保谷 石仏巡り(2) |
日が開かないうちにと、雨の確率0%の今日を選び、先日雨の為に中断した「保谷石仏巡り」を再開しました。 今回は、何時もより早く 8時45分に西武池袋線保谷駅南口をスタートしました。 線路沿いに西へ900m、前回雨模様のため断念した、踏み切り傍の「経塚」からスタートです。 経塚は、金網で囲われており更に深い雑草に覆われている為、拝観はパスです。 ![]() ![]() 保谷駅南口 経塚 経塚を西へ450m進むと、五差路の角のお堂に「青面金剛像の庚申塔」があります。 ![]() ![]() ![]() 庚申塔のお堂 同 青面金剛像の庚申塔 風格ある石灯篭 宝永四年(1707) 造立 五差路を北へクネクネと600m弱進むと、又六地蔵交差点にでます。 「又六地蔵堂」は、江戸時代の上保谷村又六の五つ辻に建ち、「六地蔵石憧」を中心に、左側に「青面金剛像の庚申 塔」二基、右側に「地蔵菩薩像」二体が祀られています。 ![]() 又六地蔵交差点 ![]() ![]() ![]() 地蔵堂 同 地蔵菩薩像 同 地蔵菩薩像 明治三十年(1897) 造立 明治三十年(1897) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 六角地蔵石憧 同 青面金剛像の庚申塔 同 青面金剛像の庚申塔 安永五年(1776) 造立 元禄十年(1697) 造立 寛政十年(1798) 造立 ジャガイモ畑が点在する東京都道・埼玉県道36号 (保谷志木線) を南進し、尉殿神社に向かいます。 県道沿いに続く神社の塀に「住吉地蔵尊の小堂」がありました。 ![]() ![]() ![]() ジャガイモの花 地蔵を祀る小堂 同 住吉地蔵 又六地蔵交差点より、500mほどで尉殿権現「尉殿神社」に着きました。 折りしも、30名余りのご婦人方が体操(中国語の掛け声)をしている最中で、一段落するまで一緒に体を動かしま した。 ![]() ![]() ![]() 明神型一之鳥居 参道 ユーモラスな和風狛犬 ![]() ![]() ![]() 明神型二之鳥居 水舎 拝殿 ![]() ![]() ![]() 石灯篭一対 拝殿の裏に廻る 同 五基の石祠 天和二年(1682) 造立 一の鳥居から100m西へ進むと、「祥高山東禅寺」があります。 山門を潜るとメロディが流れてきて、一寸びっくりさせられました。 ![]() ![]() ![]() 寺院名碑 山門前 仏舎利奉安霊場の石碑 山門 ![]() ![]() ![]() 石灯篭一対 十三層の石塔 石灯籠 正徳六年(1716) 造立 ![]() ![]() 本殿 本殿前の仏足跡 墓地の前に、六地蔵のお堂がありました。 ![]() 六地蔵の覆屋 万延元年(1860) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 左の三体 同 正面の主尊像 同 右の三体 更に170m西に向かうと、多摩新四国八十八ヶ所霊場第三十六番札所「金輪山宝晃院明王寺」にでます。 境内のお堂に安置されている「水子地蔵菩薩立像」は、絵画風の構図を一石に彫刻した、類例の少ない巧みな像容だ そうです。 ![]() ![]() ![]() 山門と寺院名碑 山門前 本尊不動明王と第三十六番札所の石碑 拝殿 ![]() ![]() ![]() 地蔵堂 同 水子地蔵菩薩立像 同 小鐘 明和八年(1771) 造立 ![]() ![]() ![]() 青銅の厄除修行大師 六地蔵の覆屋 同 拡大画像 万延元年(1860) 造立 450mほど如意輪寺の塀沿いにクネクネと東へ進むと、再び東京都道・埼玉県道36号 (保谷志木線) にでます。 県道に面して、武蔵野三十三観音霊場第四番及び多摩八十八ヶ所霊場第三十五番札所の「光明山福生院如意輪寺」が あります。 県道に面した朱塗りの立派な仁王門には、阿吽の仁王像が睨みを利かせています。 ![]() ![]() ![]() 県道に面した山門と寺院名碑 山門前 武蔵野観音第四番霊場の石碑 山門前 馬頭観音霊場の石碑 ![]() ![]() 山門 仁王像 青銅の弘法大師像 ![]() ![]() ![]() 戦没者慰霊地蔵尊堂と庚申堂 同 地蔵菩薩像 同 青面金剛像の庚申塔 昭和三十八年(1963) 造立 宝暦四年(1754) 造立 ![]() ![]() ![]() 本堂 (大日殿) 鐘楼堂 観音堂 安永七年(1778) 建立 ![]() ![]() ![]() 宝塔 不動明王像 同 拡大画像 天保九年(1838) 造立 ![]() ![]() 地蔵堂 同 和楽地蔵菩薩像 ![]() ![]() ![]() 六地蔵像 同 拡大画像 同 主尊 三界万霊地蔵像 安永八年(1779) 造立 墓地の前に、二体の地蔵尊と馬頭観世音の石碑が祀られていました。 ![]() 三基の石造 ![]() ![]() ![]() 地蔵菩薩像 地蔵菩薩像 馬頭観世音の石碑 享保十七年(1732) 造立 元禄十二年(1699) 造立 天保九年(1838) 造立 墓地の横に、富士街道から移設された三基の石造物が並んでいました。 ![]() ![]() ![]() 六十六部日本回国塔 青面金剛像の庚申塔 百札所巡礼成就塔 宝暦三年(1753) 造立 元禄十四年(1701) 造立 寛政四年(1792) 造立 南へ340m進むと、幼稚園が併設されている 多摩八十八ヶ所霊場第三十四番札所の「慈光山宝樹院」があります。 水盤の上に、剣と宝珠を持つ「弁財天坐像」がありました。 ![]() ![]() 寺院門碑 本殿 ![]() ![]() ![]() 手水舎 同 水盤に弁財天座像 南無大師遍照金剛像 ![]() ![]() ![]() 六地蔵像 同 左の三体 同 右の三体 更に南へ240m進むと変則六差路にで、角に「榎庚申堂」がありました。 珍しく丸彫りの青面金剛像で、六腕が空襲のため欠損し三腕になっていました。 ![]() ![]() ![]() 榎庚申堂 同 青面金剛像の庚申塔 同 拡大画像 正徳四年(1714) 造立 ここまできたらもう少し足を伸ばして・・・と、地図にあった「常照山心光寺」を目指しました。 北へ400mほど右往左往しやっと見つけたのは、住宅地の一角にある普通の一軒家に掲げられた心光寺の看板だけ でした。 この辺りは道が入り組んでいる為、何度も間違えながら750m東南の「岩船地蔵堂」を見つけました。 台石に、享保四年(1718) と銘が彫られていましたが、左の地蔵像の顔が新しいので良く見ると、明治十七年再建 追刻がなされていました。 ![]() ![]() ![]() 岩船地蔵堂 同 二体の地蔵像 同 拡大画像 左) 明治十四年(1881) 造立 右) 享保四年(1718) 造立 再び、少し先の西東京市を南北に走る県道233号線 (保谷新道) にでて、西武柳沢駅を目指します。 途中新青梅街道を突っ切り、650m進んだ西武柳沢駅東交差点の角に「庚申堂」がありました。 ![]() ![]() ![]() 交差点の角に庚申堂 同 二基の石造 同 拡大画像 左) 六十六部日本回国所塔 享保五年(1719) 造立 右) 青面金剛像の庚申塔 宝永六年(1709) 造立 昼食までには時間がありましたので、踏切を渡り550mほど先の「東伏見稲荷神社」まで足を伸ばしました。 東伏見駅があるくらいですから大きな神社であろうということは想像できましたが、朱の大鳥居を見て驚きました。 全国3万社以上の稲荷神社の中でも、東国唯一の京都本社からの分祀の社ということです。 東伏見と云う神社名は、京都伏見から東にお遷しした神社と云う意味です。 朱塗りの社殿は回りの緑との調和が素晴らしく、新東京百景にも選定されています。 ![]() ![]() ![]() 明神型大鳥居 稲荷門 門前のお稲荷さま ![]() ![]() ![]() 水舎 舞殿 茅の輪くぐり ![]() 拝殿 本殿の裏は「稲荷祠十六社 (お塚)」が祀られています。 実際には、境内社の「祖霊社」を除いても十八社ありました。 確認してみると、「白狐社」と「末広社」が二社 づつありました。 ![]() ![]() ![]() お塚の入口の明神型鳥居 金鷹社 権太夫社 (田中大神) ![]() ![]() 太郎稲荷社 要町稲荷社 ![]() ![]() ![]() 三徳社 同 手前のお稲荷さま 同 奥のお稲荷さま ![]() ![]() 末広社 宇迦之御魂大神 ![]() ![]() 保食大神 佐田彦大神 ![]() ![]() 白狐社 白狐社の裏 お稲荷さまの霊域 ![]() ![]() 同 お稲荷さま 同 観音像 ![]() ![]() 左) 愛徳稲荷大神 同 お稲荷さま 右) 愛法稲荷大神 ![]() ![]() 八幡大神 同 角がある狛犬 ![]() ![]() ![]() 綾太郎稲荷社 同 お稲荷さま 開照大神の石碑 ![]() ![]() ![]() 祖霊社 稲荷社 (左) 稲荷社 (右) ![]() ![]() 末広社 白狐社 西武新宿線西武柳沢駅まで戻り、昼食を摂りました。 北京出身の若い店主が日本人向けの味をうまく出しており、和風かつおダシのスープに太麺がマッチしていました。 ![]() 西武柳沢駅南口 西武柳沢駅前の商店街を走る富士街道を線路沿いに田無方向に西進すると、踏み切りの傍に「六角地蔵堂」があり ました。 東伏見稲荷神社からは、900mほど西に来たことになります。 六角柱の上部には、六体の地蔵尊が浮彫りされています。 富士街道の道しるべを兼ねていたようで、下部には、左側面に「東ハねりま道/南は志んたい寺道」右側面には 「西ハ大山道/北ハ□道」と陰刻があります。 ![]() 踏み切り傍の地蔵堂 ![]() ![]() ![]() 同 六角地蔵 同 上部の六地蔵像 同 下部の道しるべ (左右の側面) 寛政七年(1795)造立 少し先の交差を右折して青梅街道に入り、新青梅街道・所沢街道が交差する田無町1丁目交差点を左折すると 「田無神社」にでます。 六角地蔵堂からは、550mほど北西に進んだことになります。 折りしも境内では、「わんぱく相撲 西東京場所」が開かれていて3箇所の土俵が誂えられていました。 拝殿横には、大鵬親方が寄贈した本格的な土の土俵もありました。 学年別に男女の区分けなく、白熱した勝負が展開されており親子共々喜怒哀楽に溢れていました。 青空骨董市とかフリーマーケットの案内などが掲示してあり、市民によく利用さている様子が良く窺えます。 田無神社の「本殿・拝殿」は、東京都指定文化財に登録されています。 ![]() ![]() 神明型一之鳥居と神社名碑 江戸初期の石段 ![]() ![]() ![]() 神明型二之鳥居 わんぱく相撲 本土俵 水舎 ![]() ![]() ![]() 拝殿 拝殿前 吽形獅子型狛犬 拝殿前 阿形獅子型狛犬 ![]() ![]() 楠木正成公像 神輿倉の前の宋風獅子型狛犬 ![]() ![]() 稲荷神社 同 お稲荷さま ![]() ![]() 境内社 煩大人神社と塩竃神社 同 拡大画像 ![]() ![]() ![]() 境内社 少彦名神社 境内社 津嶋神社 親子石 ![]() ![]() ![]() 田無神社七福神 弁天さま 田無神社七福神 恵比寿さまと大黒さま 同 拡大画像 ![]() ![]() 西側の神明型鳥居 北側の神明型鳥居 主祭神の金龍神は、四方の青、赤、白、黒の龍神と合体して霊顕あらたかな五龍神となり、方位をはじめあらゆる 厄災を祓い、幸福をもたらします。 境内の東西南北に配置されていました。 ![]() ![]() 南方の守護 赤龍 西方の守護 白龍 ![]() ![]() 東方の守護 青龍 北方の守護 黒龍 田無神社の前の青梅街道を西へ70mほど進むと、道路を挟んで関東三十六不動霊場第十番札所の「田無山総持寺」が あります。 もともと、田無神社と総持寺は一箇所にありましたが、明治の神仏分離により別れたようで、道理で近いはずです。 西武新宿線田無駅に近い繁華街の中にありながら、一方は市民のコミュニティの中心として喧騒に包まれ、一方は 厳かな静寂の中にその存在を示しており、対照的に思えます。 参道の先にある「仁王門」は、表側に阿吽の仁王像、裏側に多聞天像と広目天像が配され壮大でした。 ![]() ![]() ![]() 街道沿いの寺院門碑 参道の平和観音像 同 拡大画像 ![]() ![]() 仁王門 同 阿吽の仁王像 ![]() ![]() 仁王門の裏側 同 多聞天像と広目天像 ![]() ![]() ![]() 興教大師像 青銅の弘法大師像 鐘楼 ![]() ![]() ![]() 本殿 妙見堂 (保谷市指定文化財) 百度石 ![]() ![]() 不動堂 同 滝の不動尊像 明治十一年(1878) 造立 ![]() ![]() 十三層の石塔 同 台石に四方仏 墓地の入口に、幾体かの石仏がありました。 ![]() ![]() ![]() 墓地入口の石仏群 青面金剛像の庚申塔 青面金剛像の庚申塔 宝永六年(1709) 造立 ![]() ![]() ![]() 地蔵菩薩像 地蔵菩薩像 地蔵菩薩像 手前) 寛保四年(1744) 造立 ![]() ![]() 地蔵菩薩像 青銅の水子地蔵菩薩像 西前方の田無町交差点を左折し、340mで今回の終着駅西武新宿線田無駅北口に出ました。 再開発でロータリーが整備され、駅名のように田んぼは見当たりません。 ![]() 田無駅北口 多少時間に余裕があったので、田無から保谷駅前を経由する県道233号線 (保谷新道) を歩いて戻ります。 総持寺・田無神社の前を走る青梅街道を東へ戻り、所沢街道と交わる田無町1丁目交差点を北東に保谷新道へと入り ます。 途中、新青梅街道・保谷志木線・前沢保谷線などと交わりながら、約3,600mのうららかな日差しを受け県道を歩 きました。 11分/Km程度の軽やかなウォーキングで、西武池袋線保谷駅南口に着いたのは、14時20分でした。 ![]() ![]() ![]() 青梅街道 新青梅街道と交わる保谷新道交差点 保谷志木線と交わる保谷小前交差点 ![]() ![]() ![]() うららかな日差しの保谷新道 前沢保谷線と交わる中町交差点 保谷駅前の保谷新道 ![]() 保谷駅南口 二日に分けて廻った保谷巡りですが、時間的な余裕があった為に、東伏見稲荷神社巡りとか田無駅から保谷駅までの ウォーキングが楽しめて有意義であったと思います。 1日目4Km・2日目12Km 計16Kmの散策でしたが、特に 2日目は、微風快晴の最高の日和に恵まれて全く疲れを感じませんでした。 東伏見稲荷神社の稲荷祠十六社 (お塚) 巡りは、お稲荷さまに囲まれた不気味な雰囲気の中に荘厳さを感じました。 また、辻の各所に祀られている庚申塔・地蔵尊も、きちっとお堂が整備されていて管理が行き届いているように思え ました。 ![]() |