江戸五色不動巡り (1)

 不動明王フェチの私としては、「江戸五色不動」は、非常に興味深い拝観対象です。
 目青・目黄・目赤・目白・目黒の五色は、五方角(東・西・南・北・中央)を色で示し、その位置は江戸城(青-数学院)を
 中心として、水戸街道(黄-最勝寺)、日光街道(黄-永久寺)、中山道(赤-南谷寺)、甲州街道(白-金乗院)
 、東海道(黒-滝泉寺)といった江戸府内を中心とした五街道沿いにあることから、徳川の時代に江戸城を守るため
 に置かれたと云われています。
 この五色不動の位置を線で結んだ内側を、江戸の内府と呼んでいたようです。 

 都内とあって、いつでも行けるという気安さでついつい巡りそびれていた感があります。
 酷暑の真っ只中ですが、思い立ったが吉日ということで巡回プランを立てました。
 ・「目白不動尊 (金乗院) 」は、2005年9月旧鎌倉街道巡りの際に拝観していますので、今回はパスです。
 ・「目黄不動尊 (永久寺・最勝寺) ~ 目赤不動尊 (南谷寺) 」1日.ルート。
 ・「目黒不動尊 (滝泉寺) ~ 目青不動尊 (数学院) 」.1日ルート。

 
 「目黄不動尊 (永久寺・最勝寺) ~ 目赤不動尊 (南谷寺)」ルートの手始めとして、JR総武線平井駅に降り立ったのが
 10時でした。
 駅構内に置かれていた「駅からマップ 下町の路地に、素朴な民間信仰が残る/平井駅」なるパンフに目がいってし
 まいました。
 走行距離約6Km・所要時間1時間30分とありましたが、これで済むはずがありません。
 急遽計画を変更し、平井と三ノ輪の「目黄不動尊」巡りに専念することにしました。
 平井地区は、旧中川(西側)と荒川放水路(東側)に挟まれています。
 パンフにあった巡回マップは、この川沿いの周回ルートになっていますが、多少ルートを変更し近隣の寺院・神社も
 ルートに入れました。

 
        JR総武線平井駅南口


 平井駅の南口を東へ進むと、150mで「道了寺」にでます。
 道沿いに本堂・庫裏・道光殿とならんでいて、寺院の風情ではありませんでした。

 
          道光殿                   本堂               本堂脇の子安延命地蔵尊像


 総武線の踏切を渡り北へ650mほど進むと、関東三聖天(埼玉県妻沼聖天・江戸浅草待乳山聖天)の一つとして知ら
 れる 平井聖天「明雅山明王院燈明寺」があります。
 道路に面た立派な総門の前には、仁王像が睨みを利かせています
 総門を潜ると、正面約40段の石段の高台に総ヒノキ造りの「聖天堂」が聳え立ちます。
 右手の、重層式三ツ屋根造りの本堂(金堂)も壮観でした。

 
          総門                 門前 阿吽の仁王像
 
       弘法大師像と供養塔             同 拡大画像 
 
           五基の石仏           同 (第五十一番と陰刻ある) 地蔵尊像     同 (第六十五番と陰刻ある) 地蔵尊像 
 
         同 地蔵尊像                同 墓如意輪観音像               同 地蔵尊像    
      宝永三年(1706) 造立                                宝永六年(1709) 造立       
 
           聖天堂全景                聖天堂               聖天堂階段左手の 水舎 
 
       水舎内の地蔵尊像              同 拡大画像                本堂 (金堂)
 
          水子地蔵尊像                 供養塔                    鐘楼
 
          百度石                  地蔵尊像                   聖観音像
 
         二基の板碑               如意輪観音像
      : 元文元年(1736) 造立            明和元年(1764) 造立


 燈明寺の西隣が「諏訪神社」です。

 
      神明型鳥居と寺院名碑                水舎
 
          拝殿               拝殿前 和風獅子型狛犬            西側の神明型鳥居

 境内には、塚の高さ1.5mの「平井の富士塚」があります。
 登山道は二つに分かれていて、一つは中腹の「小御嶽神社(石祠のみ)」、一つは頂上に通じています。

 
     (富士塚登り口) 神明型鳥居               富士塚の全景          ○番神社の石祠と小御嶽神社の石碑
 
       中腹に小御嶽神社の石祠             浅間神社の石碑            頂上に浅間神社の石祠
                                                  大正九年(1920) 造立


 諏訪神社を西へ100m進むと、「安立山妙光寺」の立派な山門にでました。
 本堂は、水害予防のため床を高くしているそうです。

 
          山門                  文字塔の寺院門碑                本殿
 
        二体の地蔵尊像


 荒川放水路により分断された中川の分流である、旧中川に架かる平井橋を渡ります。

 
         平井橋                    旧中川
 

 妙光寺より北へ400m、平井第二公園の南向かいに「北向地蔵堂」がありました。
 入口脇に東を向いた「第八十五番と陰刻がある地蔵像が納められた小堂」と、正面に北を向いた「二体の剥落が激
 しい北向地蔵尊が納められたお堂」がありました。

 
           入口の地蔵堂          同 (第八十五番と陰刻のある) 地蔵尊像 
 
         正面の地蔵堂                同 二基の地蔵尊像
 
          百度石                     供養塔


 更に100mほど東漸寺の塀に沿って北へ進むと、浅草寺の隠居寺「金林山明了院東漸寺」の寺院門にでます。
 総高91Cmある「青面金剛像の庚申塔」は道しるべになっていて、右の側面に「右/ 市川道」、左の側面には「左/
 やくし道」と陰刻がなされています。「やくし道」とは将軍の篤い信仰を受けた木下川薬師へ抜ける道、「市川道」
 とは平井の渡しから市川へ抜ける道のことで、庚申道標はこの分岐点にあったと考えられます。

 
          寺院門                中心像と六地蔵像                 本殿
                            :元文元年(1736) 造立
 
          青面金剛像の庚申塔           同 左 側面の道しるべ陰刻            水子地蔵尊像
         宝暦十二年(1762) 造立
 
        宝篋印塔と法華讀誦塔            同 拡大画像 宝篋印塔            同 拡大画像 地蔵尊像
                                                   安永九年(1780) 造立    


 更に北へ70mほど進むと、旧中川沿いに村の鎮守神「白髭神社1」があります。
 平井には旧中川に沿って2つの白髭神社がありますが、ここは上流の白髭神社です。
 細長い参道の先に本殿がありました。 本殿の左側に、墨田区登録文化財の旧二之鳥居がありました。

 
        神明型一之鳥居                   本殿 
      大正十二年(1923) 造立 
 
           宋風獅子型狛犬               旧二之鳥居 明神型鳥居
 
  末社 伏見稲荷神社・三峯神社 神明型鳥居       末社 水神社 神明型鳥居           青面金剛像の庚申塔
                           安永九年(1780) 造立            元禄四年(1672) 造立


 来た道を平井橋まで戻り、旧中川に沿って路なりに1600mほど南下すると「浅間神社」にでます。
 高さ5メートルあまりもある、江戸川区内の富士塚の中でも最も大きい「逆井の富士塚」があります。
 (「逆井の富士塚」そのものが「浅間神社」となっているようです。)
 登山道は、コンクリートの階段状になっており、左右には二十数基の富士信仰の石碑が配置されていました。

 
         神明型鳥居               登山道の石段 
 
          左側の石碑群         右側の石碑群と浅間神社の神社名碑         小御嶽神社の碑
 
            頂上に石祠              頂上からの眺め


 180mほど進むと、旧中川下流の「平井白髭神社」にでます。

 
         神明型鳥居                  水舎  
       大正元年(1912) 造立    
 
          拝殿                社殿前 宋風獅子型狛犬
 
       境内社 稲荷神社 明神型鳥居             同 お社


 更に100m先を左に折れ、100mほど進むと「慈眼山正養寺」の寺院門がありました。
 本堂は鉄筋コンクリート2階建て 洋式の設計で違和感がありました。

 
          寺院門               青銅の弘法大師像             馬頭観世音の石碑
 
          聖観音菩薩像             南無観世音菩薩像 
 
          地蔵堂          同 (第五十三番と陰刻のある) 地蔵尊像   同 (第七十六番と陰刻のある) 地蔵尊像
                                          
 
     四面仏が彫られた三層の石塔            本殿


 旧中川沿いの路を南東に進むと、京葉道路(国道14号線)に出ます。
 中川新橋交差点を右折し、西へ旧中川に架かる中川新橋を渡り江東区に入ります
 亀戸9丁目交差点を左折し、都道477号線を南へ向かい亀戸浅間通りと交差する角を左折します。

 正養寺から900m、「亀戸浅間神社」に着きました。
 亀戸浅間通りに面した立派な「明神型鳥居」をくぐると、すぐ左手に「手水舎」があり、続いて「明神型鳥居」に守られて
 2つの境内社「稲荷神社」「下浅間神社」があります。
 境内社の隣には 江東区指定有形文化財の「富士せんげん道道標」が配置されて、前面に「あさくさ/六阿みだ/亀戸天神/
 富士せんげん」と陰刻がありました。
 更に、柵に囲われた先の「笄塚」と呼ばれる小高い丘(富士塚)を拝するが如き江東区指定有形文化財の「明神型鳥居」が
 配置されています。
 その脇に、江東区指定有形文化財の「一対の石燈籠」も並べられています。
 希少な木造権現造り「社殿」は、江東区指定有形文化財になっています。
 境内東南の江東区指定有形文化財の「明神型鳥居」の脇に「六ッ目地蔵小屋」があり、江東区指定有形文化財の「7体の石仏
 と1基の供養塔」が安置されていました。六ツ目とは、旧中川水系竪川に架けられた本所六ツ目の「六の橋」に由来?。

 
       表参道 明神型鳥居               手水舎                 同 水盤
                                               寛政七年(1795)奉納
 
       境内社 明神型鳥居             同 下浅間神社               同 稲荷神社
 
         道標                  同 拡大画像              笄塚前の明神型鳥居
     享和元年(1801)造立
 
        一対の石燈籠             一対の宗風獅子型狛犬              拝殿
 
        明神型鳥居               六ッ目地蔵小屋         左から 如意輪観音供養塔・観音供養塔
                                                     安永八年(1779)造立
 
    地蔵供養塔・地蔵供養塔・地蔵供養塔  (破損仏)伝馬頭観音・法華経供養塔・青面金剛像の庚申塔
            天明二年(1782)造立       元禄十四年(1701)・元禄十年(1697)造立


 境内北側に抜けると、旧社地であった「亀戸の富士塚(笄塚)」があります。
 案内板によれば、「日本武尊・弟橘媛由来の笄塚」の上に作られたもののようです。
 案内板の横に階段がありますが、これがもともとの登山道だったようです。
 周囲は区立亀戸浅間公園として整備されており、塚の高さも低めなことから 一見富士塚らしさはありません。
 しかし塚の側面には、富士講碑や小御嶽の石碑・二体の石猿像・ボク石が多数残されているのが確認できます。
 頂上部は広く平坦に整地され、「亀戸の富士塚」と記名されたモニュメントが 富士山の方向(西南)を向いて鎮座してい
 ました。
 
 
        富士塚の説明板              登山道の石段           塚の中央部に亀戸富士塚の石碑
 
       富士塚周りの石碑            二体の石猿と富士講碑              富士講碑
 
       石段と富士講碑                富士講碑                小御嶽の石碑
 


 亀戸浅間神社を後に南下し、首都高速7号小松川線に出ます。
 旧中川に架かる新逆井橋を渡り、再び江戸川区に戻ると直ぐに神社の鳥居が見えます。

 亀戸浅間神社から400mで、首都高速7号線沿いの「小松川神社」に着きました。
 整然と区画されている地域に、きっちりと納まった神社という感じです。

 
         神明型鳥居               神社名碑
 
           手水舎                大聖歓喜天の石碑
 
          拝殿                       和風獅子型狛犬
 
        拝殿裏に石仏群               同 地蔵尊像               同 剥落した地蔵尊像
 
          同 地蔵尊像         同 三基の地蔵尊像 (真ん中の頭部が欠損)        同 青面金剛像の庚申塔 
                                                   宝永二年(1705) 造立
 
        同 青面金剛像の庚申塔            同 三基の地蔵尊像
         延享元年(1744) 造立 
 
       境内社 朱の明神型鳥居         境内社 木造の神明型鳥居              同 石祠
                                                  寛政十一年(1799) 造立


 やっと見つけた交番で「目黄不動尊」の場所を尋ねましたが、ここでも最初は分からず「最勝寺」でやっと所在が
 判明しました。
 教わった処は、都立小松川高校と接するように「善通寺」「大法寺」「成就寺」が並び、小さな寺町の雰囲気を醸し
 出していました。

 最初の寺院は、インド様式の本殿を有する「真光山明証院善通寺」です。

 
          本殿


 隣は、境内はすべて墓所という感じの「宝衆山大法寺」です。

 
         寺院門                 二基の住職墓                阿弥陀如来像
 
          本殿


 更に隣は、これも参道の両側墓所の「嘉桂山西光院成就寺」です。
 

 
         寺院門                  高みにおわす地蔵像              六地蔵像 
 
          本殿


 一番奥が、今回の目的 関東三十六不動霊場第十九番札所「牛宝山明王院最勝寺」(目黄不動尊) です。
 神輿の休憩ポイントになっているようで、威勢のいい掛け声が仁王像が納まっている詰所のような門を入って行くと
 ころでした。
 「お寺に神輿が?」と不審に思いましたが、入って直ぐ右手に「最勝稲荷社」があり納得しました。
 境内の正面には本堂、右脇に「目黄不動尊堂」があります。
 不動堂の前には大きな睡蓮鉢が並び、色々な品種の蓮が栽培されており、なかにはピンクの花を開かせているものも
 ありました。

 
        神輿がお寺に入る             仁王門詰所 (転写)            同 愛嬌のある仁王尊
 
          目黄不動尊堂               同 目黄不動尊像               本殿
 
     最上部に観音像が立つ無縁塚            同 拡大画像             馬頭観世音の石碑   
 
     境内社 最勝稲荷社 明神型鳥居            同 お社                同 お稲荷さま
 
          地蔵堂                同 青銅の観音像              同 青銅の地蔵尊像


 平井駅方向に向かう途中600mほどの処に、住宅兼用の「開宗山深妙寺」がありました。
 狭い境内に、浄行様のご聖体を自分の体に見立てて具合の悪い部分を束子で洗いながらお参りすることで御利益を
 頂戴するという「浄行菩薩像」がありました。

 
       寺院門碑と文字塔               水子観音像
 
        屋根付きの浄行菩薩像             同 拡大画像
 

 13時になりましたので、平井駅前で30分食事&休憩をとりました。

 
        JR総武線平井駅南口


 英気を養ったことろで、「駅からマップ」に沿って安養寺を目指します。
 平井駅北口のロータリーを右に折れ、800mほど北上すると「安養寺墓所」がありました。
 入口の左右に、地蔵菩薩を納めた小さなお堂がありました。

 
          墓所                 如意輪観音像               地蔵菩薩像 
 
         左側の小堂              同 堂内 地蔵菩薩像             同 堂内 地蔵菩薩像
 
         同 堂内 地蔵菩薩像           同 堂内 地蔵菩薩像
 
          右側の小堂              同 堂内 地蔵菩薩像


 墓所から100mほどで、平井弁天「清滝山安全院安養寺」にでます。
 入口の掲示を見ると、色々と地元の人との交流がありコミュティーセンターのようです。
 寺院門を入ると、山門までの参道の右手に「南葛新四国八十八ヶ所霊所の石碑」と「霊所を陰刻した地蔵菩薩を納め
 た小堂」が対で並び、左手の池の島には「平井弁天堂」があります。
 山門の前には「ぼけ除け白衣観音」がありましたので、念入りに祈願しました。
 山門を潜ると、併設の保育園が境内を占領しており、正面の本堂は鉄筋コンク リート2階構造になっています。

 
          寺院門               参道に並ぶ小堂
 
        池の島に平井弁天堂            同 神明型鳥居と社殿           青面金剛像の庚申塔
 
         剥落した愛染明王像              六十六部供養塔                同 拡大画像
 
        第八十一番霊所の石碑              小堂          同 (第八十一番と陰刻がある) 地蔵菩薩像 
 
        第七十四番霊所の石碑              小堂          同 (第七十四番と陰刻がある) 地蔵菩薩像 
 
        第八十二番霊所の石碑              小堂          同 (第八十二番と陰刻がある) 地蔵菩薩像
 
       ぼけ除け白衣観音像              無縁塔
 
         六地蔵                   同 拡大画像
 
          山門                     本殿               永久平和祈願塔と宝篋印塔   

 山門の左側には、寺院には珍しい「安養寺の富士塚」があります。
 高さ2.5m・径6mほどの富士塚ですが、江戸川区登録有形民俗文化財に指定されています。
 境内の弁天池を拡張したときに、残土を盛り上げて築いたと伝えられるお椀形の小丘で、主として丸石で覆われて
 いますが、部分的にボク石(溶岩石)も使われています。
 山裾の胎内窟には弘法大師像が安置されていました。

 
          山門左側の塚                富士塚上り口              富士塚頂上付近に鐘楼
 
        浅間神社の石祠              胎内窟に弘法大師像              同 拡大画像
      文政十三年(1830) 造立    


 安養寺をでて120mほど進むと、旧中平井村の鎮守「平井天祖神社」があります。
 一之鳥居・二之鳥居には、穂先や根元まで銅板で作られた精巧で珍しい注連縄がかけられています。
 屋根の萱葺きを銅版で覆っている拝殿は、江戸川区有形文化財に指定されている江戸時代末期の貴重な建造物です。


 
      明神型一之鳥居( 銅製の注連縄)            水舎              明神型二之鳥居 (銅製の注連縄)
 
          百度石                拝殿 (普通の注連縄)              和風獅子型狛犬
 
        水神社の石碑                香取神社の石碑


 900mほど戻り、スタートの平井駅に着いたのは14時20分でした。

 
       JR総武線平井駅北口



 JR総武線で秋葉原に出て、東京メトロ日比谷線に乗り換え三ノ輪駅を目指しました。
 しっかし、秋葉原の乗り換えは入り組んでいて難しい。

 三ノ輪駅の地上に出ると、日光街道(国道4号線)と明治通り(都道306号線)が交叉していて、一瞬方向感覚を
 失います。

 
        メトロ日比谷線三ノ輪駅         日光街道と明治通りの交差地点


 明治通りを70mほど北東へ進むと、江戸五色不動の一つ「養光山金碑院永久寺」(目黄不動尊) があります。
 目黄不動は、平井 最勝寺と2箇所紹介されていますが、古地図や一般的 (各区の教育委員会等出版書) には、「三ノ輪
 の永久寺」となっている場合が多いと感じます。
 狭い境内の左側に真新しい「目黄不動尊堂」があり、不動明王像を拝観することができました。

 
        寺院門と本堂 
 
        目黄不動尊堂              同 堂内 目黄不動像            二基の室町期の板碑
 
          石仏群                 同 右より 如意輪観音像              同 聖観音像 
 
         同 聖観音像               同 聖観音像                 同 聖観音像
 
        同 如意輪観音像               百度石


 三ノ輪駅に戻り、日光街道を北に120m進むと、吉原遊廓の近くにあり 吉原遊女約11,000人を埋葬した 別名
 投げ込み寺の「栄法山清光院浄閑寺」があります。

 
          山門                 山門横に地蔵菩薩像 
 
          本殿                 本堂前 釈迦堂             同 拡大画像 釈迦如来像
 
        吉原遊女追悼塔              同 塔頭 地蔵菩薩像
       寛政五年(1793) 造立


 平井と三ノ輪の2つの「目黄不動尊」を巡り終え、帰路につく頃には15時30分を過ぎていました。 



 当初は、「目赤不動尊 (南谷寺)」も巡拝コースに入れていましたが、36℃の極暑の中微風のみを頼りに、平井で
 予定外の数多くの寺院・神社を9Km近くも歩き回りましたので些か疲労を覚え、他日巡り直したいと思います。
 「目黄不動尊」繋がりで、三ノ輪の「永久寺」には無理を押して巡拝いたしました。また、欲を出して「亀戸の
 富士塚」も廻ってしまいました。
 熱中症にならぬよう準備は怠らなかったつもりですが、石仏巡りは涼しい時期に限ります。 大いなる反省です。



 江戸五色不動尊
 目白不動尊 金乗院  目黄不動尊 永久寺  目黒不動尊 滝泉寺
 目青不動尊 数学院  目赤不動尊 南谷寺