東吾野 寺院巡り |
いよいよ最後の「武蔵野三十三観音」巡りとなりました。 「第26番聖天院〜第31番法光寺」までは高麗川に沿っており、今回巡る「第28番瀧泉寺〜第30番福徳寺」は秩父 街道(国道299号線)沿いに立地する分かり易い巡拝ルートです。 高麗駅を過ぎるとがらりと雰囲気が変わり、奥武蔵野の渓谷と山並みに入っていきます。 西武池袋線東吾野駅に着いたのは、10時20分。 降りたのは私一人でしたが、駅長さんが出迎えてくれました。 今までの西武線駅とは雰囲気ががらりと変わり、四方の山並みの緑が目に優しいのどかな風景です。 ![]() 東吾野駅 駅前を流れる高麗川に架かる東吾野橋を渡ると、交通量の激しい秩父街道 (国道299号線) にでます。 国道を西へ進み、酒店を右折して虎秀川に沿って北上します。 ![]() ![]() 東吾野橋 東吾野橋からの高麗川 ![]() ![]() 秩父街道 虎秀川 東吾野駅より700mあまりで、武蔵野三十三観音の第30番札所「楊秀山福徳寺」です。 山間にひっそりと建つ無住の寺院ですが、参道の左手には 鎌倉時代中期の建物と見られている 県内で最も古い木造 建物「阿弥陀堂」があります。 武蔵野観音霊場では唯一の国指定重要文化財の建築物である「阿弥陀堂」は、銅板 葺きの屋根の勾配が美しく間口・奥行きとも3間の板張り縁付き造りで、前面には精巧な 'しとみ戸’(格子の裏に板 を張った風雨をさえぎる戸)が据えられています。 参道の入り口の右側には、関東大震災の記念碑があり「大正12年9月1日午前11時」と陰刻されていました。 本堂の横には、奥武蔵の中でも特に美しい山村の集落ユガテへの古道飛脚道の案内標識がありました。 ![]() ![]() 参道 大地震記念碑 ![]() ![]() 阿弥陀堂 六地蔵を祀る小舎 ![]() ![]() ![]() 同 左の二地蔵像 同 中の二地蔵像 同 右の二地蔵像 ![]() ![]() ![]() 本堂 本堂前の石灯籠 飛脚道ユガテの案内標識 ![]() ![]() ![]() 阿弥陀堂横の二体の地蔵像 同 左の地蔵菩薩像 同 右の地蔵菩薩像 ![]() 阿弥陀堂横の石仏群 ホタルの生息する清流虎谷川を鑑賞しつつ南へ戻り、秩父街道 (国道299号線) を更に西へと進みます。 ![]() 秩父街道 福徳寺から1,100m、国道に面した福徳寺の御納経所「吉祥山興徳寺」に着きました。 静寂な山間にマッチした鄙びた山門の右側には、「六地蔵石憧」が配置されていました。 ![]() ![]() ![]() 寺院名碑と山門 山門前 石灯籠 山門左側 小堂 正徳二年(1839) 造立 ![]() ![]() 山門右側 六地蔵石憧 拡大画像 天保十年(1839) 造立 寄棟造りの本堂は、白亜の土蔵に唐風の向拝が付いた珍しい形です。 境内に配置された薬師堂・宝蔵なども、全てが土蔵のような耐火建築造りでした。 ![]() ![]() 地蔵堂 薬師堂 ![]() ![]() 水鉢 宝蔵 秩父街道 (国道299号線) を東へと戻り、東吾野駅を通過します。 ![]() ![]() 心が和む縁石の花 神社への裏階段 興徳寺から1,200m、やがてそれらしき石段が見えてきましたが やり過ごしカーブを廻ると、村社「吾那神社」の 神社名碑と鳥居が現れました。 長い石段を上りきると、幽玄な信仰の世界が広がります。 ![]() 神社名碑と境内への石段 ![]() ![]() ![]() 神明型鳥居 鳥居前の石灯籠 鳥居後ろの石灯籠 ![]() ![]() ![]() 石段の上 和風獅子型狛犬 水舎 水舎横の石灯籠 明治三十八年(1905) 造立 ![]() ![]() ![]() 拝殿前 宗風獅子型狛犬 拝殿 本殿−拝殿 ![]() ![]() ![]() 境内社 同 社殿 同 お稲荷様 東吾野駅と武蔵横手駅の中ほどに、巨岩の上に祀られた鳥居と小祠が見えました。 この辺りから、秩父街道の旧道に入ります。 国道とは打って変わって、渓流のせせらぎとうぐいすの音色が響き渡る静寂さでした。 ![]() ![]() ![]() 秩父街道沿いの高麗川 巨岩の上に鳥居が 拡大画像 ![]() 側道 旧道が終わり再び秩父街道に出た処に、武蔵野三十三所観音霊場第29番札所「清流山長念寺」の石垣が見えました。 吾那神社からは1,600m、騒音と静寂の両極を味わいながらのウォーキングでした。 寺院を示す何の表示もなく不安と共に石段を上ると、寺院門がありホッとしました。 奥武蔵の紫陽花寺と云われるほど、細い参道の両側には赤白の紫陽花が咲き誇らんとしてました。 参道の正面には土蔵造りの「観音堂」があり、運慶作とされる県指定文化財の「聖観音坐像 (秘仏)」が安置されてい ます。 ![]() ![]() ![]() 石段 寺院門 紫陽花に挟まれた参道 ![]() ![]() 観音堂 同 聖観音像 ![]() ![]() ![]() 宝篋印塔 宝篋印塔の前に地蔵菩薩像 観音堂脇に5基の石造物 ![]() ![]() 六地蔵石憧 拡大画像 天明六年(1786) 造立 ![]() ![]() ![]() 薬師如来像 阿弥陀如来像 二基の正観世音の石塔 安永二年(1773) 造立 観音堂の後ろには、「本堂」と宝形造りで楼閣風の「鐘楼」があります。 ![]() ![]() ![]() 本堂 水舎 鐘楼 ![]() ![]() 水子地蔵群 同 延命地蔵像 ![]() ![]() 赤い橋を渡ると二つの小堂 四層(?)の石塔 白子橋を渡り、再び旧道を歩きます。 暫らく進むと秩父街道に戻りますが、西武鉄道の線路沿いに西武池袋線武蔵横手駅が見えてきます。 ![]() ![]() ![]() 白子橋 高麗川の鉄橋を走る西武鉄道 武蔵横手駅 武蔵横手駅を通過し即に側道に入りますが、やがて「武幡横手神社」の鳥居が見えてきます。 長念寺からは1,600mのウォーキングでした。 ![]() ![]() ![]() 神社名碑と神明型鳥居 拝殿前 和風獅子型狛犬 拝殿前 石灯籠 ![]() ![]() ![]() 拝殿 本殿-幣殿-拝殿 本殿横 境内社 ![]() ![]() 水舎 山灯篭 800mほどの旧道を進むうちに、秩父街道にでます。 やがて、長い石垣があらわれてきました。 ![]() ![]() 旧道沿いの高麗川 寺院の石垣 武幡横手神社から500mほどで、武蔵野三十三所観音霊場第28番札所「寶雲山瀧泉寺」に到着です。 境内に入ると、パーッと山裾の雛壇状に並ぶ墓地のパノラマが広がります。 本堂の横にお堂があり、木造の地蔵菩薩像を中心に「十王像」が安置されていました。 ![]() ![]() ![]() 寺院名碑 鐘楼 六地蔵像 ![]() ![]() ![]() 延命地蔵菩薩像 不動堂 同 不動明王像 ![]() ![]() 観音堂 同 堂内 11体の木造像 ![]() ![]() ![]() 同 左の閻魔五王像 同 中央の地蔵菩薩像 同 右の閻魔五王像 ![]() ![]() 本堂 青銅の弘法大師像 ![]() ![]() 水鉢 トイレの前のお掃除童子像 秩父街道の周辺はさして見るべきものもなく単調なウォーキングです。 高麗橋を渡ると、県道15号川越日高線と交わる久保交差点にでます。 左へ県道15号を進むと 今年1月に巡った勝蔵寺へと出ますが、右へ秩父街道を進み高麗駅までのラストウォークで す。 ここから高麗駅までは歩道らしきものがなく、脇をトラックが猛スピードで通り抜けていく危険な道中でした。 ![]() ![]() ![]() 秩父街道 沿道の花 高麗橋付近 ![]() ![]() ![]() 高麗橋からの高麗川 久保交差点 右が秩父街道 歩道のない秩父街道 瀧泉寺から1,400m余り、秩父街道と別れを告げ、「天下大将軍と地下女将軍」の将軍標が目立つ駅広場に到着しま した。 予定よりは早い、12時50分でした。 ![]() 西武池袋線高麗駅 今回の巡行は、高麗川と西武線と秩父街道 (国道299号線) に沿って歩く、約8Kmの単調なウォーキングでした。 が‥所々で歩いた旧道では、鶯の音色や渓流のせせらぎを聞きながら心休まる空間を味わうことが出来ました。 今にも崩れそうな天候の加減で幾つかの寺院をパスしましたので、到着時間が予定よりかなり早くなりました。 武蔵野三十三観音巡りの全工程を終え、充実した気持ちで車窓から風景と思い出を振り返りながら帰宅しました。 振り返れば、2003年12月に第1番札所の練馬「長命寺」に巡拝し、その石仏の素晴らしさに魅了されたのが石仏 鑑賞の始まりでした。 以来、様々な形で寺院巡り−石仏鑑賞を続けていますが、その熱は未だ醒めそうにもありま せん。 体力と気力の続く限り、その世界への探求を続けて行くつもりです。 ![]() |