中村橋 石仏巡り |
今回は、西武池袋線界隈の石仏巡り「練馬高野台・練馬・桜台・東久留米」に続き、第五弾 中村橋駅の南側 「中村地区 (現中村
北・中村・中村南)」の寺院・路傍の石仏を探索します。 練馬区教育委員会発行「練馬の石造物−路傍編」を頼りに、最終目的の「南蔵院」まで小春日和の散策を楽しみたいと思います。 西武池袋線中村橋駅を10時にスタートし、まずは桜並木で有名な千川通りを西へ進むともう紅梅が咲き誇っていました。 ![]() ![]() ![]() 中村橋駅 紅梅が6分咲き 千川通り 340mほど進んだ先の車道と歩道の緑地帯に、五基の石碑・石仏を祀った「九頭竜弁財天の小堂」があります。 元々は九頭龍橋の袂にあったもので、九頭龍弁天というようです。 ![]() ![]() ![]() 小堂 渡邊竜神の石碑 お社 昭和三十年(1955) 造立 ![]() ![]() ![]() 弘法大師の石碑・子庚申の石碑 馬頭観世音の石碑 子を抱いた地蔵像 昭和四十九年(1974) 造立 昭和三十年(1955) 造立 昭和三十一年(1956) 造立 千川通りを逆に580mほど東進した緑地帯に、「中村不動尊の小堂」があります。 ![]() ![]() ![]() 千川沿いの中村不動尊 小堂 同 真鋳製の不動明王像 千川通りを渡り東急ストアの角を右折し南進すると、600mほどで個人住宅の門前に「道しるべ地蔵尊の小堂」があります。 台石に「左 かみねりま志ら古道/南 中野ほりのうち道/右 江戸みち」と陰刻がありました。 ![]() ![]() 小堂 同 道しるべ地蔵尊像 文化十三年(1816) 造立 更に直進し、直ぐの通りを西へ進み中村公園前信号を南下すると、550mほどで「二つのお社」を有する一角があります。 ![]() ![]() 二つのお社 右側の神明型鳥居と稲荷社 ![]() ![]() 左側の不動堂 同 不動明王像 ここから良弁塚を通る道は、旧鎌倉街道と伝えられています。 ![]() 旧鎌倉街道 ほんの30mほどで、南北朝時代の延文二年(1357) からの由来がある 「良弁塚」があります。 良弁僧都が、街道から南蔵院に入るこの角に経塚を築き供養したそうです。 敷地は全体が金網で囲われており中には入れませんが、拝観の方がメモを取っていました。 ここの石碑・石仏は道しるべになっているものが多く見かけられました。 塚の左側には、剥落したものも合わせ7〜8基の石碑・石仏が点在しています。 「青面金剛像の庚申塔」の左側面には「左ハ 上祢りま道」、右側面には「右ハ 下祢りま道」と陰刻がありました。 「弘法大師の石碑」の右側面には「右 福蔵院」と陰刻がありました。 ![]() ![]() ![]() 良弁塚 左側 良弁塚 右側 史跡良弁塚の石碑 昭和五十六年(1981) 造立 ![]() ![]() ![]() 青面金剛像の庚申塔 同 右側面の陰刻 庚申石塔 元文五年(1740) 造立 元禄十年(1697) 造立 ![]() ![]() ![]() 弘法大師の石碑 同 右側面の陰刻 大乗妙典供養塔 文政十一年(1828) 造立 明治三十年(1897) 造立 塚の中央部には、練馬区内に残る唯一の七面の石幢 区指定有形文化財「石幢七面六観音勢至道しるべ」がありました。 台石は東西南北の道しるべになっていて、「東 此方なかのミち/目ぐろみち、西 此方た可いど/大山ミち、南 武州豊嶋郡/中村里、 北 此方ねりま/川口ミち」と陰刻があります。 ![]() 石幢七面六観音勢至石憧 元文五年(1740) 造立 ![]() 同 拡大画像 如意輪観音・聖観音・千手観音・勢至菩薩・馬頭観音・十一面観音・准堤観音 ![]() 台石の陰刻 塚の右側には、三基の石碑・石仏が並びます。 「青面金剛像の庚申塔」の、左側面には「左ハ そうしかや通り」、右側面には「右ハ かうゑん寺高井戸通り」と陰刻があり ました。 ![]() ![]() ![]() 上部三猿の庚申塔 同 剥落した三猿 庚申塔の石碑 寛文七年(1667) 造立 元禄八年(1695) 造立 ![]() ![]() 青面金剛像の庚申塔 同 左右側面の陰刻 明和元年(1764) 造立 旧鎌倉街道を更に200mほど南進すると、区登録無形民俗文化財の神事探湯式が行われる 「中村御嶽神社」があります。 ![]() 二基の神明型鳥居 ![]() ![]() ![]() 右側の神明型鳥居 同 社殿 同 御岳大神の石碑 ![]() ![]() ![]() 左側の神明型鳥居 同 社殿 水盤 更に450mほど南進すると、緑に覆われた「中村八幡神社」があります。 応神天皇を祭神とする神社で、本殿は練馬区内でも屈指の古建築物と云われています。 ![]() ![]() ![]() 神明型鳥居と神社名碑 水盤 拝殿 文政十三年(1830) 造立 ![]() ![]() 一対の石灯篭 和風獅子型狛犬 社殿の奥には境内社三社のお社があり、左右のお社の前には各々狛犬が配置されていました。 ![]() 境内社三社 ![]() ![]() 左側の境内社 同 社殿前の和風獅子型狛犬 文政十年(1827) 造立 ![]() ![]() 右側の境内社 同 社殿前の和風獅子型狛犬 中村八幡神社の北側の裏道に、首と体が別々にあった地蔵尊が信心深い人の夢枕に立って首と体を継ぐことができたと言い伝え られている「首つぎ地蔵のお堂」があります。 堂内は集会などで使用されるのか、六畳間の板間付きになっていました。 ![]() ![]() ![]() 首つぎ地蔵尊のお堂 首つぎ地蔵尊 同 拡大画像 首つぎ地蔵のお堂の前には、西国坂東秩父百箇所供養の「聖観音付き供養塔」と、剥落激しい「供養塔」が祀られていました。 ![]() ![]() ![]() 二基の供養塔 同 供養塔 同 側面 南無偏照金剛の陰刻 宝暦六年(1756) 造立 ![]() ![]() 同 聖観音付き供養塔 同 拡大画像 寛政十一年(1799) 造立 東南に440mほど進むと、銀杏の大樹に包まれた境内の「中村町田中稲荷神社」がありました。 アパートに挟まれた車両通行止めの細い道の途中にあり、不安に駆られながら探しあてました。 ![]() ![]() ![]() 神明型鳥居 境内 手水舎 ![]() ![]() ![]() 社殿 同 社殿の中にお稲荷さま 稲荷神社を120mほど南下した十字路の角に、「願掛け地蔵尊」があります。 上部が欠損した「地蔵菩薩像」と「聖観音菩薩像」の二体が祀られています。 ![]() ![]() 小堂 同 地蔵尊像・聖観音像 正徳五年(1715)・ 元文五年(1740) 造立 今度は中村中学校の塀沿いに東へ440m、南蔵院通りの角に「道しるべ庚申塔の小堂」があります。 庚申塔の左側面に「西 せき志やくじミち、南 中の道」、右側面に「東 ぞうしかやミち、北 なんぞういん江二丁」と陰刻があり ました。 ![]() ![]() ![]() 道しるべ庚申塔の小堂 同 青面金剛像の庚申塔 同 左右側面の陰刻 安永六年(1777) 造立 南蔵院通りを千川通り方面に北進します。 ![]() 南蔵院通り 南蔵院通りを440mほど戻ると、御府内八十八ヶ所 の第15番札所「瑠璃光山南蔵院医王寺」があります。 前述の良弁塚を開いた良弁僧都中興の寺です。 南蔵院は区内57ヶ寺の内で、最も花の寺と呼ばれるのが相応しい寺ですが、今日は紅白の梅が見頃でした。 ![]() ![]() ![]() 寺院名碑 青銅の慈母観音像 山灯篭 ![]() ![]() 十三層の石塔 九層の石塔 境内の左側には、「長屋門」区内二体の一つ「魚藍観音像」二つの「境内社」が続きます。 ![]() ![]() ![]() 長屋門 魚藍観音像 二つの境内社 境内の右側には、「本堂」「薬師堂」が並びます。 ![]() ![]() ![]() 本堂 龍が彫られている灯篭 敷石供養塔 ![]() ![]() ![]() 宝篋印塔 遠忌供養塔 左) 興教大師 右) 弘法大師 薬師堂 享保十三年(1728) 造立 境内の正面に、練馬区有形指定文化財の「鐘楼門」・練馬区最大の「北向地蔵像」・その右奥に「閻魔堂」が続きます。 江戸時代中期の建築と考えられる区内唯一の「鐘楼門」は、高さ10mの入母屋造り・浅瓦葺きの楼門形式で、赤彩されており、 門の左右に「阿吽の仁王像」を配しています。 上階は吹き抜けになっていて、「梵鐘」が吊るされています。 ![]() ![]() ![]() 鐘楼門 同 阿吽の仁王像 梵鐘 正徳五年(1715) 造立 ![]() ![]() 北向地蔵尊像 大乗妙典供養塔 元禄九年(1696) 造立 宝暦十一年(1761) 造立 ![]() ![]() ![]() 鐘楼門前の紅梅 閻魔堂 閻魔堂前の水盤 寛延元年(1748) 造立 境内には、方々から寄託された「道しるべ石」が点在していました。 「道しるべ石 1」には、「(正面) 向 高井戸道、右 南蔵院、左 長命寺/子の権現」と陰刻。 「道しるべ石 2」には、「(正面) 八十八箇所/弘法大師、右 東高野山長命寺、左 中村南蔵院」と陰刻。 「道しるべ石 3」には、「(正面) 八十八箇所/弘法大師、右 長命寺/福蔵院、左 そうしがや/高田道」と陰刻。 「道しるべ石 4」には、「(正面) 弘法大師、右 鷺宮福蔵院十丁/御府内八十八箇所第十五番南蔵院」と陰刻。 「道しるべ石 5」には、「(正面) 向 南蔵院、右 長命寺、左 福蔵院」と陰刻。 「道しるべ石 6」には、「(正面) 弘法大師、左 長命寺」と陰刻。 ![]() ![]() ![]() 道しるべ石 1 道しるべ石 2 道しるべ石 3 ![]() ![]() ![]() 道しるべ石 4 道しるべ石 5 道しるべ石 6 文政九年(1826) 造立 文政十一年(1828) 造立 墓地の入口左側に、千川の暗渠化時に移設された「川施餓鬼供養塔と笠付地蔵の小堂」と「二体の日川地蔵の小堂」が並んで 祀られていました。 「笠付地蔵尊(破風屋根付角柱地蔵)」は道しるべにもなっていたようで、側面に「左中村南蔵院」の陰刻がありました。 ![]() ![]() 二つの小堂 右側の小堂 二体の日川地蔵像 昭和十五年(1940) 造立 ![]() ![]() 左側の小堂 左) 川施餓鬼供養塔 同 笠付地蔵像 側面の陰刻 明治十五年(1882) 造立 右) 笠付地蔵像 右隣の「青面金剛像の庚申塔」も、千川の暗渠化時に移設されもので 道しるべにもなっていたようです。 台石の左側には「東 堀之内/大山/高井戸」、右側には「西 石神井/せき」と陰刻があります。 足元の邪鬼は右手で頬杖というリラックスしたポーズで、邪鬼の両脇に二鶏・下部には三猿がうつむき加減に座っています。 ![]() ![]() ![]() 青面金剛像の庚申塔 同 拡大画像 同 邪鬼・二鶏・三猿 寛政十二年(1800) 造立 ![]() ![]() 台石の左側 台石の右側 更に右に進むと、裏門の傍に「六地蔵像と聖観音像の小堂」がありました。 ![]() ![]() ![]() 小堂 同 聖観音菩薩像 同 六地蔵像 元文元年(1736) 造立 享保九年(1724) 造立 墓地の入口中央には、大きな「五輪塔」が聳えていました。 墓地の右側には、個人の墓の付近に幾つもの石仏が安置されていました。 また 墓地の中央部には、「歴代住職の供養塔」が並んで祀られていました。 ![]() 天に聳える五輪塔 ![]() ![]() ![]() 二体の地蔵像 同 左) 地蔵菩薩像 右) 地蔵菩薩像 文政十二年(1829) 造立 明和三年(1766) 造立 ![]() ![]() 二体の地蔵像と観音像 歴代住職の供養塔 南蔵院通りを千川通り方面に南進します。 途中、店の傍らに二つの石祠を祀ったレストランがありました。 ![]() ![]() 南蔵院通り 二つの石祠 南蔵院から530mほど進んだ、千川通りに出る一つ手前の道の角に「矢原稲荷神社」があります。 ![]() ![]() 明神型鳥居 神社名碑 ![]() ![]() お社 お稲荷さま 東電前の交差点を左折し、千川通りを中村橋駅に向かい西進します。 850mほど先の交番を右折すると、60mで中村橋駅です。 ![]() ![]() 東電前の交差点 千川通り ![]() ![]() 駅前交番 中村橋構内 中村橋駅を始点に中村橋駅まで、約6Kmの効率のよい拝観ルートでした。 目的の一つ「良弁塚の石幢七面六観音勢至道しるべ」は、剥落・苔着がなく大切に保存されているのが分かります。 丁度鑑賞に訪れていた同好の方と、暫し石仏談義が弾みました。 目的のもう一つ「南蔵院」は、以前通りかかった時には閉門されていましたが、今回存分に拝観ができ満足できました。 境内に点在していた道しるべ石には、「南蔵院・福蔵院・長命寺」の名が記されており、各々本来の設置場所を想像する楽しみが ありました。 2020年5月16日(土) 曇り 近所に住んでいても 全くその存在がわからなかった、火の神様「秋葉三尺坊大権現」通称 秋葉様 を訪ねました。 閉扉されていますが、清掃が行き届いていて神聖な感じがしました。 ![]() ![]() ![]() やっと探しあてた 社殿の玉垣 一対の石灯籠 ![]() ![]() 手水舎 社殿 ![]() |