巣鴨寺院 石仏巡り |
2005年7月に中山道を歩いた折は真生寺から旧道に入りましたが、この時の調べの段階で、国道17号を直進すると 染井霊園周辺から西巣鴨にかけてかなりの寺院が集中していることを知りました。 また、其々の寺院に多くの著名人のお墓があることも分かり、今回はこの点を中心に計画を立てました。 書棚の「江戸・東京 歴史の散歩道4」(街と暮らし社編) に、染井霊園・周辺寺院に眠る著名人の概要が載っていまし たので参考にさせて頂きました。 JR山手線巣鴨駅北口に降りたったのが10時10分でした。 ![]() JR巣鴨駅北口 白山通りを北へ400m往くと、都営霊園の中では最も規模が小さいといわれる「染井霊園」があります。 この墓地には、数々の幕末関係者や著名人のお墓があるということでしたが、時間の関係で関心のある方のお墓に絞り ました。 「高村光雲・光太郎・智恵子のお墓」は、想像していたよりも随分質素でしたので、何度も探し回ってしまいました。 通りすがりの方に、何度か高村光雲のお墓を訊ねられました。 ![]() ![]() ![]() 染井霊園入口 高村光太郎の墓 岡倉天心の墓 霊園内を突っ切り500m程進むと、振袖火事の火元と言われてきた「徳栄山總持院本妙寺」があります。 参道脇の墓碑案内を頼りに、「遠山の金さん 遠山影元のお墓」「北辰一刀流 千葉周作のお墓」「本因坊歴代のお墓」 「将棋棋聖 天野宗歩のお墓」を参りました。 本堂右側には、「明暦大火供養塔」もありました。 ![]() ![]() ![]() 山門 本堂 鐘突き堂 ![]() ![]() ![]() 十三層の塔 玩具涅槃図の石碑 宝篋印塔 ![]() ![]() ![]() 法界万霊無縁塔 同 拡大画像 本因坊歴代のお墓 ![]() ![]() ![]() 袁山金四郎のお墓 天野宋歩のお墓 千葉周作のお墓 ![]() ![]() 明暦の大火供養塔 同 拡大画像 地蔵菩薩 本妙寺の前を東に行くと染井墓地ですが、更に北に100m行くと「正寿山慈眼寺」があります。 通りを隔てた墓地には、「芥川龍之介のお墓」と「江戸時代の画家 司馬江漢のお墓」があります。 芥川龍之介のお墓の石は、生前愛用していた座布団と同じ寸法で設計されているそうです。 生前にご自身で設計した ものだとか。 ![]() ![]() ![]() 朱塗りの山門 朱の本堂 念仏塔 ![]() ![]() ![]() 左が芥川龍之介のお墓 同 拡大画像 司馬江漢のお墓 慈眼寺の前の染井霊園との境の道を200mほど道なりに進み、道しるべの寺院名碑を右折すると、田沼意次のお墓が ある「萬年山勝林寺」があります。 お寺というよりは庵の雰囲気を漂わせていました。 門前で失礼させて頂きました。 ![]() ![]() ![]() 道しるべの寺院名碑 山門右のお堂 山門 ![]() ![]() ![]() 寺院名碑 山門左のお堂 お堂脇に石仏群 更に、塀に囲まれた細い道を南下し染井霊園を左折すると、墓所の奥に「法林山蓮華寺」があります。 ![]() ![]() 塀に囲まれた細道 蓮華寺本堂 蓮華寺に隣接して「正業山専修院迎接寺」があります。 門碑の脇に、無縁塔が配置されていました。 ![]() ![]() ![]() 本堂 無縁塔正面 無縁塔左側面 墓地に沿って道なりに進むと大きな道にでます。 右折すると染井霊園の入り口に向かう二又路になっています。 この角に、舟形の石碑に六体づつの地蔵が2段に刻まれた「十二地蔵石碑」があります。 石碑の上部の模様は、享保の大火を描いた炎や煙を思わせます。 ![]() ![]() ![]() 左が染井霊園、右が専修院 十二地蔵石碑 同 拡大画像 再び染井霊園に入り、1時間ほど前に訪れた本妙寺の前を横切り、西巣鴨方面に歩を進めます。 目印となる「法福寺」横の細い道を200m程進むと「ハ禅寺」の裏手に出てしまいました。 ![]() 目印の法福寺 小学校の脇道を迂回し朝日通りに出て、中華風朱塗りの二層門が鮮やかな「松竜山ハ禅寺」別名 赤門寺 に着きました 。 本堂裏の墓地には、「手塚治虫のお墓」と「鉄腕アトムの石碑」があります。 ![]() ![]() 朱の山門 本堂 ![]() ![]() 手塚治虫のお墓 鉄腕アトムの石碑 隣接して、鉄筋コンクリート2階建の近代的な本堂を有する「竜渕山白泉寺」があります。 境内には、福徳智恵を万倍にして下さると伝えられる境内社「万倍稲荷大明神社」があります。 ![]() ![]() ![]() 朝日観音霊場の石碑 本堂 境内中央に如意輪観音像 ![]() ![]() ![]() 宝篋印塔 ロウソクに見立てた文字等 祠に入った地蔵像 ![]() ![]() 神社裏に地蔵像 神社前に宝篋印塔 ![]() ![]() ![]() 万倍稲荷大明神社 同 お社 同 お狐さま 朝日通りを200m北上し、都電荒川線の踏切を越えると、四谷怪談で有名なお岩さまのお墓がある「長徳山妙行寺」 です。 門前に「お岩様之寺妙行寺」と彫れた立派な石碑が目につきますが、境内にも「四谷怪談/お岩様の寺」と彫られた 自然石とか、「四谷怪談お岩様之寺」と印刻された道標 (右に「明治四十二年四谷鮫ケ橋より移設」左に「長徳山妙行 寺これより北へ二丁」の印刻あり) があります。 お岩さまは、実在した人物で妙行寺の檀家だったそうです。 ![]() ![]() ![]() 妙行寺門前 寺院名碑 お岩様の寺と彫られた自然石 ![]() ![]() ![]() 四谷怪談お岩様之寺の道標 本堂 子育地蔵尊像 ![]() ![]() ![]() 三重の塔 うなぎ供養塔 お岩様のお墓入り口の鳥居 ![]() ![]() ![]() 百度石 多重塔の形をしたお岩さんの墓 婚家田宮家の墓所 隣接して、別名えんま寺の「薬王山延寿院善養寺」があります。 江戸三大閻魔の一つという、高さ3mに及ぶ豊島区指定有形文化財の「木造閻魔王坐像」が本堂に祀られています。 本堂の扉に近づくと、センサーで閻魔大王像がライトアップされ迫力満点でした。 本堂の裏手墓地の中に、「尾形乾山のお墓」を見つけました。 ![]() ![]() ![]() 寺院門碑 三袁の庚申塔 えんま大王の石碑 ![]() ![]() ![]() 閻魔堂 同 堂内 閻魔大王像 茶釜塚 ![]() ![]() ![]() 一石六地蔵像と二体の地蔵像 同 一石六地蔵像 四体の延命地蔵像 ![]() ![]() ![]() 六地蔵像 四匹のお狐に守られる石祠 尾形乾山のお墓 善養寺の直ぐ隣が「長仙山清厳寺」です。 本堂の脇に、墓地までの塀沿いに石仏がひしめいていました。 ![]() ![]() ![]() 本堂 三体の地蔵像 地蔵像と石仏群 左) 元禄十三年(1700) 造立 中) 明暦三年 (1657) 造立 ![]() ![]() 地蔵像と如意輪観音像 水盤とお狐さま 共に 元禄十三年(1700) 造立 ![]() ![]() ![]() 三界万霊無縁塔 右側面の石仏群 左側面の石仏群 清厳寺を左折して直ぐ、非常にシンプルな感じがする「安同山和順院良感寺」があります。 ![]() ![]() ![]() 本堂 無縁塔 七層の石塔 良感寺を170m西に進むと、白山通りに出ます。 巣鴨駅方面に100mほど進むと、細い路地風の道の左側に鉄筋コンクリート でなかなかデザインが洗練されている 「弘願山専称院西方寺」があります 西方寺は江戸時代 吉原の近くにあり、無縁仏となっていた吉原の遊女の供養をするために建立されたとのことです。 ![]() ![]() ![]() 本堂 印章塚 現代の道祖神 ![]() ![]() ![]() 四方仏の七層の石塔 同 四方仏 拡大画像 インド風の石神象 ![]() ![]() ![]() 六地蔵像 無縁塔 右側面の石仏群 ![]() ![]() ![]() 投げ込み寺と刻された燈篭 二代目 (万冶) 高尾太夫の墓 高尾塚 ![]() ![]() 供養の地蔵像 お堂横の地蔵像 隣接して、「講安寺墓所」です。 墓地からは、盛雲寺の本堂がよく見えます。 ![]() ![]() 講安寺墓所 墓所から見た盛雲寺本堂 隣が、江戸時代の町火消し・侠客として知られた新門辰五郎のお墓がある「三宝山歓喜院盛雲寺」です。 新門辰五郎のお墓は、見つけづらかった為パスしました。 ![]() ![]() 山門 本堂 ![]() ![]() 境内の石仏 二体の地蔵菩薩像 白山通りと交差する都電荒川線と平行に走っているのが「お岩通り」で、約200m先のお岩様之寺妙行寺へと続いて います。 ![]() ![]() 都電荒川線 新庚申塚駅付近 白山通りとお岩通りの交差 ここから白山通り (中山道) を一直線に1000m余り進むと、終着地点のJR山手線巣鴨駅に出ます。 ![]() ![]() ![]() 旧中山道との分岐点 真性寺付近 白山通り 巣鴨方面 JR巣鴨駅 JR山手線巣鴨駅に戻り着いたのが13時20分ですので、3時間強の巡行でした。 巣鴨駅から駒込よりの染井霊園と付近の寺院を巡り歩いて、白山通り西巣鴨辺りまでの距離が3Km余り、西巣鴨から 白山通りを巣鴨駅までUターンし2Km足らず、延べ5Km程度の比較的短い歩行でしたが、 実際には寺院周り・お墓の中を徘徊した距離もかなりのもので、結構疲労も大きかったでした。 ただ、23℃微風快晴の絶好の日和に助けられ、今回も心地よく寺院巡りが出来ありがたく思います。 今回は、著名人のお墓も鑑賞ポイントでしたので、各お墓付近に立札が整備されていたのは、大変巡り易かったと思 います。 ![]() |