中野石仏巡り 1(上鷺・鷺宮地区) |
今年4月に始まった新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言により、スポーツジムやテニスコートが休止になり外出もままになら ない今日この頃、近隣を早朝ウォーキングするのが日課になっています。 今日は、足を延ばして中野史跡巡りの一部ルート「北原神社⇒つげの木地蔵⇒笠付庚申塔⇒御嶽神社 庚申塔」を辿ってみました。 ![]() 中野史跡巡りの案内ルート スタートの西武池袋線富士見台駅(練馬区)の南側は、すぐ中野区になります。 ツツジが見頃のアカシア通りを気持ちよく南下します。 ![]() ![]() ![]() 富士見台駅 アカシア通り ツツジが見頃 ![]() ![]() とちの木公園の先を左折 通りに面して神社 富士見台駅から600m、閑静な住宅街に馴染んで「北原神社」(「きたっぱら」と読みます)がありました。 境内の右側には「手水舎」、左側には「青面金剛像の庚申塔」「大東京市記念碑」「御大典記念碑」が整然と並んでいます。 庚申塔は道しるべを兼ねていて、左側面に「是ヨリ 左 やわら道」右側面に「是ヨリ 右 ぬくい道」と陰刻があります。 ![]() ![]() ![]() 明神型鳥居 社殿 手水舎 ![]() ![]() ![]() 庚申塔と二基の記念碑 同 青面金剛像の庚申塔 同 左右の側面 明和八年(1771) 造立 北原神社を南下、途中二叉路を左折します。 新青梅街道手前の二叉路の角に覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() 二叉路を左折 突き当りは新青梅街道 手前の三叉路に覆屋 昭和20年頃まで大きなつげの木が覆い祠のようになっていたため「つげの木地蔵尊」と呼ばれているようです。 自然石の「つげの木地蔵尊碑」は道標を兼ねていて、正面左右に「左 田無道/右 目白道」と陰刻があります。 ![]() ![]() ![]() つげの木地蔵尊の覆屋 道標を兼ねた名碑 つげの木地蔵尊 寛政三年(1791) 造立 新青梅街道の武蔵ケ丘高校入口交差点を渡り、斜めの道を進みます。 ![]() ![]() 新青梅街道 信号を渡り直進 道角の茂みに「笠付三猿の庚申塔」が顔を出していました。 ![]() ![]() 路の茂みに庚申塔 同 笠付型三猿の庚申塔 元禄十年(1697) 造立 そのまま真っすぐ南西に向かうと、「中野史跡巡りの石標」がありました。 方向に自信を無くしかけていたので、石標に出会えて安心しました。 ![]() ![]() 道端に石標 同 中野史跡巡りの標識 更に進むと、神社が見えました。 四つ角の東西に、石造群がありました。 ![]() ![]() 神社が見える 四つ角に石造群 東の角に、「神狐像」「青面金剛像の庚申塔」上部欠損の「地蔵像」が安置されています。 ![]() 三個の石造 ![]() ![]() ![]() 同 神狐像 同 青面金剛像の庚申塔 同 上部欠損の地蔵像 延享二年(1745) 造立 西の角に、「人面の石像」「子育て地蔵尊」が安置されています。 ![]() ![]() ![]() 二個の石造 同 人面の石像 同 子育て地蔵尊像 宝暦九年(1759) 造立 道路に面して、「御嶽神社」があります。 境内の右側に「手水舎」左側に「御嶽祠記念碑」が配置されています。 ![]() ![]() 神明型鳥居 社殿 ![]() ![]() 手水舎 記念碑 |