朝霞市の庚申塔巡り2 |
今年3月の「新座・朝霞庚申塔巡り」では 朝霞市を北西~南東に走る東武東上線の西側地区を巡りましたが、今回は東側地区をめぐる計画を立てました。 が…最近の体力を考慮し、市内を北東~南西に走る城山通りの北側に搾り「浜崎・市岡・東弁財地区」の寺院・神社・路傍の庚申塔・地蔵をマッピングしました。 JR武蔵野線朝霞台駅北口ロータリーの北朝霞駅交差点を右折し、東へ一つ目の信号を左折北東へ向かいます。 浜崎公園の左側に、寺院の白塀が見えます。 ![]() ![]() ![]() 朝霞台駅北口 北朝霞駅交差点を右折 一つ目の信号を左折 ![]() ![]() ![]() 北東へ向かう 浜崎公園 寺院の白塀が見える ![]() 白塀沿いに進む 石神井三寶寺の末寺「薬傳山三光院海前寺」です。 やや急な石段を上り、医薬門形式の立派な「山門」をくぐります。 ![]() ![]() ![]() 参道の石段 山門 山門からの眺め 境内右側には、桔梗紋の門扉で囲われた墓所に立派な「宝塔」と二体の「大日如来像(胎蔵界・金剛界)」が安置され、墓所の前には「宝篋印塔」が配置されています。 更に、新旧六基の「馬頭觀世音碑」を祀る「馬頭観音堂」が配置されています。 左から三番目の「馬頭觀世音碑」には、上部に彩色された三面六臂の馬頭観音坐像が彫られています。 更に、馬頭観音堂の右手前に「地蔵菩薩像」少し進んで可愛らしい「六地蔵像」が配置されています。 ![]() ![]() 境内右側の墓所 墓所手前 宝篋印塔 ![]() ![]() ![]() 桔梗紋の門扉で囲われた墓所 同 宝塔 同 大日如来像(胎蔵界・金剛界) 宝暦三年(1753) 造立 ![]() ![]() ![]() 更に右側 同 一対の石灯籠 同 馬頭観音堂 ![]() ![]() ![]() 同 左側二基の馬頭觀世音碑 同 中央二基の馬頭觀世音碑 同 右側二基の馬頭觀世音碑 明治三十三年(1900)・昭和六十一年(1986) 明治四十三年(1910)・明治二十八年年(1895) 不明・文政十三年(1830) 造立 ![]() ![]() ![]() 地蔵菩薩像 同 拡大画像 六地蔵像 正面には、八幡造の「本堂」が建っています。 本堂の前には、一対の「石灯籠」「弘法/興教両大師御遠忌/心願成就塔」青銅の「弘法大師像」「ほほえみ地蔵像」四体の「地蔵菩薩坐像」「大日如来像」「十三層の石塔」などが配置されています。 ![]() ![]() ![]() 一対の石灯籠 本堂 心願成就塔 ![]() ![]() ![]() 弘法大師像 同 拡大画像 ほほえみ地蔵像 ![]() ![]() ![]() 四体の地蔵菩薩坐像 大日如来像 十三層の石塔 更に 浜崎公園前の路を北東に向かい変則十字路を左折すると、神社の石垣が見えます。 石垣の間の石段を上ると、鳥居が見えます。 ![]() ![]() ![]() 変則十字路を左折 神社の石垣が見える 石段を上る 旧村社「浜崎氷川神社」です。 古来 入り江であったとされることから「浜崎」と称されますが、高台であるため水害は少なかったとのこと。 鳥居をくぐり境内に入ると、すぐ左側に境内社の「塩竃神社」が配置されています。 境内には、一対の「獅子山」一対の「石灯籠」左側に「手水舎」が配置されています。 正面には、一対の「石灯籠」の先に八幡造の「拝殿」が建っています。 ![]() ![]() 前景 境内 ![]() ![]() 境内社 塩竃神社 同 堂宇内 塩竃神社碑 ![]() ![]() ![]() 和風獅子型狛犬 同 拡大画像 一対の石灯籠 昭和八年(1933) 造立 ![]() ![]() 手水舎 同 手水鉢 ![]() ![]() 一対の石灯籠 拝殿 社殿の左右に境内社が配置されています。 左奥には、呼び方が異なる二社「御嶽(おんたけ)神社」(本宮は長野県木曽郡王滝村)と「御嶽(みたけ)神社」(本社は東京都西多摩郡)が配置されています。 右奥には、左側に「三社合祀社(熊野神社・稲荷神社・琴平神社)」右側に「護国神社」が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 左奥に境内社 同 一対の石灯籠 同 二基の社殿 ![]() ![]() ![]() 同 御嶽(おんたけ)神社 同 御嶽太々記念碑 同 御嶽(みたけ)神社 ![]() ![]() 右奥に境内社 同 二社が並ぶ ![]() 三社合祀社 明神型鳥居 ![]() ![]() ![]() 同 三社合祀社(熊野神社・稲荷神社・琴平神社) 同 堂宇内 左側社殿 同 堂宇内 右側社殿 ![]() ![]() 護国神社 神明型鳥居 同 一対の石灯籠 ![]() ![]() 同 護国神社 同 堂宇内 社殿 再び路を戻り十字路を往くと直ぐに二又路になります。 右へ進むと、ふじみ野市と朝霞市を結ぶ県道266号浜崎通りに出ます。 道路の向こうに墓地が見えます。 ![]() ![]() ![]() 複雑な路 二又路を右へ 浜崎通りの向こうに墓地 「東薬師堂」です。 三光院の持堂です。(三光院の墓地を中心とした持堂は、ほかにこれから巡る「浜崎の観音堂」「浜崎の地蔵堂」があります。) 境内の左側には、「六基の石塔」(「聖観音菩薩立像」「聖観音菩薩像」「馬頭観音立像」「巡礼供養塔」「青面金剛像の庚申塔」「不動明王立像」「供養塔 」)が並んで配置されています 境内の右側には、「六地蔵の覆屋」が拝殿が配置され 中心仏として「如意輪観音像」が祀られています。 ![]() ![]() 境内 境内の左側 六基の石塔 ![]() ![]() ![]() 同 聖観音菩薩立像 同 馬頭観音立像 同 巡礼供養塔 寛延二年(1749) 造立 寛延二年(1749) 造立 安永五年(1776) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 青面金剛像の庚申塔 同 不動明王立像 同 供養塔 文化五年(1808) 造立 ![]() ![]() ![]() 境内の右側 六地蔵の覆屋 同 六地蔵像 同 中心仏 如意輪観音像 ![]() ![]() ![]() 石灯籠 本堂 同 堂宇内 東薬師堂前の浜崎2丁目交差点を左折し県道266号を東へ向かいます。 セブン-イレブン朝霞浜崎4丁目店の駐車場を右折し、南へ進むと墓地が見えます。 ![]() ![]() ![]() 県道266号を東へ セブン-イレブンの駐車場を右折 墓地が見える 「三光院地蔵堂」です。 三光院の持堂(その2)です。 ![]() ![]() ![]() 前景 地蔵堂 同 堂宇内 来た路を戻る途中、県道266号の向かいにが長屋門が見えます。 ![]() 長屋門が見える 出桁造りで武者窓を備えている「須田家長屋門」です。 門は 出桁造りで武者窓を備えた重厚な長屋門ですが、内側は住居として住まわれているようで現代家屋でした。 ![]() ![]() ![]() 須田家長屋門 同 門の内側は現代家屋 同 前庭 更に東へ向かい、朝霞市役所内間木支所前の変則的な五差路の内間木支所交差点を左へ進むと、二又路の角に覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() 朝霞第三小学校前の歩道橋 内間木支所交差点 二又路の角に覆屋が見える 「浜崎の庚申塔」です。 覆屋には、市内最古の「青面金剛像の庚申塔」が祀られています。 下部には三猿のみが彫られているシンプルな造形です。 ![]() ![]() 庚申塔の覆屋 同 青面金剛像の庚申塔 延宝四年(1676) 造立 内間木支所交差点に戻り、県道266号と分かれて右の路を南へ進むと、紅白の屋根が見えます。 ![]() ![]() 内間木支所交差点に戻る 寺院の白壁 「朝霞念法寺」です。 仏教系新宗教のようで、遠目からでもよく目立つ紅白彩色の「本堂」です。 ![]() ![]() 山門(内側) 本堂 一方通行の道を南東に向かいます。 変則五差路の花ノ木交差点では直進し、南へ向かう朝霞駅東口交差点から朝霞市志木市境を結ぶ県道79号朝霞秋ヶ瀬通りを往きます。 電柱の寺院案内表示に従い右折し、1つ目の角を右折すると寺院門が見えます。 ![]() ![]() ![]() 寺院を振り返る 南東に向かう 変則五差路の花ノ木交差点 ![]() ![]() ![]() 右の県道79号を往く 電柱に寺院案内表示 1つ目の角を右折 「田嶋山永源院冨善寺」です。 境内左側には、「地蔵菩薩立像」と永代供養墓大日堂の前に「ハスの葉のオブジェ」「大日如来像」などが配置されています。 その先の墓地入口には、二体の「地蔵菩薩立像」「宝篋印塔」「聖観音菩薩像」「地蔵菩薩坐像」剥落した「弁財天塔」「青面金剛像の庚申塔」など七基の石仏・石塔が配置されています。 ![]() ![]() 前景 境内 ![]() ![]() ![]() 境内左側 同 地蔵菩薩立像 同 石灯籠 ![]() ![]() 大日堂前 ハスの葉 同 大日如来像 ![]() ![]() ![]() 墓地入口の石仏・石塔 同 地蔵菩薩立像 同 地蔵菩薩立像 延宝元年(1673) 造立 享保十六年(1731) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 宝篋印塔 同 聖観音菩薩像 同 地蔵菩薩坐像 寛保三年(1743) 造立 延享元年(1744) 造立 文政六年(1823) 造立 ![]() ![]() 同 剥落した弁財天塔 同 青面金剛像の庚申塔 明治十五年(1882) 造立 宝暦十年(1760) 造立 ![]() ![]() ![]() 本堂左前 小さな梵鐘 本堂 本堂右横 鮮やかな牡丹 ![]() ![]() ![]() 雪見灯籠 雪見灯籠 織部灯籠 寺院の南西の角を右折し、北西に向かいます。 城山通りの高架を上がって左折し、黒目川に架かる花ノ木橋を渡ります。 岡城跡が公園化した城山公園の向かい側の石垣に、寺院の案内が表示されています。 ![]() ![]() ![]() 北西に向かう 城山通りの高架 高架の石段を上がる ![]() ![]() ![]() 花ノ木橋からの城山公園 黒目川 石垣に寺院の案内表示 「廣澤山本仙寺」です。 寺院の辺りは道路の向かい側が岡城であったことから、かつては岡城を形成する丘陵部の一部であったと考えられます。 やや急な石段を上り、医薬門形式の立派な「山門」をくぐります。 ![]() ![]() ![]() 参道の石段 山門 山門からの眺め 境内の左側には、男性器をかたどった石棒「おしゃくじさま」聖徳太子の像を祀った「聖徳太子堂」などが配置されています。 境内の正面には、朝霞念法寺で観たような紅白彩色の入り母屋造の「本堂」が建っています。 本堂の左前には、四基の「題目塔」が並んで配置されています。 ![]() ![]() ![]() 境内左側 同 おしゃくじさま 同 聖徳太子堂 ![]() ![]() 本堂前 石灯籠 同 四基の題目塔 ![]() ![]() 同 一対の天水桶 本堂 本堂の左側には、境内社の「稲荷神社」が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 本堂左側 稲荷神社 同 明神型鳥居 同 社殿 更に 城山通りを北西に進むと、中央通りと交差する東圓寺前交差点前に大きな寺院名碑が見えます。 ![]() ![]() ![]() 城山通りを北西に 東圓寺前交差点前 寺院名碑が見える 「松光山東圓寺」です。 平安時代に中興されたと伝えられる朝霞市内最古の古刹で、朝霞市において最大規模を誇る寺院とのこと。 長い参道の途中に「東圓寺参道の庚申塔」が配置されています。 更に進むと一対の「石灯籠」が配置されていて、その先に阿吽の「金剛力士像」が睨みを着せ袖塀付き「山門」の前に立ち塞がっています。 ![]() ![]() ![]() 参道 右側に石仏 同 青面金剛像の庚申塔 延享三年(1746) 造立 ![]() ![]() 左右に石灯篭 同 一対の石灯籠 ![]() ![]() ![]() 正面に山門 同 阿吽の金剛力士像 同 山門 ![]() 境内の左側には、東京都道路新設に伴い解体した塚を供養した「金子塚供養塔」第二小学校校庭の増築部にあった一夜塚を供養した「一夜塚供養塔」「しあわせ観音(聖観音菩薩像)」「忠魂碑」が配置されています。 本堂の左前の植込みには、下部に三猿が彫られた「文字庚申塔」と剥落が激しく判別が難しいが…「青面金剛像の庚申塔」が配置されています。 本堂の左側には、市指定文化財の「板石塔婆」が配置されています。 境内の正面には、白を基調とした八幡造の「本堂」が建っています。 本堂から不動門にかけては、「弘法大師坐像 」「十三層の石塔」「道標」「布袋尊像」「地蔵菩薩立像」が配置されています。 弘法大師座像の台石には、「松光山八十八ヶ所/第一番」と陰刻があります。 道標には、「右不動尊」と陰刻があります。 ![]() ![]() ![]() 境内 ツツジが眩い 東屋 ![]() ![]() ![]() 金子塚供養塔 一夜塚供養塔 同 拡大画像 ![]() ![]() ![]() しあわせ観音 同 聖観音菩薩像 忠魂碑 ![]() ![]() ![]() 本堂左前 二基の石塔 同 文字庚申塔(下部に三猿) 同 青面金剛像の庚申塔(?) 文化九年(1812) 造立 ![]() 本堂左側 板石塔婆収蔵庫 ![]() ![]() ![]() 同 四基の板碑 同 左側の二基 同 右側の二基 紀年銘不明 左)康永元年(1342)・右)紀年銘不明 ![]() ![]() 一対の石灯籠 本堂 ![]() ![]() ![]() 本堂~不動門 弘法大師坐像 第一番 十三層の石塔 昭和六年(1931) 造立 ![]() ![]() ![]() 道標 布袋尊像 地蔵菩薩立像 大正十一年(1922) 造立 茅葺風の薬医門「不動門」をくぐり、150m先の「不動堂」へむかいます。 暫くは 風情のある美しい竹林の参道が続きます。 竹林には、「左不動尊」の陰刻がある「道標」や「かぐや姫の石造」が配置されています。 竹林の道を抜けると、四国八十八ヶ所の写しの弘法大師像が八十八体並ぶ「松高山 八十八ヶ所」の参道になります。 左右に色々な姿の弘法大師の坐像・立像が配置されてミニ遍路道の様相を呈しています。 大師像は順番に置かれているのではなく、昭和六年から昭和十年に奉納されたもののようです。 石仏の間には、二基の「千手観音菩薩碑」「左不動尊」の陰刻がある「道標」「開眼七年供養塔」なども配置されています。 やがて「左 女坂/右 男坂」の標石があり、参道が分岐します。 なだらかな下りの女坂を往きます。 下り終わりの辺り左右に、五基の「霊神碑」と二基の石碑「高妻太郎大権現碑」「諏訪神社/八幡神社碑」が並んで配置されています。 結果、三十五体の弘法大師像を拝観することができました。 途中、コーンが置いてあり立入ができない路がありましたので、遍路の別ルートがあったのかもしれません。 ( 東圓寺奥之院へと続く石仏) 下り終わりは、不動堂の側面に出ます。 この辺りが、遍路道の終りになります。 ![]() ![]() ![]() 不動門 竹林の参道 道標 ![]() ![]() ![]() かぐや姫のオブジェ 石灯籠 祠に収められた 弘法大師坐像 第五十五番 ![]() ![]() ![]() 弘法大師立像 千手観音菩薩碑 弘法大師坐像 第七十二番・第四十一番 第八十番・第五十八番 ![]() ![]() ![]() 千手観音菩薩碑 参道の石仏・石碑 弘法大師立像 第七十〇番・第八十一番 ![]() ![]() ![]() 道標 弘法大師坐像 弘法大師坐像 第六十一番・第四十八番 第六十六番・第六十七番 ![]() ![]() ![]() 立入禁止のカラーコーン 弘法大師立像 弘法大師立像 第十九番・第三十八番 第八十六番・第廿四番 ![]() ![]() ![]() 弘法大師坐像 弘法大師坐像 弘法大師坐像 第五番・第三番 第七十四番・第十七番 第七十番・第五十三番 ![]() ![]() ![]() 弘法大師坐像 弘法大師立像 弘法大師坐像 第五十四番・第八番 第十二番・第十四番 第廿一番・第十三番 ![]() ![]() ![]() 女坂・男坂の岐路 同 標石 女坂を往く ![]() ![]() ![]() 弘法大師坐像 弘法大師坐像 開眼七年供養塔 第十六番・第廿五番 第廿五番・第四番 ![]() ![]() ![]() 弘法大師坐像 雪見灯篭 弘法大師坐像 第六番・第二番 第六十番 ![]() ![]() ![]() 二基の石碑 同 高妻太郎大権現碑 同 諏訪神社/八幡神社碑 ![]() ![]() 五基の霊神碑 不動堂 左側面 紅白の色彩鮮やかな八幡造の「不動堂」の右前方には、「不動の瀧」が絶え間なく水音を響かせています。 流れ出る水は霊泉で、弘法大師が地面に杖を突きたて水を湧かせたと伝わり、そこに堂宇が建立され 不動明王が祀られて「不動堂」となったとのこと。 湧水地は滝のすぐ上の場所ですが、柵により保護されています。 柵の前には、「弘法大師御杖堀之霊泉」の石碑が配置されています。 不動堂の更に奥には「弁天堂」がありますが、通路が改装中と云うことでカラーコーンで仕切られています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 敷石供養塔 弘法大使御杖掘霊泉碑 不動の瀧(上の境内から) 弘化二年(1845) 造立 大正七年(1918) 造立 ![]() ![]() 一対の石灯籠 不動堂 弘化二年(1845) 造立 ![]() ![]() ![]() 不動堂の全景 手水鉢 不動の瀧(正面) ![]() ![]() ![]() 不動堂境内からの弁天堂 同 立入禁止のカラーコーン 同 弁天池 ![]() 同 弁天堂 復路は、男坂の石段を上ります。 石段の右側の傾斜地には、「三十六童子/不動尊供養塔/四大明王」の石碑が立ち、五段のひな壇に「四大明王像(大威徳明王 金剛夜叉明王 軍荼利明王 降三世明王)」や「三十六童子像」が並べて祀られています。 女坂 男坂の標石からは、再度弘法大師像を拝観しながら不動門へ戻ります。 ![]() ![]() ![]() 男坂の石段 三十六童子/不動尊供養塔/四大明王碑 石灯籠 ![]() ![]() 石垣のひな壇に三十六童子像が並ぶ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() --------------------------------------------- 四大明王像・三十六童子像の一部 ------------------------------------------- ![]() ![]() 再度弘法大師像を拝観しながら… 不動門へ戻る 不動門を抜けて、左の小路を山門へ向かいます。 路の左側に「五層の石塔」四面の梁に蟇股彫刻がある「鐘楼」そして境内社の「稲荷神社」が続いて配置されています。 ![]() ![]() 五層の石塔 同 拡大画像 ![]() ![]() ![]() 鐘楼 同 拡大画像 同 梵鐘 ![]() ![]() ![]() 同 四面の梁の蟇股彫刻 同 鐘楼堂再建記念碑 同 石灯篭 ![]() ![]() ![]() 境内社 稲荷神社 同 明神型鳥居 同 つがいの狸像 ![]() ![]() ![]() 同 一対の神狐像 同 社殿 同 石造の賽銭箱 金剛力士像が睨みを利かせる山門の前を通って、南西に向かいます。 路の右側に広がる墓地の一画に、「馬頭観音坐像」と左右に「馬頭観世音碑」が見えます。 ![]() ![]() 山門の前を通って… 南西に向かう ![]() 馬頭観音の一画 ![]() ![]() ![]() 同 馬頭観音坐像 同 馬頭観世音碑 同 馬頭観世音碑 安政五年(1858) 造立 山門を出て左へ進み、広い路を右折し北西に向かいます。 黒目川を渡り、水道橋交差点を直進します。 一つ目の角を左折すると、墓地の石段が見えます。 ![]() ![]() ![]() 左へ進む 広い路を右折 北西に向かう ![]() ![]() ![]() 東洋大学朝霞キャンパス 水道橋 黒目川 ![]() ![]() ![]() 水道橋交差点 一つ目の角を左折 墓地の階段が見える 「三光院観音堂」です。 三光院の持堂(その3)です。 石段を上ると、正面に地蔵菩薩像が配置されています。 左側には、「六地蔵の覆屋」に真新しい「六地蔵像」と中心仏の「如意輪観音菩薩像」が並んで配置されています。 右側には、無縁の石仏・石碑群が点在して見受けられます。 一番奥に、背を向けて「観音堂」が建っています。 ![]() ![]() ![]() 前景 正面に石仏 同 地蔵菩薩像 宝永五年(1708) 造立 ![]() ![]() ![]() 六地蔵の覆屋 同 六地蔵像 同 中心仏 如意輪観音菩薩像 ![]() ![]() ![]() 石仏群 同 地蔵菩薩像 同 如意輪観音像 ![]() ![]() ![]() 石仏・石塔 同 二基の聖観音菩薩像 同 聖観音菩薩像・供養塔 ![]() ![]() ![]() 聖観音菩薩像 観音堂 同 堂宇内 水道橋交差点に戻り左折し、黒目川通りを南西に進みます。 東武東上線の高架下をくぐり更に進むと、二本松通りと交差する弁天坂下交差点の角に覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() 黒目川通りを南西に 東武東上線の高架 朝霞厚生病院 ![]() ![]() 弁天坂下交差点 覆屋が見える 「豊川稲荷の庚申塔」です。 角地の狭い敷地に、「聖徳太子を刻んだ石祠」「豊川稲荷神社社殿」覆屋に「七基の石仏・石碑」が配置されています。 覆屋の左端には、「青面金剛像の庚申塔」が祀られています。 ![]() ![]() ![]() 前景 聖徳太子を刻んだ石祠 豊川稲荷神社 社殿 ![]() ![]() ![]() 覆屋の石仏・石碑 同 青面金剛像の庚申塔 同 不動明王像 明和四年(1767) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 水神宮碑 同 剥落がひどい石仏 同 馬頭観音碑 ![]() ![]() 同 瘧神社碑 同 延命地蔵菩薩像 交差点を右折し、二本松通りの弁天の坂を北西に進みます。 東弁財交差点を過ぎた直ぐにかごの屋 朝霞台店の看板が見えましたので、30分のランチ休憩をとりました。 朝霞台駅入口交差点を右折し、北東へ向かいます。 朝霞台駅南口についたのは、13時5分です。 ![]() ![]() ![]() 二本松通りの弁天の坂 東弁財交差点 かごの屋 朝霞台店 ![]() ![]() 朝霞台駅入口交差点を右折 朝霞台駅南口 事前の情報があまり無かった状況で「三光院」を訪れました。 境内の奥にひっそりと配置されている「馬頭観音堂」の堂宇内を覗き見ると「紅白の色彩豊かな二基の馬頭觀世音碑」「上部に彩色された三面六臂の馬頭観音坐像」に目を惹かれました。 「東圓寺」は 朝霞市において最大規模を誇る寺院というだけあって、市指定文化財の「板石塔婆」四国八十八ヶ所の写しの弘法大師像が八十八体並ぶ「松高山 八十八ヶ所」五段のひな壇に「四大明王像や三十六童子像」が並べて祀られている「男坂」など石仏鑑賞にもっと多くの時間を費やしたい霊場でした。 巡る箇所が少なかったこともあり短い石仏巡りに感じましたが、結局6km弱も歩いていました。 ![]() |