練馬高野台 石仏巡り

 テニスの予定が流れてしまったため、急遽 三寳寺の末社といわれる「観蔵院」を訪れてみようと思い立ちました。
 どうせならばと、西武池袋線富士見台駅から途中の路傍の石仏・石碑をも巡り歩こうと資料を漁りました。
 路傍の石仏・石碑については、練馬区教育委員会発行「練馬の石造物−路傍編」を参考に巡回マップを作成しました。


 11時半に、最寄の西武池袋線富士見台駅をスタートしました。
 駅前のふじみ銀座を抜け 突き当りを右折し、千川通りと並行している側道を西へ進みます。


 
       新装した富士見台駅


 千川通りの側道なので、4mの通幅にしては車の通りが激しく、のんびりと…と言う訳にはいきませんでした。
 500mほど進むと、Y字路の角に「庚申塔」が祀られていました。
 側面に、「左 石神井みち」の陰刻が読み取れました。 この先、石神井みちへと続くのでしょう。

 
 
       二又の正面に庚申塔             青面金剛像の庚申塔
                           安永五年(1776) 造立


 右に歩をとり120mほど進むと、民家のブロック塀の間に「庚申塔の小舎」がありました。
 小舎には、邪鬼よりも小さいくらいの「青面金剛像の庚申塔」が祀られています。


 
     ブロック塀に囲まれて小堂             庚申塔の小祠               青面金剛像の庚申塔
                            享保十五年(1730) 造立


 千川側道に戻り、少し進むと又Y字路の角に「地蔵堂」がありました。 340mほど進んだことになります。
 お堂には、南無地蔵大菩薩と刻まれた「合掌地蔵菩薩像」が祀られています。
 祠堂の前には、二基の「馬頭観音の石碑」と「道祖神」が安置されていました。


 
          地蔵堂               同 合掌地蔵尊像
                            大正十三年(1924) 造立
 
     二基の馬頭観世音の石碑               道祖神  
      左) 嘉永六年(1853) 造立 
      右) 年号不明


 千川側道を更に470m程進み、左折し170m先の千川通りにでます。
 この角に「右 長命寺道」と陰刻された「道標」がありました。 案内プレートによると、高野台の長命寺方面と江古田方面
 との岐路を示しているとのこと。

 
          長命寺の道標


 千川側道に戻り更に進むと環八通りにでます。 環八通りを突っ切り直進すると石神井南中学校に行き当たります。
 ここを左折し、直ぐの角をまた左折したところに、ブロック塀に挟まれた形で「青面金剛像の庚申塔」「馬頭観音像」二基の
 石仏がありました。 900mほど歩いたことになります。


 
         二基の石仏             同 青面金剛像の庚申塔               同 馬頭観音像
                            元禄十三年(1700) 造立             宝永三年(1706) 造立



 路を戻り、更に370m北上した所に「馬頭観世音の石碑」がありました。

 
          馬頭観世音の石碑               同 拡大画像
       明治五年(11872) 造立



 目的の「観蔵院」に向かう途中、500mほどの所に「雲照山吉祥院十善戒寺」がありました。
 門扉は閉じられていましたので、門扉越しに色々な角度で境内を撮らさせて頂きました。

 
         寺院門扉                  境内                   宝筐印塔
                                                  享保二十年(1735) 造立
 
          地蔵菩薩像               五輪塔                 聖観音菩薩像
 
      石造が雑然と置かれている         二体の地蔵菩薩像                長屋門


 十善戒寺を東へ580mほど進み、豊島八十八ヶ所霊場81番札所の「慈雲山曼荼羅寺観蔵院」に辿り着きました。
 門前の左側には、種々の石造物が配置されていました。

 
          門前                馬頭観世音の石碑               五重塔     
                           明治二十四年(1891) 造立          昭和五十六年(1982) 造立
 
        門前の石碑・石仏             手前から 三袁の庚申塔         光明真言供養塔・庚申供養塔
                            宝永二年(1705) 造立      文政八年(1825)・宝永元年(1704) 造立
 
       六地蔵と中心主尊                         同 左右の六地蔵像
                                      元文二年(1737) 造立
 
          同 中心主尊像                  馬頭観世音塔                   山門
       享保十二年(1727) 造立            文政六年(1825) 造立   

 境内は穏やかな日差しに包まれて、静寂で落ち着いた感じがしました。
 「筆子供養のお堂」には、練馬区で最も古い「聖観音像の筆子碑」が納められています。 


 
          境内               ふれあい文殊菩薩像  
 
         筆子供養塔                同 地蔵尊像                同 聖観音像  
                             文化五年(1808) 造立           宝暦十二年(1762) 造立
 
          本堂              本堂左脇に弘法・興教大師碑             同 拡大画像 
                           明治二十五年(1892) 造立 
                  
        その脇に佛足石              ・地蔵菩薩像              馬頭観世音の石碑
                                               明和七年7(1770) 造立
         
       墓地入り口の地蔵菩薩像           その脇の石碑・石仏              同 二基の庚申供養塔
       享保十一年(1726) 造立                                 天保四年(1833) 造立
 
           薬師堂                 日出薬師像                   七重塔
                           明治二十六年(1938) 造立    
 
        五拾貫余の力石                水盤                    南側の寺院門碑


 帰路 300m北上し、田中村鎮守「南田中稲荷天祖神社」に立ち寄りました。
 境内には、「御嶽神社」「稲荷社」二つの境内社があります。


 
         明神型一之鳥居               宋風獅子型狛犬               神明型二之鳥居 
      平成六年(1994) 造立           明治十四年(1881) 造立         明治二十三年(1890) 造立
 
           手水舎                和風獅子型狛犬                   拝殿 
                             明治十四年(1881) 造立
 
        度数拝禮碑(百度石?)              天祖神社納地の石碑
 
      境内社 御嶽神社 神明型鳥居             同 社殿 
 
      拝殿右脇 境内社 稲荷社            社殿前のお稲荷さん             社殿内のお稲荷さん 


 南田中稲荷憩いの森を抜け環八通り沿いに、650m先の西武池袋線練馬高野台駅に帰着しました。
 14時半になりましたので、遅い昼食をとり帰宅します。

 
         環状八号線                練馬高野台駅




 散歩がてらの石造巡りというつもりでしたが、5Km近く歩いたことになります。
 練馬区教育委員会発行「練馬の石造物−路傍編」を片手に巡りましたので、直ぐに目的の石仏・石碑に出会うことが
 出来ました。
 通常は1週間程度かかる寺院・街道巡りが、近場ということもあり計画・調査−マップ作成−巡回行動を1日で楽し
 むことができました。
 今後も、暇を見つけてこまめに歩いてみたいと思います。