芝公園 石仏巡り |
他クラブとの交流テニスで、芝公園に出向くことになりました。 芝公園には、浄土宗の大本山「増上寺」がありま す。 現役時代に勤務していた事務所が、愛宕にあったこともあり前を通る程度の面識はありました。 いい機会なので、増上寺を中心とした芝公園四丁目をじっくりと探索したいと思います。 芝公園は、明治6年の太政官布達により日本で最初の公園として指定された上野、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で 最も古い公園の一つです。 9時15分に、都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅に降り立ちました。 赤羽橋口出口の上を首都高速都心環状線が走り、まさに大都会の真ん中という感じです。 快晴ということもあり、赤羽橋の交差点からは、東京タワーが綺麗に眺められました。 ![]() ![]() ![]() 赤羽橋駅赤羽橋口 上を首都高速が走る 赤羽橋交差点からの東京タワー 交差点を渡り東へ少し進むと、妙定院の端に「災除地蔵尊」を祀る一角がありました。 ![]() ![]() 災除地蔵尊 同 拡大画像 テニスコートの西隣りにある「妙定院」は、芝増上寺の山内寺院として由緒をもち家重公の霊牌所として創建された 都心の名刹の墓苑です。 現在は解体修理中で、墓地の一部を覗かせて頂くに留まりました。 ![]() 解体移築修理工事の看板 ![]() ![]() ![]() 墓地入口の石造 同 拡大画像 観音像 同 拡大画像 台石に石仏の彫り物 ![]() ![]() ![]() 墓地正面の地蔵菩薩像 同 剥落した地蔵像 同 供養塔に彫られた地蔵像 ![]() 同 宝塔 赤羽橋交差点まで戻り、東京タワーの東を走る愛宕通りを北進すると、港区七福神の弁財天を祀る「三縁山宝珠院」 があります。 本殿を中心に、右に「妙見堂・水舎・地蔵堂・石仏」、左に「閻魔堂・弁天堂」がコの字型にこじんまりと配置され ています。 大きな「カエルとヘビの石造」が、生々しく不気味でした。 ![]() ![]() ![]() 全景 本殿 水舎 ![]() ![]() 妙見堂 百度石 ![]() ![]() ![]() 地蔵尊像 地蔵尊像 地蔵尊像 ![]() ![]() 地蔵堂 同 拡大画像 ![]() ![]() カエルの石造 ヘビの石造 ![]() ![]() ![]() 閻魔堂 同 高さ2m余りの閻魔大王象 弁天堂 東京プリンスホテルとの境の通りを、日比谷通りに向け東進しました。 ![]() 増上寺の北側の通り 日比谷通りの手前で、増上寺鎮守として東北の鬼門に造られた「熊野神社(ゆやじんじゃ)」にでます。 水舎の正面に、熊野所縁の大きな八咫烏が彫られていました。 ![]() ![]() 明神型鳥居 お社 ![]() ![]() 水舎 同 拡大画像 八咫烏の彫り物 日比谷通りに出ると、増上寺のつなぎ塀が三解脱門まで続いています。 まずは、日比谷通りを渡り約200m先、増上寺の表門にあたるコンクリート製の「大門」を潜ります。 かつては大門の所まで増上寺の境内で、ここから参道が始まっていました。 ![]() ![]() つなぎ塀 大門 大門のの正面には、浄土宗の七大本山の一つ 江戸の裏鬼門(南西)を護る徳川幕府要のお寺「三縁山広度院増上寺」 の三門が見えています。 (因みに、江戸城の鬼門(北東)の守護は、上野「寛永寺」です。) ![]() 境内Map 徳川家の菩提寺で、徳川将軍6人の墓所とその家族の墓所があります。(2代 秀忠公、6代 家宣公、7代 家継公、 9代 家重公、12代 家慶公、14代 家茂公、江姫・和宮・桂昌院など) 近づくにつれ、東京都内最古の建築物にして東日本最大級を誇る「三解脱門(三門)」に目を奪われます。 三門は、増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されていま す。 この門をくぐると、三毒=3つの煩悩(むさぼり・いかり・おろかさ)から解脱できるとされ、邪心を祓い、 心を清めるスポットです。 ![]() ![]() 三解脱門 (三門) 寺院名碑 元和八年(1622) 造立 三門を潜ると、左側には ホテルニュージャパン罹災者慰霊の「聖観世音菩薩」・「詠歌発祥の地碑」・徳川将軍家 霊廟建築を伝える数少ない遺構のひとつ港区登録有形文化財の「水盤舎(手水舎)」・ハサミ供養の「聖鋏観音碑」 が並びます。 ![]() ![]() ![]() 聖観世音菩薩像 詠歌発祥の地碑 同 拡大画像 ![]() ![]() ![]() 水盤舎 聖鋏観音像 同 拡大画像 右側には、芝大神宮界隈を管轄した町火消しの殉難者供養の「め組碑」・ 港区登録有形文化財の「銅鐘」・宝篋印塔 を載せた「写経塔」が並びます。 「銅鐘」は、江戸三大名鐘の一つで 高さ約3.3m・直径約1.8m・重さ約15tもある大きな鐘です。 ![]() ![]() ![]() め組供養碑 め組碑 最近の石灯篭 享保元年(1716) 造立 ![]() ![]() ![]() 南無阿弥陀仏の石碑 鐘楼堂 同 銅鐘 延宝元年(1673) 造立 ![]() 写経塔 三門から約90m先 境内の正面に聳える「大殿(本堂)」は、昭和四十九年伝統的な寺院建築様式の中に現代建築の 枠を結集して再建されました。 荘厳な内部は西方極楽浄土を表しています。 大殿をバックに、大迫力の東京タワーが見えます。 大殿の左には、浄土宗の開祖法然聖人の幼少像が配置されています。 ![]() ![]() 大殿側より三門 三門側より大殿 ![]() ![]() 大殿 青銅の幼少の法然上人像 大殿の右側には、家康公が深く信仰した黒本尊と呼ばれる由緒ある阿弥陀如来像を安置する「安国殿」があります。 ![]() ![]() 安国殿 同 秘仏 阿弥陀如来像 (転写) 安国殿の裏手に「徳川家霊廟」があります。 徳川家墓所の港区登録有形文化財「鋳抜門」は、唐様の青銅製で両袖塀には昇り龍と下り龍が鋳抜かれ、門扉には 10個の葵紋が施されています。 徳川家霊廟の左前に、鎌倉時代に造立された 港区登録有形文化財の「普賢菩薩・地蔵菩薩・虚空蔵菩薩・文殊菩薩 の四菩薩像」が並んでいます。 この四菩薩像は、西向観音に対し東向にあるので「東向観音」ともいわれるそうで す。 ![]() ![]() ![]() 鋳抜門 同 葵紋 同 龍の彫 ![]() 舟形石 ![]() ![]() ![]() 東向観音 四菩薩像 同 左より 文殊菩薩像 正嘉二年(1258) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 虚空蔵菩薩像 同 地蔵菩薩像 同 普賢菩薩像 安国殿の右側に、華々しい西向観世音の門と「、江戸札所第二十一番西向観音の石碑」があります。 門を潜ると、直ぐ右手にお堂があり 港区登録有形文化財の「西向観音像」が祀られていました。 そしてその周りには、赤い帽子や涎掛けをつけた可愛らしい水子供養の「子育て招福地蔵尊(千躰子育地蔵尊)」が 増上寺北側一杯に並んでいます。 子どもの無事成長・健康を願い、1975年頃から奉納され始めた地蔵群で、今で は1,300体にもなっています。 ![]() ![]() 西向観世音の門 西向観音の石碑 ![]() ![]() 観音堂 同 西向観音像 ![]() ![]() ![]() 千躰地蔵尊の石碑 塀に沿って並ぶ地蔵像 どの地蔵も可愛らしいお顔 ![]() ![]() ![]() 青銅の観音像 地蔵菩薩像 観音菩薩像 ![]() ![]() 観音菩薩像 地蔵菩薩像 日比谷通りの三門の左手に、黒門と呼ばれる区指定有形文化財の「増上寺旧方丈門」があります。 現在は、通用門 となっています。 黒門を入って左手に「経蔵」があります。 非公開でしたが、蔵中に設置された八角形・極彩色の書架・大輪蔵は、 日本一の大きさとのこと。 ![]() ![]() 旧方丈門 経蔵 更に進むと、二代将軍秀忠の霊廟に入る南廟の正門「旧台徳院霊廟惣門」があります。 阿吽の金剛力士像を左右に 配置し、一人超然と建っているのが見事に映えます。 ![]() ![]() ![]() 旧台徳院霊廟惣門 同 阿吽の仁王像 パークタワーよりの惣門 更に進むと都営三田線芝公園駅の手前に、 日光・上野・久能山に並んで四大東照宮と云われる「芝東照宮」があり ます。 ![]() ![]() ![]() 神社名碑 和風獅子型狛犬 ;;明神型鳥居 ![]() ![]() ![]() 水舎 不動明王像 拝殿 東照宮を直進すると、芝公園都営テニスコートが見えてきました。 1時間20分程度の散策でしたが、早い時間にも拘らず温度が高く軽く汗ばんでいました。 テニスにとっては、丁度良いウォーミングアップになったのではないでしょうか。 ![]() |