清戸道巡り 2 |
2005年10月に廻った「江古田〜大泉の四面塔稲荷」のつづきです。 今回は、清戸道の始発点「江戸川橋〜江古田」までの約10Kmを巡る計画を立てました。 この間は、ほとんどが「目白通り」になっていて、ルートは非常に簡単なものでした。 しかし、目的とする道標などの石造物がほとんどなく、単調な歩みになりそうな予感がしました。 今回のルート選定に当たっては、故北倉庄一さんのWebサイト「街道を尋ねて- 身近な古道 - (5)練馬の道・清戸道」 を参考にさせて頂きました。 ![]() 清戸道の出発点は江戸川橋です。 東京メトロ有楽町線江戸川橋駅に着いたのは9時20分でした。 地上に出ると、上には首都高速がはしり 脇には神田川が流れており 川沿いに江戸川公園がありました。 ここが清戸道の起点とされています。 江戸川橋を渡り、音羽通りのすぐ西側の狭い坂「目白坂」にでました。 ![]() ![]() ![]() 首都高速の下の駅出口 神田川 江戸川公園 ![]() 目白坂の上り口 目白坂は、明冶の頃は手車で下肥を運んだ難所と云うことですが、今は舗装され坂も緩やかになったらしく、そんな シンドイ思いもしないうちに上りきりました。 この間、幾つかのこじんまりとしたお寺に出会いました。 最初に出会ったのが「寶國山寳珠院大泉寺」です。 ![]() ![]() ![]() 寺院石碑と山門 六地蔵像と地蔵像 同 拡大画像 (右端の像が欠損) ![]() ![]() ![]() 聖観音像 左から) 聖観音・地蔵尊・ 十二支堂 ![]() ![]() 如意輪観音像 三袁の庚申塔 大泉寺を少し上ると、太宰治と心中した山崎富栄の墓がある「関口山永泉寺」です。 ![]() ![]() 異国情緒が漂う寺院 宝篋印塔と三界萬霊塔 ![]() ![]() 地蔵菩薩像と2個の石造 同 拡大画像 (菩薩像と三袁の庚申塔) 更に上ると、「法樹山安楽院養国寺」です。 ![]() ![]() ![]() 寺院名碑と本堂 聖音像と2個の石造 同 拡大画像 (石祠と地蔵像) ![]() 墓地の間に三体の地蔵像 坂を上りきった所に、「正八幡神社」があります。 境内にはうっそうと木々が生い茂り、荘厳な気持ちにさせてくれました。 ![]() ![]() 社名碑 明神型の鳥居 ![]() ![]() 拝殿 宋風の獅子型狛犬 小学校の正門と椿山荘の塀に囲まれ るようにして「幸神社」の祠が建っていました。 ![]() ![]() 社名碑 神明型の鳥居 ![]() ![]() 拝殿 和風の獅子型狛犬 坂を上り切った左側にあるのが椿山荘です。 今はホテルになっていますが、その宏大な敷地は山形有朋の邸宅であっ た所で、江戸時代から明治にかけてこの辺一帯は椿の名所で椿山といわれていました。 椿山荘の入り口辺りで、目白通りと合流します。 ここまでの目白坂は約800mの道程でした。 ![]() ![]() ![]() 椿山荘 左) 目白通り 右) 目白坂 目白通り 目白通りを少し進んだ角を左折し、東京で最も勾配の急な「胸突坂」に挑戦しました。 細川家の歴史資料や文化財等を保存している永青文庫までの200mはなだらかな道でしたが、そこからは100m足らず の急勾配になっていました。 ![]() ![]() ![]() 胸突坂の石碑 坂の頂上より 坂の下より 胸突坂を神田川に降りて、関口芭蕉庵の隣が神田上水の守護神「水神神社」です。 ![]() ![]() ![]() 明神型の鳥居 鳥居の傍に三袁の庚申塔 拝殿 目白通りに戻り、日本女子大の三差路で右の護国寺方向から来た不忍通り道を併せ、豊島区に入ります。 この三差路からおよそ300mほど行くと十字路があります。 この角を右へ行くと鬼子母神、左は宿坂の急坂で、2005年9月に巡った「旧鎌倉街道」といわれてきた道筋です。 ![]() ![]() 目白通り (日本女子大付近) 日本女子大の正門 ![]() ![]() 旧鎌倉街道との交差地点 宿坂 旧鎌倉街道との交差地点を過ぎると、間もなく 都内の陸橋としては最も古い「千登世橋」を渡ります。 この下には、都内で唯一残った都電荒川線と明治道路が走っています。 橋を渡り直ぐの学習院大学脇の通りは、大学キャンパスに約500mにわたって接しているため、道路脇の建物はなく、 車道を囲むように緑豊かな杜の様相を呈しています。 椿山荘〜目白駅までの周辺には学習院大学だけでなく、小学校や日本女子大などがある文教地区であり、銀杏並木の落 ち着いた雰囲気は街の性格にもマッチしているようです。 JR目白駅までは、すれ違う大勢の女子大生の熱気に圧倒 されたものです。 あっという間に、椿山荘から約1700mも来たことになります。 ![]() ![]() ![]() 千登世橋 学習院大学の正門 門碑 ![]() ![]() ![]() 学習院大学付近の目白通り 延々と続く碧のキャンパス JR目白駅 目白通りを淡々と1200m程進んだところで、何故かぼたん寺のことを思い出し、急遽800mも離れた新目白通りまで 足を運びました。 「瑠璃山医王寺薬王院」通称 東長谷寺 は、今が牡丹の見頃で大勢のカメラマンや昔のぼたん娘で溢れていました。 ![]() ![]() ![]() 寺院名碑と山門 牡丹で溢れる境内 山門横に地蔵像 ![]() ![]() ![]() 宝篋印塔 牡丹1 牡丹2 ![]() ![]() ![]() 苔生した岩 不動明王像 六地蔵像 ![]() ![]() ![]() 2体の地蔵像と不動明王像 2体の地蔵像と如意輪観音像 馬頭観世音菩薩碑 ![]() ![]() ![]() 三界萬霊塔 同 拡大画像 同 聖観音像 ![]() ![]() ![]() 如意輪観音像 地蔵菩薩像 本堂 元禄六年(1639) 造立 ぼたん寺の隣が「下落合野鳥の森公園」です。 野鳥の森公園〜薬王院に連なる一帯は、樹齢200年の楠とかタヌキ や猛禽類のツミなど野鳥が未だに棲む自然豊かな庭園となっています。 ![]() ![]() 下落合野鳥の森公園 綺麗な野鳥 目白通りに戻り、更に200m進んだ山手通りとの交差点を右折した処に、「天祖神社」がありました。 ![]() ![]() ![]() 神明型の鳥居 宋風の獅子型狛犬 吽型の狛犬の下にも狛犬 ![]() 拝殿 目白通りを更に250m行くと、南長崎二丁目交差点にでます。 交番を挟んで二又になっていて右側への道が清戸道 旧道です。 ここで一旦目白通りと分かれます。 狭い道ですがほぼ直線で、江古田駅まで延びています。 旧道を600mrほど進むと、江戸時代から明治時代にかけて繁盛した商家造りの建物「岩崎家」が道路に面していまし た。 ![]() ![]() ![]() 左) 目白通り 右) 旧道 旧道の商店街 岩崎家の建物 更に、700m進むと中野通り (都道420号) と交差します。 右手から直角に合流してくるのが、昭和の中期に千川上水が埋められ道路になった千川通りです。 千川通りに合流した辺りから練馬区になりますが、200m進むと旭丘1の交差点にでます。 清戸道は千川通りを江古田駅方向に直進しますが、今回は交差点を右折し、前回の出発点「能満寺」へと向かいます。 途中、小さなお堂があり、お地蔵様に立派な袈裟が懸けてありました。 能満寺は、今回も参道の門扉が閉ざされていました。 ![]() ![]() ![]() 旭丘1の交差点付近 小さなお堂 同 お堂の中に袈裟懸けのお地蔵様 ![]() 能満寺 12時10分、終着点の西武池袋線江古田駅に到着しました。 ![]() ![]() 菜の花が咲きほころぶ線路際 江古田駅 半年振りの「清戸道巡り」でした。 先回は、街道沿いに結構多くの石造物が保存されていて、古の思いを抱かせて 頂きましたが、 今回は 都心を縦断する形でしたので、全くと言って良いほど史跡には巡り会うことができませんでした。 しかし、 目白坂・胸突坂といった厳しい路とか 日本女子大学〜学習院大学辺りの学びの杜の溌剌とした雰囲気を感じることが 出来ました。 今回の収穫は、予定にはなかった「ぼたん寺」での牡丹鑑賞でした。 無味な石仏巡りに、華やかな彩を加えていた だき心が華やいだものです。 気候が良かった為もあり、約10kmの行程にもほとんど汗をかくことがなく、快適な街道巡りを味わうことが出来ま した。 ただ、一気に歩き詰めたこともあり、江古田駅に着いたときには異常な空腹感に陥り、満足に歩くことがま まなりませんでした。 <清戸道巡り> ☆ 江戸川橋〜江古田 ![]() ![]() ![]() |