池袋石仏巡り2

 猛暑の為暫らく石仏巡りを中断していましたが、やっと気温も落ち着いてきましたのでまずは近場の池袋を
 巡る企画を立てました。
 池袋は、2006年5月に東口付近(東池袋)を巡りましたが、今回は北部(上池袋・本町)を徹底して巡りた
 いと思います。 なんといっても目的は「池袋富士塚」の観賞です。

 西武池袋駅東口(西武側)を出発したのは、8時40分です。
 ヤマダ電機とビックカメラに挟まれた、明冶通り(都道305号線)を道なりに進みます。

 
         池袋駅東口                池袋駅界隈                明冶通り


 明冶通りを北東に進むと、首都高速5号線の六ツ又陸橋が見えます。
 六ツ又交差点を右折し、川越街道(国道254号線)を進みます。

 
         六ツ又陸橋                川越街道


 池袋駅から950mで、帝京平成大学キャンパスの入口脇に祀られている「六ツ又子育地蔵尊」のお堂がありま
 した。
 お堂は随分と高くしてあり、更に子供を抱えた大きな地蔵尊像なので、見上げなければ全容が拝めません。
 旧鎌倉街道の道筋六ツ又交差点にあった「子育地蔵尊」が、高速道路工事で現在の帝京平成大学キャンパス
 正門右側に移されたようです。 
 

 
      通りの向かいからの地蔵堂          地蔵堂を見上げる
 
       拡大画像 子育地蔵像           子育て地蔵尊の石碑


 帝京平成大学の脇道の角に、「庚申の石碑」がありました。
 気が付きましたが、このルートは前回の池袋巡りでも歩いていました。 ボケが来たかな…。

 
 
         庚申の石碑                同 拡大画像 
                           天保十三年(1842) 造立


 明冶通りに戻り、更に北東を目指します。
 山手線の陸橋堀之内橋を渡り更に進むと、「子安稲荷神社御祭禮」の幟が方々に見受けられます。
 

 
          明冶通り            堀之内橋より山手線を眺める           通りに幟が


 六ツ又地蔵堂から500mで、子育ての神様「子安稲荷神社」に着きました
 神社の敷地には、明治通りに面した南東側入口及び境内の東西、南と三つの出入口があり、夫々に鳥居が建っ
 ています。
 稲荷神社ですが、お使いの狐ではなく狛犬が配置されていました
 正徳五年、この地一帯に疫病が流行したとき、この神社の霊験により、多くの子どもたちが病から助かったこ
 とにより「子安稲荷」と称えられるようになったとのことです。
 

 
      明冶通りより神社を臨む     明治通りに面した南東側の明神型鳥居       境内は祭りの準備に大童
 
        和風獅子型狛犬                拝殿                  社務所
 
         手水鉢                 南西側の明神型鳥居            北側の明神型鳥居
 
    境内社 猿田彦神社 明神型鳥居            お稲荷さま                社殿 


 子安稲荷神社から北へ500m、日本三大稲荷の一つである岡山最上稲荷の関東別院最上山妙経寺」に着きま
 した。
 閑静な住宅地の中で目に鮮やかな白壁に囲まれた門を入ると、明るい境内が広がります。

 
     突き当たりに白壁が広がる         南無阿弥陀仏の念仏碑             寺院門
 
         手水舎                  同 手水鉢                同 菩薩像
 
          本堂                   最上殿                 百度石

 本堂の左側に「最上稲荷」があります。
 鳥居を潜ると、覆屋に12の社殿が安置されていました。

 
      最上稲荷 明神型型鳥居            12の社殿が並ぶ    
 
  (左より)荒瀧天王・七十七社天王          毛利大明王・廣運天王            徳三大龍王・願満天王
 
        緑引天王・(不明)            八大龍王・一富天王            第六天王・福崎天王


 更に北上すると上池袋項番交差点に出ました。
 交差点の左側に地蔵堂があります。

 
       上池袋交番交差点 


 妙経寺より200m、池袋のミステリースポット「お茶あがれ地蔵堂」に着きました。
 鉄筋コンクリート造のお堂の中には、左側に地蔵像と庚申塔が安置されていました。
 「お茶あがれ地蔵」は、江戸時代に結婚を阻まれ病死した女性の供養のために建立されたといわれています。
 「宝永の庚申塔」、豊島区有形文化財登録の方形の石柱で「奉供養庚申石塔息災祈所」と陰刻されています


 
          地蔵堂               同 お茶あがれ地蔵像             同 庚申塔
                                               宝永元年(1704) 造立
 
          子育て地蔵像


 通りを西へ進み、東武東上線北池袋駅の踏切を渡ります。

 
        東武東上線北池袋駅 


 西念寺を横目に西へ向かうと、本町公園に出ます。

 
          西念寺                  本町公園


 お茶あがれ地蔵を700m進み、本町公園の北西角に「
本町の庚申塔」を見つけました。
 大きな木に隠れて、見つけるのに手間取りました。

 
       大きな木に隠れて               三猿の庚申塔                同 拡大画像  
                          寛文二年(1662) 造立


 資料によると、この辺りに庚申塔があるはずでしたが見つからず断念しました。
 北上を続けると、其の先に鳥居が見えてきました。

 
         先に鳥居が  


 三猿の庚申塔から450m、旧池袋村の鎮守「池袋氷川神社」に着きました。

 池袋という地名が永禄二年(西暦1559年)の「小田原衆所領役帳」に記載されていることから、この頃には村
 鎮守として創建していたと推定されるといいます。


 
         神社名碑               神明型一之鳥居                参道
 
         対の石燈籠              宋風獅子型狛犬              神明型二之鳥居 
 
         手水舎                   同 手水鉢                百度石
 
       わんぱく相撲の土俵               拝殿
 
          境内社                和風獅子型狛犬               社殿

 拝殿の左側は、東京都豊島区指定史跡「池袋富士塚」になっています。
 門が開いていましたが登山道の入口に「お山に登らないでください。」の看板が立っていて2鉢の朝顔が行く
 手を阻んでいます。

 高さ5m・東西の幅13m・南北18mで柵に囲まれているこの富士塚は、4月に登拝した「豊島長崎富士塚」
 が土山であるのに対して、全山がボク石をセメントで固めてある石積み方というのが特徴のようです。

 頂上に奥宮、中腹に小御嶽社と烏帽子岩を配し、題目碑・合目石・講碑・教祖角行像・一対の天狗像、さらに
 は胎内
など52基もの石造物が配置されています。
 御胎内は塚の裏側にあり、木の根まで約3m続いているそうです。



 
       拝殿左手 池袋富士塚            登山禁止の張り紙            柵の左に手水鉢
                                              大正十三年(1924) 寄贈
 
     登山道入口に一対の神猿像            南東からの全貌               頂上 奥宮  
 
        天拝所の石碑         小御嶽神社の石碑と両脇に烏天狗と大天狗        同 拡大画像 (転写)
 
         食行身禄像              椎名町元講社の石碑        十七夜元講と富士嶽神社の石碑
 
        合目石 一合目               合目石 二合目                合目石 三合目
 
        合目石 四合目               合目石 六合目                合目石 八合目
 
       東西からの全容                 下山道                 御胎内


 氷川神社を西に200m、二又路の角に「本町地蔵堂」がありました。
 堂内には、比較的新しい「子育て地蔵菩薩像」と「庚申の石碑」が祀られていました。
 リックを背負った同年輩のご婦人が熱心に観賞されており、説明を求められたまま薀蓄を披露しました


 
         二又路                  角に地蔵堂                堂内の石造 
 
        同 子育て地蔵像               同 庚申の石碑    
                           安永三年(1774) 造立


 豊昭学園東京交通短大の派手な校社壁を眺めながら、南へ首都高速5号線の高架を目印に進みます。
 突き当たりの川越街道を、塀沿いに左へと進みます。

 

     
 右が豊昭学園東京交通短大            川越街道沿いの道 


 本町地蔵堂より500m、豊島八十八ヶ所霊場13番札所の「明王山不動院重林寺」に着きました。
 山門は大久保彦左衛門の屋敷のものであったといわれています。
 川越街道に面する大きなお寺ですが山門は閉ざされていて、横の通用門から入らせて頂きました。

 
          山門              山門横の塀から石幢が見える
 
          境内                   念仏塔                同 地蔵菩薩像 
 
        重林寺の石碑                対の石燈籠              井戸とキリシタン灯篭
 
         五層の石塔              石塔裏に聖観音像                宝塔
 
         本堂                  本堂横 十三層の石塔             大師堂
 
      弘法大師霊場の石碑               無縁供養塔            同 頂点に大日如来菩薩像 
 
        墓地の一角               同 青銅の聖観音像         同 水子地蔵を中心に石仏・石造

 山門横に、先ほど塀越しに見えた七面に七つの観音像が彫られた石幢がありました。

 聖観音から時計回りに如意輪観音・准提観音・勢至観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音の順でした。
 西国、坂東、秩父、四国の各「札所巡礼供養塔」です。


 
      山門横に札所巡礼供養塔           同 拡大画像 (南側から)          同 拡大画像 (東側から) 
                            享和三年(1803) 造立
 
          鐘楼                  手水舎
 
         石仏群                  左の二体               続いて三体の地蔵像
 
       続いて三体の地蔵像           右の四体 (二体欠損)

 左手奥まで進んで墓地への扉をあけると、左手の道路側に庚申塔2基・石碑1基・地蔵像4体が安置されてい
 ます。 左端の「青面金剛像の庚申塔」には、右側面に蓮「是よりミなみ高田むら」、左側面に「是よりきた
 板はしむら」の道標銘が陰刻されています。


 
       墓地入口の石造群       左より 青面金剛像の庚申塔・阿弥陀仏の石碑     続いて 聖観音像・無縁供養塔
                      享保二年(1716) 造立・万治元年(1658) 造立      

 

       続いて 庚申寶塔                    右奥 四体の地蔵菩薩像
      享保二年(1717) 造立



 川越街道を渡り、南西に歩を進めます。

 
    川越街道と首都高速5号線の高架     工事中の大きな通り沿いに鳥居 


 重林寺から850m、池袋駅西口一帯の氏神様池袋御嶽神社」に着きました。
 池袋の袋から苦労を除き(不苦労)福を呼ぶ神とか、知恵の神様ともいわれています。

 社殿の改築が行われるようです  正面だけでなく両側面にも庇がついている日吉造の社殿ですが、改築予想
 図では唐破風のついた春日造になるようです。

 
       神明型鳥居                旧名三嶽神社の石碑            社殿等改築予想図
 
         手水舎                   同 手水鉢         区内で3番目に作られたフクロウの親子像
 
        和風獅子狛犬                拝殿                
手水鉢
                                                 天保七年(1836) 寄贈)

 
    境内社 子育稲荷神社 神明型鳥居            お稲荷さま               社殿


 一通り予定の行程を廻りましたので、後はひたすら池袋に戻るだけです。

 
     街中にもフクロウの石像           池袋二丁目の交差点               文化通り


 御嶽神社から900m、池袋西口(東武側)に到着しました。 11時40分です。
 まだ昼前なので、女房と電話で待ち合わせ昼食デートを楽しみました。

 
         池袋駅西口



 最初に立ち寄った「六ツ又子育地蔵尊」は、2006年5月に廻っていました。 ルートを確認していなかった
 ためです。
 猛暑は落ち着いたとは言え、まだまだ残暑が厳しく2度着替えをしました。
 それでも、当初予定の「お茶あがれ地蔵」「池袋富士塚」「重林寺」を時間をかけて拝観でき有意義でした。

 6Km弱の歩行でしたが、午前中に終了しましたので気持ちは楽でした。