豊島富士塚巡り

 「東京街角/お地蔵・稲荷・石塔めぐり」(佐藤テツ著)の文中に、「東京メトロ」・要町駅界隈には多くの庚申塔
 が建っている。幹線道に面した庚申塔、住宅街の路傍にたたずむ庚申塔などなど。国の重要文化財にしていさ
 れている富士塚などもあり、ゆたかな「石の文化」を楽しめる。」の一節があり心惹かれました。
 特に、数少ない国指定文化財の富士塚の一つ「豊島長崎の富士塚」には一度訪れたいと願っていましたので、
 池袋西部の千川・要町・千早・高松地区の石仏巡りの企画を建てました。
 交通の便を考慮して、西武池袋線東長崎駅を起点としました。


 私の最寄り路線の西武池袋線東長崎駅を出発したのは9時30分です。
 東急ストアの横を左に進むと、都道420号線に出ます。

 
          東長崎駅 北口           駅付近の東急ストア前の通り          都道420号線


 都道420号線を北東に進むと、豊島長崎六郵便局があります。
 郵便局を左に入り、直ぐの角を左へ曲がると庚申塔が見えます。

 

 
        豊島長崎六郵便局             庚申塔の一角


 東長崎駅から700mで、「長崎六丁目の庚申塔」に巡り会いました。
 元は千川上水(千川通り)沿いにあり、板橋道と中野道の道標を兼ねてとのことで、左側面に「左ゑかの」、
 右側面に「右いたばし」と陰刻がありました。

 
       青面金剛像の庚申塔              同 拡大画像             左右側面に道しるべ
                           安永三年(1774)造立


 都道420号線に戻り「千川の庚申塔」を目指します。
 ガイドにあった千早高校付近を隈なく捜しましたが、とうとう見つけることが出来ませんでした。
 気を改めて、次の目的地に進みます。
 都道441号線の交差点を右折し、南東へと進みます。


 

       再び都道420号線          目印の一つ千川親水公園付近
 
       都道441号線に合流          東京メトロ有楽町線千川駅
 

 長崎六丁目の庚申塔から1,200mで、ひっそりとした空間の「粟島神社」がありました。
 鎌倉時代末期に罔象女(水の神)を祀ったという伝えがあります。

 
         粟島神社               ふくろうの石像              不老門の石碑
 
       二宮金次郎の石像              明神型鳥居                 手水舎
 
          境内                    社殿


 粟島神社を東に進み都道441号線を渡り直ぐに北上すると、400mで「榛名神社」がありました。
 静かな住宅地の中に溶け込み、見落とすところでした。

 
           榛名神社                明神型鳥居                社殿



 一旦遠回りして、
板橋七福神の布袋尊「西光寺」を目指します。
 北へ進むと板橋高校に突き当たります。 高校の東角を左折し、住宅街をくねくねと北へ進むと都道420号線に出
 ます。 都道420号線を突っ切りさらに北に進みます。
 
 
         板橋高校                都道420号線             住宅街を北へ進む



 
左側の角に 覆屋があり、「西光寺南路傍の地蔵」が安置されていました。

      
          地蔵の覆屋                同 地蔵菩薩立像
                             延享五年(1748) 造立



 道路をはさんだ向かい側のブロック塀の前に、「二基の庚申塔」が安置されていました。

           
        二基の庚申塔                 庚申塔1           庚申塔2
                           延宝五年(1677) 造立      貞享二年(1685) 造立



 通りの正面に、豊島八十八ヶ所霊場の80番 板橋七福神の布袋尊を祀る「宝樹山盛徳院西光寺」の山門が見えます。
 榛名神社から1,100mもかかりました。
 本堂の右側にお堂があり、区内唯一の中世(室町時代)の石仏 板橋区登録有形民俗文化財の「しろかき地蔵」が安
 置されています。

     
          山門                   本堂             同 堂内 布袋尊像 (転写)
 
         しろかき地蔵のお堂             同 拡大画像
 
        聖観音菩薩坐像               六地蔵像
       宝暦四年(1754) 造立            明和三年(1766) 造立
 
          墓所の入口                  石仏群
 
       大山不動尊の供養塔              同 不動明王像



 西光寺北西の五差路角に、「二基の庚申塔」が安置されていました。

 
       西光寺角の五差路               二基の庚申塔           同 三猿の庚申塔・青面金剛像の庚申塔
                                          元文三年(1738)造立 享保十六年(1731)造立



 Uターンして、富士塚に向かいます。 都道420号線を渡り、南東に進みます。

 
          都道420号線


 途中、大谷口1丁目四つ角ののブロックの前ごみ置き場横に「二基の石碑」が安置されていました。
 道標の右側面には、「右 あら井やくし道 / 左 奈加丸みち」と陰刻がありました。

         
          二基の石碑             同 馬頭観世音の石碑       同 道路改修記念碑・(右側面)道標
                        明治二十三年(1890) 造立          明治四十年(1907) 造立



 板橋高校通り北東の五差路の交差点角に、「庚申塔」が安置されていました。

      
         五差路の交差点               角に庚申塔          同 青面金剛像の庚申塔
                                             安永五年(1776) 造立



 交差点を南へ直進、富士塚に向かいます。
 目的地付近までは順調に来たのですが、住宅密集地のなかそれらしき雰囲気がまるでありません。

 
       
  富士塚付近               富士塚付近         小さな路の向こうに鳥居らしきものが  


 西光寺から1,100mで、「富士浅間神社」に辿り着きました。
 神社と富士塚の前面は児童公園になっていて遊具が置かれていました。
 社殿は閉扉されていて、参拝はかないません。

 
       児童遊園の一角に神社             手水舎                 明神型鳥居
 
       保護されている石塔籠            閉扉されている              浅間神社 社殿
 
       奥に境内社 三峰神社             同 神社名碑

 富士浅間神社の隣に、金網で囲われて国指定重要民俗文化財「豊島長崎の富士塚」がありました。
 高さ8m・直径21mで、表面は富士山の溶岩で覆われているようです。
 塚を荒らされたり、重文指定となったりで、昭和末期にフェンスが張られ、以来立ち入り禁止となっているよ
 うです。
 頂上の石祠をはじめ、太郎坊大権現碑・亀岩八大龍王神碑・月三講の講碑・同行碑・登山道の合目石・手水鉢
 など50基にも上る石像物が配置されているようです。
 都区内にある江戸時代築造の富士怩フ中では、原形を最もよく保ち庶民信仰の様相を示すもののようです。

 
 ---------------------------- 金網に囲まれる富士塚  ----------------------------
 
         神明型鳥居               6個の力石                登山道
 
         山頂の石祠           同行碑・月講(椎名町元講)の講碑          永田講の講碑
 
     富士登山三十三度大願成就の記念碑        南無妙法蓮華経の石碑
 
        左手に小天狗像            太郎坊大権現の石碑             右手に大天狗像
 
        月三講の講碑               不動明王像             大日如来像(頭部が欠損)
 

      講(椎名町元講)の講碑            青面金剛像              地蔵菩薩像・大日如来像
 
            二合目石                  三合目石                 五合目石
 
            九合目石              山頂 釈迦如来坐像 (転写)          山頂 大日如来像 (転写
)


 富士浅間神社から東へ、2つの庚申塔を探しに奔走しました。
 Map上はそんなにも難しい立地ではないように見えましたが、実際は変形の路に翻弄され1つの庚申塔は断念
 しました。 道を尋ねた方は、「この辺りはへび道と言って古い住人にも判らない場合がある。」とのこと。
 1Km以上は無駄足を踏んだでしょうか。諦めて次の目的地へと向かいます。


 
         迷路で出会った石碑            同 拡大画像


 高松の庚申塔から150m、今度は順調に高松の鎮守「高松柳稲荷神社」に到着しました。
 神社の角に「子育て地蔵尊の小舎」があります。
 神社の脇は社交場のような雰囲気で、お年寄りが4〜5人団欒していました。


 

         神社角に小舎             子育地蔵尊の小舎              同 拡大画像
                                                  延享四年(1747)造立
 
         明神型鳥居                手水舎                 お稲荷さま
 
          拝殿



 高松柳稲荷神社から北東へ500m、板橋七福神の一つ大黒天を祀る「医王山西光院薬圓寺」に着きました。
 豊島八十八ヶ所霊場の82番札所でもあります。
 整然とした参道の中ごろに、一対の「青銅の仁王像」が配置されています。 

 
         寺院門碑                阿弥陀佛の石碑            弘法大師霊場の石碑        
 
          参道               一対の青銅の仁王像               山門

 山門を潜ると、左側に石仏が並び法眼堂・薬師堂・本堂へと続きます。

 
         山門の左側                石仏群                同 地蔵菩薩像  
 
       同 三体の地蔵菩薩像          同 如意輪観音像と地蔵菩薩像           同 地蔵菩薩像
 
        同 地蔵菩薩像                無縁塔                同 拡大画像
 
        青銅の聖観音像         南無大師遍照金剛像と興教大師像         青銅の水子地蔵像
 
          法眼堂               同 たぬきの石像(?)              同 石祠
 
          同 社殿                 宝篋印塔                 手水舎
 
          薬師堂                 石灯籠                咲き誇るボタン
     
          本殿                山門の右側 鐘楼               大黒天像
 
 
 南に進むと、つけ麺元祖の大勝軒があり食欲をそそりましたが、横目に見て先を急ぎました。
 やがて、首都高速中央環状線の高架が見えてきました。 下を走るのは都道317号線(山手通り)です。
 
山手通りから、「南町庚申通り商店会」「えびす通り高松商店会」「えびす通り仲見世商店会」「えびす中通り商店
 会」など豊島区要町まで商店街が連続し、その所々には庚申塔・地蔵尊などが祀られていとのこと。
 
 
    上を走るのは首都高速中央環状線



 西光院から400mで、山手通りに面した南町庚申通り入口に「南町の庚申塔」が祀られていました。
 祀られている青面金剛像の頭部には、珍しく大蛇がとぐろを巻いていました。

 
       マルエツの南西角              庚申塔の小堂
 
      同 青面金剛像の庚申塔          頭部に大蛇が巻いている
       宝永五年(1708)造立

 
 山手通りの脇に続く南町庚申通りを、西へと進みます。
 やがて南北に走るえびす通り(旧長坂道)に出ました。
 南町庚申塔から400m、えびす通り沿いに「高松二丁目の庚申塔」が祀られています。

 
       えびす通り沿いに小堂          青面金剛像の庚申塔の小堂              同 拡大画像
                                                  享保六年(1721)造立


 更に、えびす通りを100m進むと「要町一丁目の延命地蔵尊」が祀られています。

 
    えびす通りを入ったところに小堂         延命地蔵尊の小堂               同 拡大画像
                                                享保元年(1716)造立



 延命地蔵から400m西へ進むと大山道の旧道にでます。
 道路沿いに、
「要町二丁目の庚申塔」が祀られています。
 珍しく、庚申塔の隣にひび割れた石の賽銭箱が配置されていました。


 
         庚申塔の小堂          同 青面金剛像の庚申塔と賽銭箱            同 拡大画像
                                                 宝暦十二年(1762)造立

 


 旧大山道を南へ進むと、都道441号線に出ます。
 要町二丁目交差点を渡り南へと進みます。

 
       要町二丁目交差点              都道441号線             御堂の立て看板が



 要町二丁目庚申塔から500m、地蔵大菩薩御堂」に着きました。
 この付近に、「子育て地蔵」「子安観音」が祀られていると言うことでしたが見当たりませんでした。


 
        地蔵大菩薩御堂               地蔵菩薩像             馬頭観世音の石碑
 

          鋪石建立塔             子育て地蔵尊の小堂             同 子育て地蔵像
                                               正徳四年(1714)造立


 子育て地蔵の御堂西へ700m進むと、「西向不動のお堂」がありました。
 西向とは、西を向いていると言うわけではなくこの辺りの地名のようです。
 隣が喫煙スペースになっているようで先客がいましたが、撮影の間スペースを空けてくれました。


 
        通り沿いにお堂             西向不動のお堂              宋風獅子型狛犬
 
         お堂内部                
不動明王像    


 更に西へ250m進むと、墓地の南東角に「長崎三丁目の庚申塔」がありました。
 小堂には、二基の庚申塔が祀られています。
 青面金剛像は、時代相応に剥落が進んでいます。


 
        墓地の角に小舎               庚申塔の小舎        同 三猿の庚申塔と青面金剛像の庚申塔
                                          寛文三年(1662)造立 延宝八年(1680)造立


 更に100mほど進み、個人宅の門に「観音堂」の表札を見つけました。
 金剛院の境外仏堂とのことですが、一般の墓地と代わりがないように見受けられました。
 墓地を覗かせて頂くと、「三猿の庚申塔」が配置されていました。

 
       民家に観音堂の表札             三猿の庚申塔              菩薩像の石塔
                            元禄十五年(1702)造立
 
          石仏群                同 地蔵菩薩像            同 宝塔と地蔵菩薩像


 長崎3、4丁目の長崎十字会商店街付近は、かって小城山と呼ばれていたようです。
 名に由来する小城稲荷神社
を探して、一帯を徘徊しましたが見当たらず断念しました。
 この間に小堂を見つけました。 

 
        道路沿いに小堂


 観音堂から400mで、「小城山観音の馬頭観音」に出会いました。

 
          小堂                 同 馬頭観音像              同 拡大画像
                            明和八年(1771)造立


 このまま帰路に着くのが残念で、再度「千川の庚申塔」を探し求めて千早高校に戻ります。
 途中「千早3丁目の庚申塔」に出会うのを期待しましたが、見つけられず残念。
 千早高校付近を隈なく歩き回りましたが、これまた残念…(-_-;)。
 朝通った都道420号線を遡り、重たい足を引きづりながら東長崎駅へと戻ります。

 
         千早高校                付近の街並み               都道420号線

 小城山観音から2,000m、結果無駄足となりましたが15時30分西武池袋線東長崎駅北口に到着しました。

 
       東長崎の駅前商店街              東長崎駅北口       




 今回、「千川の庚申塔」「高松二丁目の庚申塔」「要町一丁目の延命地蔵」「千早一丁目の子育地蔵」「千早一丁目
 の子安観音」「小城山神社」「千早三丁目の庚申塔」を観賞できなかったことが悔やまれます。
 特に市街地での石仏探索は、建物の変化とか移設により状況が難しくなる場合があるので、拡大地図とか最新の情報
 収集が必要と感じました。
 その代わり、予定を追加して 板橋七福神の布袋尊「西光寺」を巡りましたので、「西光寺南路傍の地蔵及び二基の
 庚申塔」「西光寺北西五差路角の二基の庚申塔」「大谷口1丁目四つ角の二基の石碑」「板橋高校通り北東五差路の
 庚申塔」を観賞することができました。
 約12Kmの歩行でしたが、疲れよりは無念が残る1日でした。