駅 南口              高架橋からの風景           橋を下りると吉野通り

 橋を渡り吉野通り (都道464号) を南へ進むと泪橋交差点に出ます。
 交差点を左折し、明治通り (国道306号) を隅田川方向に東へと進みます。
 白鬚橋西詰交差点を左折し、隅田川土手沿いの都道314号線を北へ進みます。


 
          泪橋交差点            明治通り 白鬚橋西詰交差点        隅田川土手沿いの都道314号


 東京ガスの巨大タンクを背に、二基の大鳥居が見えてきます。
 南千住駅南口から1,200mほどで、浅草名所七福神の寿老神を祀る「石浜神社」に着きました。
 社殿に続く「明神型一之鳥居・明神型二之鳥居」は、いずれも荒川区登録文化財です。
 境内には、荒川区指定文化財の「日本大工祖神の碑」がありました。


 
    神明型第一鳥居 安永八年(1780)造立         参道 右側の石灯篭群           参道 左側の石灯篭群 
    神明型第二鳥居 寛延二年(1749)造立
 
      鳥居脇 宋風獅子型狛犬              手水舎                  境内
 
       西側の明神型鳥居             東側の明神型鳥居             日本大工祖神の石碑
 
      拝殿前 一対の石灯篭            拝殿前 和風獅子型狛犬              拝殿
 
       拝殿の左側に力石群             同 左側より                同 右側より

 拝殿の右側には、全山ボク石で造られた「白髭富士塚」があります。
 富士山から運んだであろう溶岩が積み上げられ、約4mの頂上には大きな石碑が配置されています。
 塚の前には三本の鳥居があり、「冨士山遙拝所」「招来稲荷神社」「白狐社」と並んで配置されています。
 富士塚としては、浅間神社は祀っていないようで、三猿の彫られた庚申塔が二基祀られていました。
 全山がボク石で崩れる危険があり、道はなく登拝はできないようです。
 富士塚の前に並ぶ「庚申塔」は、荒川区登録文化財です。


 
        拝殿の右側               神輿獅子の石造
 
     招来稲荷神社 神明型鳥居             同 拝殿
 
     白狐社 朱の明神型鳥居             同 白狐神の祠
 
      富士遙拝所 神明型鳥居             同 富士塚              同 富士塚の石碑群
 
         同 左側の庚申檮塔             同 富士遙拝所の石柱             同 左側の庚申檮塔   
      貞享三年(1686) 造立            宝暦八年(1758) 造立           貞享三年(1686) 造立


 都道314号線を南へ戻り、白鬚橋西詰交差点をを渡ると直ぐに七福神の赤い幟が見えてきます。

 
      都道314号の先に赤い幟が


 石浜神社から300m余りで、浅草名所七福神の布袋尊を祀る「砂尾山橋場寺不動院」に着きました。
 関東三十六不動尊霊場の第二十三番札所にもなっている由緒ある寺院ですが、入口は目立たず幟がなければ通りすぎ
 てしまいそうになります。
 この不動尊は、明治の大火・関東大震災・第2次大戦の戦災にも、周辺を災禍から守った「火伏せの橋場不動尊」と
 して、多くの信仰を集めています。


 
          寺院門碑                 本堂                  同 布袋尊
 
          地蔵堂                同 子育て地蔵像               百度石
     

 少し先の橋場二丁目交差点を右折し、アサヒ会通りを西へ進みます。 

 
       橋場二丁目交差点              アサヒ会通り   


 橋場不動尊から300mほど進むと、通りからは民家に見えるが横に廻ってみると大きな地蔵像が目立つ「松吟寺
 がありました。
 高さ3m余の並外れて大きいことから「お化け地蔵」と名づけられたそうです。


 
        民家風の松吟寺               常夜灯                境内の石造群
                           寛政二年(1790)造立     
 
          供養塔             三界萬霊之塔 線彫りの地蔵像            お化け地蔵      
                                                  享保六年(1721)造立
  

 橋場・清川と云うこの辺りは、路上で酒を飲んでいるor眠り込んでいるそういうドヤ街山谷の光景が目に付きます。
 南千住駅から続く吉野通り (都道464号) を渡り、更に西へ進みます。


 
       吉野通り 先は南千住   


 左折して、「洞雲山東禅寺」に立ち寄ります。
 狭い境内の鉄筋コンクリート製「本堂」の前に、東京都指定有形文化財で江戸六地蔵の第二番「銅造地蔵菩薩坐像
 が迎えてくれます。 元は
旧奥州街道の入り口にあったが、昭和三年の都市計画により 現在地に移転したとのこと
 です。 門のところからも、高さ2.71mある像を見上げる感じになり 凄い威圧感を受けます。

 境内の左側には、銀座木村屋總本店の創業者(あんぱんの発明者)の「木村安兵衛とブン夫婦の銅像」があります。

 
    寺院門と本堂前の地蔵菩薩坐像            同 拡大画像           都重宝 銅造地蔵菩薩坐像の碑
        宝永七年(1710) 造立
 
  境内に銀座木村屋總本店創業者夫婦の銅像          同 拡大画像             墓地入口に水子地蔵尊像



 吉野大門交差点の角昭和シェルの前に、遊郭吉原への旧入口「見返り柳」がありました。


 
        吉野大門交差点                 見返り柳               見返り柳の石碑


 千束付近は江戸時代に吉原遊廓があったところで、その名残としてソープランド・ホテルが軒を並べていてその規模
 と店舗数は日本一とのこと。


 
         吉原大門               千束四丁目交差点
 

 松吟寺から900mほどで、浅草名所七福神の弁財天を祀る「吉原神社」に着きました。

 
         吉原神社                明神型鳥居                 手水舎
 
        宋風獅子型狛犬                拝殿                二体の邪鬼像 

 吉原神社直ぐそばの花園公園に、弁財天本宮「吉原弁財天奥宮」がありました。
 ここには、 関東大震災で溺死した人々の供養のために「吉原観音」など多くの鎮魂碑が祀られています。


 
          吉原弁財天                  境内                  蛇塚 
 
         地蔵菩薩像                吉原観音像               同 拡大画像
 
          地蔵菩薩像              愛護地蔵尊の石碑            回忌毎の供養塔
 
      吉原弁財天 明神型鳥居              同 名碑              新吉原花園池(弁天池)跡  
        
          拝殿                 裸弁財天像                 同 拡大画像


 国際通り (都道462号) に出ると、通りに面して酉の市の奉納提灯が賑々しく飾られていました。

 
          国際通り               酉の市の奉納提灯 


 吉原神社から200m余り、浅草名所七福神の寿老人を祀る「鷲神社」に着きました。
 酉の市起源発祥の神社は、11月3日の一之酉の飾り付け準備で業者の出入りが激しく境内に入れる状態ではありま
 せん。そう言う訳で、今回は境内の散策は遠慮させていただきました。


 
          鷲神社                 神社名碑              朱塗りの明神型鳥居


 通りをはさんで、明治初年の神仏分離令により境内を含め鷲神社とに分割された「鷲在山長国寺」がありました。
 ここも、浅草酉の寺として準備に余念がありません。
 横通りも、暮れの風物詩酉の市の熊手の縁日の準備が始まっていました。


 
          山門                   本殿                横丁も縁日の準備


 台東病院裏の道に沿って北へ進むと、下谷七福神の不動尊を祀る「龍光山三高寺正寶院」があります。
 長国寺から250mほどの距離です。
 龍が光を放ち空へ昇った吉夢に由来する「飛不動」の通称があり、航空安全の守護神として空の安全を祈願する
 参詣者が多いとのことです。
 その割には、幟がないと見落としがちな狭い間口でした。
 ここからは、「下谷七福神巡り」になります。
 

 
         寺院門碑                  境内                  本堂
 
         不動堂                二体の羅漢像               一対の仁王像
 
        如意輪観音像                 手水鉢                六地蔵像
        正徳三年(1713)造立
 
       お百度参りカウンター    ---------------------------------- 参道の石仏 ---------------------------------
 
 ----------------------------------------------------- 参道の石仏 ------------------------------------------------------
 
 ---------------------------------- 参道の石仏 --------------------------------    関東不動霊場題二十四番の木碑


 飛不動を北へ進むと、飛不動前交差点の左側に「樋口一葉旧居跡」の石碑がありました。

 
      樋口一葉旧居跡の石碑 


 更に北へ 飛不動から400mほど進んだ東泉小学校の前に、下谷七福神の布袋尊を祀る「正覚山得生院寿永寺
 があります。
 寺院門が閉じられていましたので、通用門から覗かせていただきました。

 
        東泉小学校
 
     寺院門は閉じられています             境内に布袋尊像                同 拡大画像


 南西へ 国際通り(都道462号線)を渡ると、樋口一葉「たけくらべ」ゆかりの案内板が見えます。
 
 
         国際通り             「たけくらべ」ゆかりの案内板


 寿永寺から500mほど進み、「たけくらべ」の祭礼の舞台になった「千束稲荷神社」に着きました。

 
         神社門碑               一対のお稲荷さま              手水舎
 
          拝殿                樋口一葉の胸像               石灯篭



 国際通りを南に進み、西徳寺前交差点まで進みます。
 斜め前方には、「長国寺」と「鷲神社」が見えます。

 
            西徳寺前交差点        国際通りから見た長国寺と鷲神社


 千束稲荷神社から400mほどの交差点の前に、「光照山西徳寺」の山門がありました。
 門前には、13代中村勘三郎墓の石碑があり、本殿横には、初代中村吉右衛門寄贈の天水桶がありました。
 西徳寺は、中村屋=波野家の菩提寺ということでした。


 
          山門              13代中村勘三郎墓の名碑              本堂


 西徳寺の角を西へ向かうと、300m先の道路沿いに「弁天院公園」がありました。
 公園の奥に、不忍池弁天堂の妹弁天 下谷七福神の弁財天を祀る「朝日山弁天院」の社殿が見えます。
 お寺と言うよりは、公園の中にお堂があるという感じで 公園と一体化した地域の憩いの場的な印象でした。

 朝日弁天が祀られた弁天池は、かつては約8,000uもの広さだったとのことですが、今は 小さくて浅い池が残る
 のみで、かっての面影は全く残っていないようです。 

 
        公園の奥に社殿                社殿              同 堂内 弁財天像(転写)
 
        社殿前 和風獅子型狛犬             手水舎
 
       社殿横 聖観音菩薩像             同 拡大画像                 境内
 
         神明型鳥居               石橋と弁天池             東側 寺院名碑と参道


 朝日山弁天院を南へ、昭和通り=日光街道(国道4号線)の下谷三丁目交差点を渡り、西へ進みます。
 2時間半も歩き詰めでしたので、金木曽小学校付近のファミレス「ガスト」で昼食休憩をとりました。


 
       下谷三丁目交差点          昭和通り 日光街道 国道4号線         金木曽小学校前交差点


 朝日山弁天院から600mほどかかり、金木曽小学校の裏手の「石稲荷神社」に着きました。
 質素な佇まいですが、324年の歴史あるお稲荷さんです。


 
         明神型鳥居                手水舎                  拝殿


 石稲荷神社から200m余り、金木曽小学校前交差点に戻り右折すると直ぐに「三島神社」が見えました。
 作成した巡拝マップには載っていなかったので得をした気分です。
 創設時火除地だった由縁の境内社「火除稲荷社」、雷除けの井戸として信仰されている「雷井戸」がありました。


 
         神明型鳥居                 拝殿               拝殿前 和風獅子型狛犬
      明治十五年(1882)造立
 
      火除稲荷社 神明型鳥居              同 社殿              同 一対のお稲荷さま
  
          雷井戸               


 三島神社の裏手に、火除観音の「覚法山了源院」がありました。

 
         寺院門碑               火防観世音の石碑               本殿
                           明治十三年(1880)造立
 
         水子観音像                手水鉢                 三界萬霊塔     
 
        同 如意輪観音像              同 地蔵菩薩像


 了源寺から南へ200m往くと、民家の間にはさまれた地蔵堂=「金峯山全得寺」がありました。
 吉原遊客がいたずらで地蔵が動かしたことからお化け地蔵の名がついた 「化地蔵尊」が安置されていました。


 
          全得寺外観                化地蔵堂                同 化地蔵像


 全得寺を西へ300m往くと、荒川辺八十八ヶ所霊場1番札所及び根岸古寺巡り5番札所の「鐡砂山観音院世尊寺」が
 ありました。


 
          寺院門                 地蔵堂                同 子育て地蔵像
 
         六面石幢                同 拡大画像               三界萬霊塔
 
         大子堂            同 綿刻された福智六地蔵菩薩石塔            本堂
 
        二基の石造                同 供養塔                  同 石像 
 
          銅の水                同 拡大画像                三層の石塔


 世尊寺の北隣りに、江戸百四十八ヶ所巡り東方6番札所及び根岸古寺巡り4番札所の「東国山中養院西念寺」があり
 ます。
 お寺というよりビルの一角といった感じですが、不気味な顔つきの「身代わり地蔵」が祀られていました。


 
          本堂                 三界萬霊塔 
 
        身代わり地蔵堂              同 拡大画像


 西の方角を見ると突き当たりにお寺が見えます。


 
         西方にお寺が


 西念寺から100m足らずで、荒川辺八十八ヶ所霊場2番札所の「圓明山西蔵院宝福寺」です。 

 
            山門             根岸小学校発祥之地の石碑           弘法大師の石碑 
 
          本堂                 石憧を祀る小堂              同 拡大画像 


 西蔵院を南へ100mほど往くと、今回最初の鐘楼がある「長久山永称寺」がありました。

 
          山門                   鐘楼                  本堂
   
        青銅の親鸞聖人              同 拡大画像


 寺院の長い塀の途中に「ほほえみ観音」を祀る一角がありました。

 
        塀沿いに南へ               ほほえみ観音                同 拡大画像


 永称寺から100mほどで、荒川辺八十八ヶ所霊場88番札所及び根岸古寺巡り番札所の「補陀洛山千手院」に着きま
 した。


 
         寺院門                  寺院名碑                宝篋印塔
 
     地蔵菩薩像の日本回国供養塔            同 拡大画像              九層の石塔
 
          六面石幢                同 拡大画像                本堂
 
          五智堂                 如意輪観音像               三層の石塔
 

 東へ入谷方向へ進みます。根岸三丁目交差点を渡り直ぐ右手に神社名碑が見えました。

 
       根岸三丁目交差点を          通りに小野照崎神社の名碑


 千手院から170mほど東南に進み、小野篁公・菅原道真公をお祀りする「小野照崎神社」に着きました。

 
         明神型鳥居               る組の石碑                百度石
 
  境内社 稲荷神社と織姫神社 明神型鳥居      同 お稲荷さま (左のは台座のみ)           同 小社
 
          力石                   拝殿              拝殿前 和風獅子型狛犬
 
       境内の一角に石造群          日本三庚申/庚申塚の石碑          右側 青面金剛の庚申塔
 
       同 不動明王二童子像            同 大日如来像               同 大日如来像
 
        同 庚申供養塔             同 青面金剛像の庚申塔
       延寶四年(1676)造立   
 
        左側 六面石幢               庚申供養塔
       延寶八年(1680)造立           延寶三年(1675)造立 
 
  境内社 御嶽神社と三峯神社 神名型鳥居          同 拝殿            同 お稲荷さま (左のは台座のみ) 
 
         手水舎                 和風獅子型狛犬             南側 明神型鳥居

 境内には、江戸時代に本物の溶岩を運んで作られた都内でも珍しい「下谷坂本富士塚」があります。
 富士山に合わせたお山開きにしか開山されないとのことで、今回は外観だけを覗き見させて頂きました。
 この塚は、高さは約5m、直径約16mで富士の溶岩で覆われています。
 一部が欠損していますが原型がよく保存されており、国の重要有形民俗文化財に指定されているとのこと。 


 

 
   富士塚入り口 (閉扉されていました)          門前左右の神猿像               富士塚の外観
 
         一合目石                  二合目石                  三合目石
 
         四合目石                  五合目石                 六合目石
 
         七合目石                  八合目石                  九合目石
 
        八合目辺り 役行者像               同 拡大画像
 
       九合目辺り 地蔵像の祠              同 拡大画像                  頂上 石碑


 小野照崎神社の直ぐ南に、下谷七福神の毘沙門天を祀る「日照山法昌寺」があります。
 元ボクシング選手で喜劇役者のたこ八郎の菩提寺であったことから、「たこ八郎地蔵」が祀られています。


 
          山門               青銅の日蓮上人像               同 拡大画像
 
         毘沙門天堂               同 毘沙門天像               傍らの宝生如来像
      
          本堂               本堂横にたこ八郎地蔵像            同 拡大画像

 更に、山門左脇外側にお堂があり「救世観世音菩薩像」が祀っられています。
 この観世音菩薩像は、木造で総高180cmもの大きさです。


 
          観音堂               同 救世観世音菩薩像

 法昌寺の前には、「地蔵菩薩像」が祀られています。

 
         地蔵菩薩像                同 拡大画像


 法昌寺を西へ130m 根岸柳通りに面して、下谷七福神の三面大黒天を祀る「紫雲山英信寺」があります。
 本殿の左側に「大黒堂」があり、弘法大師の作と伝えられる「三面大黒天像」が祀られています。 三面大黒天は、
 右に弁財天・左に毘沙門天の顔をもち、後部は宝珠形光背を付けている珍しい木像です。

 
         寺院名碑                 山門                    本堂
 
         大黒堂              同 堂内 三面大黒天像 (転写)



 英信寺を東に戻り130mほどで、「広沢山正洞院」がありました。


 
          山門                    瓦                    本堂


 更に南下し 言問通り (都道319号線) に出ました。
 昭和通りと交差する横断歩道の東側には、快晴の空に東京スカイツリーが聳えていました。


 
   言問通りから東京スカイツリーを臨む


 正洞院からm150ほどで、下谷七福神の福禄寿を祀る「仏立山真源寺」に着きました。
 と云うよりも、恐れ入谷の鬼子母神…で知られる「入谷鬼子母神」です。
 下谷七福神巡りのおばさん達に道を尋ねられて、一緒に福禄寿を鑑賞しました。


 
          本堂                   お堂                 同 福禄寿像
 
          百度石           日蓮大菩薩の供養塔と畳針供養塔
 
        日朝聖人のお堂               同 拡大画像               水子地蔵像


 言問通りを西へ、JR山手線鶯谷駅方向へと向かいます。
 通りに神社名碑がありここを左折し駅に向かいますが、この道の両サイドにはホテルが乱立して環境に悪い。


 
         言問通り              根岸一丁目交差点駅             通りに神社名碑が


 入谷鬼子母神から500mほどで、下谷七福神の寿老人を祀る「元三島神社」に着きました。
 ラブホテルと飲食店が立ち並ぶ商店街の中に鎮座していますが、境内に入ると一時喧騒から離れられます。
 社殿はコンクリートの人口地盤の上に建てられ高台になっており、一階部分には飲食店が入って居ます。


 
         神社門碑                神明型一之鳥居             宋風獅子型狛犬
 
         手水舎                 拝殿への階段              神明型二之鳥居
 
          拝殿               拝殿前 和風獅子型狛犬          拝殿から一之鳥居を臨む


 この道とは別に、駅に直接向かう大きな通りがあり安心しました。
 鶯谷駅北口に着いたのは、15時20分でした。


 
          鶯谷駅北口



 橋場・千束・入谷・下谷・根岸地区にかけ、7Km余り 神社9社・寺院17社を巡りました。
 「浅草名所七福神」の残り4社(「石浜神社」「橋場不動尊」「吉原神社」「鷲神社」)を巡り、余力があったので
 「恵比寿の飛不動尊」「毘沙門天の法昌寺」「福禄寿の入谷鬼子母神」「寿老人の元三島神社」「大黒天の英信寺」
 「弁財天の弁天院」「布袋の寿永寺」の「下谷七福神」も巡り終えました。
 もう一つの目的、「白髭富士塚」「下谷坂本富士塚」また「江戸六地蔵の第二番 銅造地蔵菩薩坐像」も拝観でき
 充実した一日でした。