東高野山みち


 江戸時代の中頃、四国八十八か所霊場巡りにならって、弘法大師を祀る真言宗寺院を巡拝することが盛んになり、多くの
 庶民が手頃な一日の行楽を楽しんだ山道の一つが「東高野山みち」です。
 東高野山というのはこの先の長命寺のことで、長命寺に至る道は
 「東の道」清戸道から分かれる長命寺道
 「西の道」御府内八十八か所の巡拝路の道
 「北の道」川越街道から分岐する富士・大山街道から分かれる道
 「南の道」所沢・石神井道から分かれる参詣道
 などがありますが、その一つ「東の道」が我が家の前を通っているのです。
 今回は、真言宗の「円光院」〜「長命寺」に至る、約2.3Kmの行程を計画しました。

 文献 (練馬区教育委員会編「練馬を往く」) により、雨上がりの清々しい道を石造の道標を巡りながら歩きました。
 日頃自転車で通り抜けるだけの道も、古道を巡るという意識で歩くと、見るもの一つ一つに関心がいくものです。


 起点の「円光院」を目白通り (清戸道) 沿いに150m往くと、練小交差点前の一角に道標2基が配置されていました。
 うち1基は、角柱型で正面に「左 東高野山道」と刻まれています。
 もう1基は、長命寺と道標についての賛語を漢文で刻まれている珍しいものです。向かって左側には、「左 高野山十八丁」
 、右側面には「右 所さハちゝぶ道」と陰刻されています。 
 ※ 「貫井の東高野山道道標」は、2012年に練馬区登録有形文化財に指定されました。
 右に行くと「清戸道」になりますが、道標の通り左へと歩を進めます。 

 
      貫井5−7 南池山貫井寺         貫井5-17 画像の右端に道標     
 
         東高野山碑と道標              同 左側面の陰刻              同 右側面の陰刻
      寛政十一年(1799) 造立


 まず手前の信号を渡り目白通り沿いに100m、蕎麦屋辺りを左折し270m往くと「須賀神社」の赤い神明鳥居が目につき
 ます。
 神社右横の塀の脇に、「青面金剛像の庚申塔」がありました。
 突き当たりのスーパーを左に向かいます。 右折すると、目白通りに出ます。

 
     目白通り 正面のビルを左折             道端に庚申塔              同 青面金剛像の庚申塔
                                                元禄十五年(1702) 造立
 
         須賀稲荷社                 同 社殿



 路なりに120m往った二又路の正面に、三体の石仏が見えます。
 この付近は、我が家の近くなので日頃見慣れている風景ですが、新鮮な目で観察しました。

 
        貫井4-40の二又路             貫井4-23の二又路         昭和20年代のこの辺り(転載)


 住宅のブロック塀の前に、「青面金剛像の庚申塔」と「2体の地蔵菩薩像」が鎮座しています。
 庚申塔の側面に陰刻があり、「此より/右 東こうや道」 と読めますがかなり剥落しています。
 「東高野山みち」を、道しるべに従い右側を進みます。 
 
 
         三体の石仏          同 青面金剛像の庚申塔と地蔵尊像          同 庚申塔の側面
                             寛政十年(1798) 造立
 
        同 地蔵菩薩像            同 剥落が激しい地蔵尊像


 300m直進すると四商通りの交差点にでますが、現在は環状8号線工事で路が複雑になっています。
 南光幼稚園を右手に見ながら160m進むと、富士見台テニスクラブのコートに突き当たります。
 左側が「東高野山みち」ですが、その左角に立派な黒松の門構えと覆屋があり、二体の「南光院地蔵菩薩像」が安置されて
 いました。 ここは、長命寺の末寺 南光院の跡だということです。
 また、右側の角に庚申塔が置かれていただろう跡がありましたが、何処へ行ったのやら・・・。


 
        四商通りの交差点辺り       同 環八完成後の交差点(2018.7)         富士見台4-9の二又路
 
        黒松の門構えと祠            同 二体の地蔵菩薩像        同 丸彫り地蔵菩薩像・地蔵菩薩像
                                                右)貞享五年(1688) 造立


 テニスコート沿いに150m往くと、T字路に突き当たります。
 「東高野山みち」は、ここを左折し直ぐに右に入ります。
 「道しるべの馬頭観音像」が正面にあり、その側面に「左 東高野山道」と陰刻されていました。


 
      富士見台4-30のT字路
        
            庚申塔の覆屋            同 一面六臂馬頭観音像            同 側面に印刻  
                             天明六年(1786) 造立


 右折した路を更に150m往くと、またT字路に突き当たります。
 高いブロック塀に囲まれた小さな墓地を左折し、170mほど緩やかな坂道を下ると二又路に出ます。
 正面の小高い場所に、通称一山さまと呼ばれる「稲荷神社」が見えました。
 「東高野山みち」は右に入りますが、赤いポストの陰に 練馬区登録有形民俗文化財「谷原の庚申塔」がありました。

    
 
      富士見台4-36の二又路             角に庚申塔
 
       青面金剛像の庚申塔           同 庚申塔の両側に童子像   
       宝永六年(1709) 造立


 40mほど上り、「富士見台稲荷神社」通称 一山さま にお参りをしました。
 御嶽講奉納の「水盤」は、練馬区登録有形民俗文化財に指定されています。

 この神社には、「稲荷神社・須賀神社・御嶽神社」の三社が祀られています。

 
        神明型一之鳥居              三社の掲額                 境内
       昭和三十五年(1960) 造立  
 
          手水舎                   同 水盤
                            明治七年(1874) 奉納
 
        明神型二之鳥居                  社殿                 和風の獅子型狛犬    
       明治二十七年(1894) 造立                                明治九年(1876) 造立
 
         境内社 一山神社               一山雷神の石碑            二基の三社大神の石碑
 
       聖庵大安縛大傳の碑             明心霊神の石碑            光明霊神の石碑


 道標に戻り200mほど進み、石神井川にかかる富士見橋を渡り、更に100m先の十字路を右折します。
 マンションの前に、「東高野山みち散歩道」の案内碑があります。
 150m位石神井東中学校の校庭脇を進みます。 この角にも案内碑があるので、案内に従い左折します。
 120m程の急坂を上ると、車の激しい環状8号線 (笹目通り) に出ます。


 
         富士見橋            「東高野山みち散歩道」の案内碑             石神井東中脇の坂道  
 

 80m先の順天堂病院交差点を右折し、150m往くと「長命寺」の山門に着きました。 
 

 
         順天堂病院交差点             終着の長命寺




 1時間弱の行程でしたが、一部が目白通りの側道となっており、結構交通が激しかったです。
 途中、南光幼稚園の隣に二体の地蔵を祀った祠がありましたが、長命寺の末寺南光院の在った処であったことを初めて知り
 感慨深いものがありました。
 感じとして、もう3〜4基の道標が必要ではなかったかと思いましたが、「東高野山みち散歩道」の案内碑がその役割をして
 いました。
 
 帰路、長命寺から400mの近きにある谷原・高野台町の氏神さま「谷原氷川神社」に立ち寄りました。
 喧騒激しい環状八号線に面していながら、境内に入ると一転静寂に包まれます。
 境内が広い割りに石造物の類があまりなく、シンプルな神社の感を持ちました。
 境内末社の「春日神社・八幡神社・天祖神社」の三社は、長命寺よりの神仏分離でここへ移したそうです。


 
           氷川神社                 広い境内と社殿                宋風の獅子型狛犬   
                                                  大正七年(1918) 造立
 
        稲荷神社 明神型鳥居            境内社 三社神社
       大正十三年(1924) 造立