中山道追分宿巡り

 テニス合宿で、初めて練馬区立軽井沢少年自然の家「ベルデ軽井沢」を訪れました。
 「ベルデ軽井沢」からほど遠くなく江戸時代の中山道の宿場町「追分宿」があるということで、翌朝疲れた身を奮い
 立たせて歩くことにしました。


 早朝5時20分、今にも振りそうな空を見上げながら、400mもの園内アプローチを下りやっと入り口ゲートが見えま
 した。


 
          ベルデ軽井沢                入り口ゲート


 更に800mほど南下すると、やっと標高1003mの中山道 (国道18号線) に出ました。
 中山道を西へ100mほど進むと、路を挟んで左右の林の中に小高く丸みをおびた塚が見えました。
 江戸から40番目の史跡「追分一里塚」です。 板橋から追分まで39里、39塚が築かれたことになります。
 高さ約4.5m の中央部がやや平になった塚の端に、「江戸へ39里/京都へ91里14町」と表記された案内板がありま
 した。


 
        国道18号線               左側の一里塚                同 案内板
 
     国道を挟んで右側の一里塚
                               

 更に西へ100m進むと、分岐路にでます。 
 「追分宿」の案内板に従い、少し細くなった右側の中山道を進みます。
 この辺りが「追分宿」の東側の入り口になるのでしょうか。


  
      左 国道18号線、右 中山道


 街脇には、浅間神社の入り口になるのか大きな常夜燈が配置されており、その脇には清水が滔々と流れています。 
 灌漑用として引かれている御影用水の上堰です。
 この辺りは、より水と親しむことができるよう川べりを整備し浅間神社境内とあわせ「追分公園」となっています。


 
         常夜燈                   御影用水                神社への橋


 御影用水の向こう側は、浅間大明神遥拝の里宮「浅間神社」です。
 境内には、「芭蕉の句碑」と「追分節発祥の地碑」2基の石碑が建てられていました。
 「本殿」は室町時代のもので、軽井沢町の木造建築としては最古のものであるといわれています。
 帰りに気がついたのですが、木陰に隠れて不動明王の看族八大童子の一つ「制多迦童子像」が街道に向かい起立して
 いました。


 
        明神型鳥居                  灯篭                 文字塔 
 
           地蔵像               御嶽山蔵王大権現の石碑             芭蕉の句碑 
                                                 寛政五年(1793) 造立
 
        追分節発祥の地碑            森閑とした境内  
 
          拝殿                  同 側面                  二基の石祠
 
      境内の制多迦童子像 (背面)          街道から臨む制多迦童子像             同 拡大画像     
 

 御影用水に沿って街道を進むが、用水は浅間神社を囲うように右にそれていきます。
 300mほど進みましたが、中山道屈指の賑やかな宿場だった「追分宿」の面影は今はなく、ちらつき始めた小雨と
 朝食時間の関係で気持ちが揺らぎ始めました。
 結局、昔の面影残る加賀屋の辺りでUターンし「ベルデ軽井沢」へと戻りました。


 
    浅間神社の西側を流れる御影用水           追分宿                 加賀屋の辺り



 結局片道2Km弱そのうち「追分宿」に関しては450m程度の歩行でした。 時間が限られた中、「追分宿」の東側を
 散策でき、よしとしなければいけないでしょう。
 次回機会があれば、中山道と北国街道との分岐点「分去れ」までの「追分宿」を完歩したいと思います。