狛江 寺院巡り (1) |
元和泉市民テニスコートでの集合時間までは まだ時間に余裕がありましたので、日頃目にしている看板を頼りに狛江 の古刹「泉龍寺」の拝観に向かいました。 小田急小田原線狛江駅に、何時もより早めの11時に到着しました。 駅前の「なか卯」で定番の親子丼をかきこみ、北口の泉竜寺弁才天池保護地域フェンス沿いに西に進みました。 ![]() 狛江駅北口 ![]() 150mほどの近きに、市内最古の建造物「雲松山泉龍寺」の山門があります。 泉龍寺の延命子安地蔵尊は、江戸時代の半ば頃から江戸や多摩の各地の信者の家を宿にして、巡行を続けていた 「まわり地蔵」としてよく知られていたそうで、門前に「延命子安地蔵尊の石塔」がありました。 ![]() ![]() ![]() 山門 延命子安地蔵尊碑と寺院名碑 同 拡大画像 延命子安地蔵尊碑 万延元年(1860) 造立 珍しい二階建ての鐘楼「釣鐘堂」の周りでは、大勢の若者が 照明や大きな張子のオブジェをセットすることに追われ ていました。 又、バンドの音あわせが境内一杯に響き渡り、祭りの準備といった感じです。 (後でホームページを検索したら…… 小林拓馬と鹿島信治が舞台音楽を生演奏します。 10/13(土)〜14(日) @狛江泉龍寺境内 「ひめしゃら塾」舞踊公演 『桜の樹の下のバサラつぎ』 …… とありました。) 釣鐘堂までの参道には、右に「廻国塔」「六地蔵」「水舎」が並び、左に「延命子安地蔵尊」「草木供養塔」が配置 されています。 ![]() ![]() ![]() 水舎周り 六十六部廻国塔 中心仏と六地蔵像 ![]() ![]() ![]() 延命子安地蔵尊 草木供養塔 釣鐘堂 釣鐘堂と本堂との間の境内には、右に石仏・石碑の群が並んでいました。 ![]() ![]() ![]() 石仏群 三体の石仏 同 拡大画像 猿仏の庚申塔 貞亨三 年(1686) 造立 ![]() ![]() ![]() 二体の地蔵像 千部供養塔と聖観音像の供養塔 地蔵菩薩像と如意輪観音像の供養塔 延享四年(1747) 造立 ![]() 地蔵菩薩像 天保四年(1833) 造立 、 本堂の前には、「十五世和尚力石」「何匹もの龍を掘り込んだ灯篭」「十三層の石塔」「宝篋印塔」などが配置されて います。 本堂の裏手には、「開山堂」が堂々と建っていました。 ![]() ![]() ![]() 本堂 力石 何匹もの龍を彫った灯篭 ![]() ![]() ![]() 開山堂 三界萬霊塔 同 拡大画像 ![]() ![]() 十三層の石塔 宝篋印塔 境内東南に、良弁僧正が雨乞いをした折に湧き出したと言われる「弁財天池」があります。 池の畔に「福徳弁財天」がありました。 ![]() ![]() 弁財天池 池の畔に幟が ![]() ![]() 福徳弁財天 同 社殿 南の参道 大門通りを150m南に進むと、旧龍法寺跡の「泉龍寺別院」の玄関先に、現存する狛江のお地蔵さんの中で 最も古い「耳切り地蔵」が立っています。 ![]() ![]() 泉龍寺別院 耳切り地蔵 明暦三年(1657)造立 更に進み 小田急線の高架ガードをV字に折れると、狛江三中の三叉路右の角に、土の中に埋もれた様に頭を出した 「馬頭観音の石碑」がありました。 道標を兼ねていたようです。 ![]() ![]() 馬頭観音の石碑 同 拡大画像 300m先の元和泉市民テニスコートは、隣接の道路拡張工事に伴うコート再編工事のため、10月一杯で閉鎖されま す。 工事準備のためにもう管理棟・トイレが取り外されており、仮設の設備になっていました。 自販機も取り外されていて、和泉多摩川駅近くのコンビにまで飲料水を購入しにいきました。 ![]() 狛江市民テニスコート |