椎名町 石仏巡り


 今日は終日雨の予報でしたが、東の空を眺めると雲が薄くなり明るさが増してきました。
 急遽、西武池袋線椎名町付近の寺院・神社を訪問することを思い立ち、デジカメを手にして家を発ちました。
 駅の付近には、椎名町という地名はありません。 江戸時代の地名の名残なのだそうです。
 昭和23年の「帝銀事件」は、椎名町駅北口 (長崎神社の西側) にあった帝国銀行 (現三井住友銀行) 椎名町支店で発生
 しました。


 西武池袋線椎名町駅に10時到着。 家を飛び出て20分の近さです。

 
             椎名町駅 


 駅北口を出て直ぐの線路傍に、西武線の車窓から見える派手な造りの「長崎不動尊堂」があります。
 金剛院参道の一角 小さく区画された社域のお堂の前に、「道しるべ地蔵尊像」が安置されています。
 この地蔵尊は道標を兼ねていて、その右には「北 下坂橋道」、左には「南 ほりの内道」と陰刻がされています。
 中山道の板橋仲宿方面、又厄除けお祖師さまの堀ノ内妙法寺へ参拝する人の道しるべになっていたようです。


 
             不動堂                道しるべ地蔵尊像              南無観世音菩薩像    
                             寛政三年(1791) 造立       
 
            拝殿                拝殿内 不動明王像


 お堂横の参道の先には、御府内八十八ヶ所 第七十六番目札所「蓮華山金剛院仏性寺」があります。
 薬医門様式の山門「赤門」が鮮やかです。
 さほど広くはない境内に、多くの宝篋印塔が点在していたのが印象的でした。


 
         長崎不動尊堂と参道                赤門
 
          四方仏の灯篭                同 拡大画像                二基の板碑 
 
       青面金剛像の庚申塔            馬頭観世音の石碑         左の板碑には阿弥陀如来像が陰刻
       宝永四年(1707) 造立            明治十年(1877) 造立          永享十二年(1440) 造立
 
         宝篋印塔1                 宝篋印塔2               宝篋印塔3
 
         宝篋印塔4                  救世観音像                宝塔
 
         五層の石塔                五層の石塔                田の神像

 境内の中ほどに、「弘法大師修行像」があり、それを囲むように、地名が記された石柱が4本立っています。
 これらの柱は、弘法大師が修行の場とされた四国八十八か所の霊場を「阿波:発心の道場」「土佐:修業の道場」
 「伊予:菩提の道場」「讃岐:涅槃の道場」の四国に分けて表したもので、石柱の下にはそれぞれの霊場のお砂が
 納められています。


 
        青銅の弘法大師修行像            阿波・土佐の石柱              伊予・讃岐の石柱
 
             仏舎利塔                 大師堂            同 興教大師・弘法大師・専誉僧正像
 
            本堂              およそ1億年前の木の化石            一石二仏
 
         本堂横の無縁塔               同 中心仏 聖観音像              十三層の石塔
                            宝永五年(1708) 造立 
 
        二体の如意輪観音像            左) 如意輪観音像 元禄年間           大小二体の地蔵尊像
     左) 元禄八年(1695) 造立        中央) 一石二仏
     右) 延宝二年(1674) 造立         右) 如意輪観音像 享保年間
 
        本堂裏の無縁塔            同 中心仏 地蔵菩薩像             馬頭観世音の石碑 
 
        墓地前の地蔵像               同 左より 地蔵菩薩像               同 六地蔵像
                            宝暦三年(1753) 造立           元文元年(1763) 造立
 
        同 地蔵菩薩像                 同 地蔵菩薩像               宋風獅子型狛犬
      享保十三年(1728) 造立


 金剛院の西隣りに、長崎村の鎮守「長崎神社」の大鳥居が聳えています。
 比較的広い敷地のなかに大木があり、駅前なのに清々しく気持ちの良い空間でした。
 一之鳥居・二之鳥居付近の狛犬は、大正から昭和初期の造立ながら、剥落が進行しているように見えました。


 
        明神型一之鳥居            鳥居横 宗風獅子型狛犬  
        大正六年(1917) 造立          大正六年(1917) 造立
 
       明神型木造二之鳥居             鳥居前 宗風獅子型狛犬           長命水とある水舎
                            昭和三年(1928) 造立
 
            灯篭                 和風獅子型狛犬                拝殿
        寛政六年(1794) 造立          昭和五十九年(1984) 造立

 拝殿の左側に、境内社「小柳稲荷神社」がありました。


 
            明神型一之鳥居             神明型二之鳥居
 
        左右のお狐さま                  お社

 拝殿の右側に、末社「長崎招魂社」がありました。


 
         神明型鳥居                  お社


 八幡神社に向かう途中、秋月庵と看板を掲げた造園店の前に、珍しい「魚藍観音像」が安置されていました。

           
 
             造園店                  魚藍観音像          
  

 長崎神社から400mほど北に、長崎神社の境外末社「長崎八幡神社」がありました。
 社殿・水舎・鳥居・狛犬の全てが、まだ新しい造立のようです。


 
            明神型一之鳥居              長崎八幡神社の石碑               水舎
 
            神明型二之鳥居              和風獅子型狛犬                 拝殿
       大正九年(1920) 造立 


 帰りは「仲町商店街」を南下し、椎名町駅北口に戻りました。

 
 
         仲町商店街     



 駅に着いたと同時に、明るかった空が一転俄かにかき曇り、スコールのような豪雨に見舞われました。
 この豪雨も、中村橋駅に到着する頃には小止みになり、濡れることなくラッキーでした。