東海七福神巡り/東海道巡り1

「東海七福神巡り」歩いてみようと調べてみると、ルートが旧東海道と重なるではありませんか。
おまけに、都内最大の富士塚といわれる「品川富士」もあります。
ルートの詳細を確認せずに、あたふたと決行してしまいした。


10時に、JR線品川駅高輪口に降り立ちました。
駅前は、東海道の日本橋 - 神奈川間とほぼ同じ位置にある第一京浜国道(国道15号線)が走っています。
八ツ山橋を渡り、品川宿の起点である北品川へと歩を進めます。
道なりに進むと交差点があり直進しました。(これが間違いでした。)


        品川駅                 第一京浜国道             八ツ山橋交差点

        八ツ山橋               橋からの第一京浜国道            京浜急行踏切

         交差点




重厚なデザインの石橋「北品川橋」がありました。
潮の香りがするの周りには、多くの釣り舟や屋形船が係留されていています。


         北品川橋              釣り船や屋形船



その先の小さな品川浦公園の一角に、品川区指定有形文化財「鯨塚」がありました。
鯨塚は、暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の、東京に現存する唯一の供養碑です。


        品川浦公園             品川史跡鯨塚の案内板


        鯨塚の一角               本来の鯨塚               新しい鯨碑


公園の奥に、沢庵禅師によって創建され洲崎弁財天と称されていたと伝えられる利田神社」がありました。
(この辺りで間違いに気付くべきでした。)
鯨塚の辺りは、利田神社の境内となるようです
                            

        明神型鳥居                社殿                 宋風獅子型狛犬

      奉献石燈籠の石碑               手水舎            社殿前左右にある鉄製の天水桶


更に進むと、聖蹟公園交差点がありました。
やがて目黒川に架かる「新品川橋」に出ました。
ここでやっと間違いに気が付きました。「東海道ではない!!



        八ッ山通り              バイキング像?              聖蹟公園交差点

     通りの向こうに聖蹟公園             新品川橋                 目黒川


急ぎ足で来た道を戻り、利田神社手前の交差点を左折します。
東海道品川宿の標識を見つけました。(ホッと一息…)
どうも一つ東の八ッ山通りを進んでいたようです。



      東海道品川宿の標識

品川宿」は東海道の第一宿であり、「中山道の板橋宿」「甲州街道の内藤新宿」「日光街道・奥州街道の千住宿」と並んで江戸四宿と呼ばれました。北は京浜急行北品川駅(この辺り)から南は青物横丁駅周辺までの旧東海道沿い一帯に広がっており、目黒川を境に「北品川宿」「南品川宿」といっていました。
気を取り直して「北品川宿」の北品川商店街を進むと、左に「品海公園」がありました。
商店街に面する幅は狭いですが、奥行きがあり反対側の八ッ山通りにも面しているようです。
公園の入口付近には「品川宿/日本橋より二里/川崎宿へ二里半」の案内板がありました。


        品海公園                品川宿の道標 


商店街を進むと、海岸に通じる溜屋横町の説明板がありました。
更に、
右側の路地の先にお寺が見えます。


       溜屋横丁の説明              法禅寺参道


品川駅から約1,000mで、芝増上寺の末寺「臨海山光照院法禅寺」がありました。
(実際には、倍の2,000mほど歩いた勘定になります。)


        神社名碑          門前 東海三十三/三十一番/観音の石碑           境内


境内の左側には、「水子地蔵のお堂」・レンガ積みの「板碑覆堂」・コンクリート製の「納骨堂」が並んでいます。
「納骨堂」の上には、品川区指定文化財になっている天保の大飢饉で亡くなった人たちを祀る供養塔流民叢塚碑」があります。



       境内右側の建物               地蔵堂               同 水子地蔵菩薩像


     レンガ造りの板碑覆堂              同 内部        コンクリート製の納骨堂の前に六地蔵菩薩像
    
       左側の三体                 右側の三体           同 上部 流民叢塚碑(転写)

正面に構える「本堂」の、レンガの壁と和風の屋根の組み合わせは珍しいのではないでしょうか。


        本堂                  本堂前 念仏塔              本堂前 大黒天像  

       本堂前 石灯篭             本堂側面のレンガ壁  
      文化七年(1810)造立

法禅寺境内の右側には、末社「杉鼻稲荷神社」がありました。


        明神型鳥居               社殿裏 明神型鳥居
             社殿裏

        社殿裏                  社殿裏 小祠               社殿裏 洞穴


法禅寺から120m進み、東海七福神の一つ寿老人を祀る豊盛山延命院一心寺に着きました。
江戸三十三観音霊場の30番札所でもあります。



        寺院門碑                 手水舎                水掛不動明王像

        本堂                  寿老人像(転写) 


一心寺の向かいの路地の奥にお寺が見えます。
          


        養願寺参道


直ぐに、東海七福神の一つ布袋尊を祀る明鏡山善行院養願寺」に着きました。


        寺院門碑                 手水舎

         本堂                布袋尊像(転写)


北品川商店街を散策する間もなく「聖蹟公園」がありました。
東海道五十三次の最初の宿である品川宿の「本陣跡」です。
明治天皇の行在所になったことから、聖蹟という名称が付いたそうです。


        聖蹟公園              品川宿本陣跡の石碑


北品川商店街には、明治二十三年創業の「尾張屋呉服店」・慶応元年創業の「丸屋履物店」など歴史のある店が軒を並べています。
山手通りの一つ手前を左折し、暫し旧東海道を離れます。
ここから京浜急行新馬場駅への北馬場参道通りは、品川神社の参道となっています。


  北品川商店街(旧東海道) 尾張屋呉服店         同 丸屋履物店            山手通りの手前を左折


       北馬場参道通り


養願寺から250m、北馬場参道通りの中ほどに「日夜山善水院正徳寺」がありました。


        寺院門碑                 山門                   本堂

         井戸                  屋根瓦 


北馬場参道通りのアーチを抜けると、北品川三交差点に出ます。
第一京浜国道の向こうに小高い丘が見えます。


     北馬場参道通りのアーチ           北品川三交差点 



正徳寺から200mで、東海七福神の一つ大黒天を祀る品川神社」に着きました。
東京十社の一つに指定されています。
かつては品川総鎮守でしたが、現在では 旧目黒川を境にして北品川を稲荷社(現品川神社)に分け、天王洲・東品川全域・南品川全域・広町一部区域・北品川一部区域・八潮を氏子区域としています。



境内入り口の階段前に、「大黒天像」・品川区指定文化財 「双龍鳥居」・「和風獅子型狛犬」・「神社名碑」が並んで配置されています。
一之鳥居「双龍鳥居」の右側には「昇り龍」、左側には「降り龍」が彫られています。「東京三(双龍)鳥居」の中でも、品川神社の鳥居が一番古いものです。
境内には、夫々趣の異なる個性的な6対の狛犬が配置されています。



      境内入口の石段                大黒天像               和風獅子型狛犬
                                              大正十四年(1925)造立

       双龍型一之鳥居              同 拡大画像                神社名碑
     大正十四年(1925)造立

境内につづく階段を登ると、中腹辺りに品川区有形民俗文化財「品川富士塚」への登山道があらわれます。
品川富士塚は、富士山から運ばれた溶岩で造った都内最大の約15mの塚です。
1合目から登山道を見上げると、山というか30段ほどの階段です。
6合目からは足場が悪くやや急傾斜で、富士山をリアルに再現してます。段数はおよそ20段。
品川神社自体が高台にあるので、富士塚頂上からは 左側に品川のビル群の眺望が、正面右下に京浜急行本線新馬場駅を一望
できます。




     富士塚入口の神明型鳥居          入口に猿田彦神社                講碑

     登山道の石碑と一合目碑         二合目碑と役行者と鬼の像            三合目碑

        道行碑                 四合目碑                 五合目碑

        六合目碑             力石が埋め込まられている          ここから急坂に

        七合目碑                八合目碑                 九合目碑

         山頂               山頂 見下ろすと奥宮             同 拡大画像

       山頂 品川方面             山頂 右側に新馬場駅           浅間神社への下山道

下りは、下山道より麓の境内社「富士浅間神社」に詣でました。
社殿前の狛犬は雲に乗っている様で、台座に「くも狛犬」の説明が彫られていました。


        神明型鳥居                寺院名碑             水鉢とぶじかえるの石造 

               社殿前 宋風獅子型狛犬                         社殿


         水鉢               神社より山頂を望む


富士浅間神社の前方、品川神社への石段を上りきった広場に、様々な石碑が配置されていました。


   東海七福神めぐり発祥の地の碑            包丁塚              神社仏閣/四国四拝の石碑


     大日本大社廻りの石碑      

その左側に、境内社「御嶽神社」がありました。
社殿前には、碧眼の強面の狛犬が控えています。



       御嶽神社の石碑              明神型鳥居               三笠山講の手水鉢 

 覚明霊神/普寛霊神/一心霊神の石碑 八海山国狹槌大神/御嶽山国常立大神/三笠山豊斟淳大神の石碑    境内  

     社殿前 和風獅子型狛犬
              社殿  
            

石段を上った正面が「品川神社」です。
二之鳥居の前に「宝珠狛犬」、後ろに「備前焼の狛犬」が控えています。共に、頭の上に宝珠を載ている狛犬です。
拝殿の前には、親子5頭の狛犬が控えています。
境内の「手水舎」には、龍吐水の手水鉢の横に河童が配置されていました。また、手水鉢の足元に石亀が潜んでいました。
「社殿」の右横には、「忠魂砲」と先祖と英霊を祀る「祖霊社」がありました。


    二之鳥居前 宝珠獅子型狛犬           神明型二之鳥居           二之鳥居後 宝珠獅子型狛犬
       寛政四年(1792)造立                                 文政十三年(1830)造立


      明神型三之鳥居                 舞殿                 忠魂砲と祖霊社

        手水舎                龍吐水の手水鉢             同 手水鉢の脇に亀

     拝殿前 宋風獅子型狛犬              拝殿  
      明治十七年(1942)造立

本殿横に、境内社阿那稲荷社」がありました。
上社には「天の恵みの霊」、下社には「地の恵みの霊」が祀られています。
正面の三社は、「天王白龍弁財天社・大黒主恵比寿神社・八百万神社」とあります。下社の社殿は何処?。


      上社 明神型鳥居               朱の鳥居群               社殿前 お稲荷さま

         社殿

       下社への鳥居群             社殿前 お稲荷さま            下社・清滝弁財天社 

   社内 正面に三社が祀られている     
小さな明神型鳥居と社殿(これが社殿?)         一粒萬倍の泉


第一京浜国道沿いの脇道を入った先に、小さなお寺「福聚山清徳寺」がありました。


         参道                  寺院門碑                 本堂


山手通りと交差する北品川二丁目交差点を渡り、京浜急行のガードをくぐります。
更に、北品川二丁目交差点を直角に渡り目黒川を目指します。


        新馬場駅                第一京浜国道           北品川二丁目交差点を渡る


朱の鎮守橋を目指し、目黒川のコンクリート堤沿いを進みます。


      目黒川沿いを往く               荏川橋                  目黒川

        鎮守橋



品川神社から400mで、東海七福神の一つ恵比寿を祀る荏原神社」に着きました。
牛頭天王を祀っている品川神社が「北の天王社」と呼ばれ、荏原神社は素盞嗚尊が祀られていることから「南の天王社」と呼ばれています。


       神社名碑                 明神型鳥居                恵比寿像

         手水舎                 石灯籠                宋風獅子型狛犬 
                                             明治二十九年(1896)造立


         拝殿                  本殿 

鳥居の右側には、社殿のような造りの「社務所」があります。
      


        鎮守橋の親柱             和風獅子型狛犬                社務所 

        神楽殿


鳥居の左側には、境内社「八幡宮」「稲荷神社」「熊野神社」の三社が並んで祀られていました。


       明神型鳥居   
              手水鉢      

      社殿前 お稲荷さま              三社 社殿


鎮守橋の先の「品川橋」を渡ります。
(因みに、間違えて歩いた八ッ山通りの新品川橋は、このひとつ先になります。)
この橋は、旧東海道の北品川宿と南品川宿の境である目黒川に架けられた橋です。
橋の袂には和風の電燈を配し、橋の上に小さな庭園や東屋も建っています。
この先は、東海道南品川宿に入ります。街道の入口に
「東海道 品川宿/是より南 南品川宿」の高札がありました。


       品川橋を望む                品川橋                  高札

先を進むと、路地のかなり奥に寺院が見えました。


      南品川宿(旧東海道)             海徳寺参道


荏原神社から200mの処に、「自覚山松陽院海徳寺」がありました。
境内には、「軍鑑千歳殉難者之碑」「キリシタン禁令札」などがありました。ミツマタの甘酸っぱいいい香りが境内を包んでいます。
墓地には、王選手縁の「バットとボールを持ったお地蔵像」が安置されていました。
「本堂」は、品川区内最古級の木造建築(寛延四年(1751)再建)といわれています。
本堂右側には、彫刻家長谷川昂作の「釈迦生誕像」が配置されています。



        寺院門碑                 境内                 ミツマタ

        題目塔                  筆塚

      軍艦千歳殉難者之碑            キリシタン禁令札

       境内の石碑・石仏            三体の地蔵菩薩像               手水舎

        念仏供養塔              左脇 慰霊供養塔              右脇 石仏群

       ホームラン地蔵像           三体の地蔵を安置する覆屋             同 拡大画像 

         本堂                 本堂右横 釈迦生誕像 


地図を見ると、新馬場駅から青物横丁駅にかけて寺院が多いとありましたので、交差点を右折し旧東海道を離れ南馬場通りを新馬場駅方向に進みます。


        南馬場通り     



海徳寺から300m、普海山心海寺」がありました。
通りに面した「山門」とその奥の「本堂」は、まだ真新しい感じです。



        寺院門碑                  本堂                  鐘楼


向かいの通りの先に寺院が見えます。


       本覚寺参道


心海寺の向かいに、「照高山円教院本覚寺
がありました。
境内には、品川区指定文化財の高さ約1.3m板碑型「庚申供養塔」が安置されています。


  
        寺院門碑                 庫裏と本堂             庚申供養塔(転写)
                                              寛文八年(1668)造立


旧東海道の一つ西の脇道を進みます。


       旧東海道の脇道       


直ぐに、「御嶽稲荷神社」(別名:三岳権現社)が見えました。


        神社名碑                神明型鳥居                 手水鉢

      社殿前 お稲荷さま               社殿 


本覚寺から320m進むと、「熊野山報恩院常行寺」がありました。
江戸時代には末寺500ケ寺を擁する大寺院だったようですが、簡素でひっそりとした感じです。


         山門              :    境内   

     レンガ造りの地蔵堂            同 内部 5体の地蔵像               護摩堂

         本堂    


旧東海道へと戻ります。
脇道の突き当たりに寺院が見えます。


      旧東海道 品川宿               長徳寺参道     


常行寺から200m進み、「恭敬山長徳寺」がありました。
本堂の左隣に、江戸時代「南品川の閻魔さま」として親しまれた閻魔堂」があり「閻魔王坐像」が安置されていました。


    和合稲荷神社 明神型鳥居              本堂

         閻魔堂                同 閻魔大王像              法界萬霊の五輪塔


長徳寺から280m、顕本法華宗の別格山「鳳凰山天妙国寺」に出ました。
寺院門の脇に「十一番 天妙国寺門前/右 南馬場」の道標がありました。
朱が鮮やかな「山門」は、風格がありましたが鉄筋コンクリートの建物でした。
境内には、品川区指定文化財の「天妙国寺五重塔礎石がありました。
墓地には、品川区指定文化財の「桃中軒雲右衛門の墓」がありました。


        寺院門碑                 道標

          山門                山門前 題目塔               五重塔礎石

         鐘楼                  宝塔                   本堂

         手水鉢                桃中軒雲右衛門の墓


天妙国寺の奥まった横道の前に、かっては天妙国寺塔頭の「光照山真了寺」があります。
両方に像を配置した青銅の「寺院門」をはじめ、朱の「本堂」も奇抜なものでした。
境内には、郷土有形文化遺産の「力石」がありました。


        寺院門                  本堂                   題目塔
 
        力石


旧東海道に戻ると、直ぐに諏方神社の標識が見えました。


      南品川宿(旧東海道)             諏方神社の標識 参道  


真了寺から100m、路地裏の「南品川諏訪神社」に出ました。
境内は通り抜けでき、その横道は真了寺の通りになっています。
拝殿前の「石灯籠」には、登り龍と下り龍が彫ってあり、台座には狛犬のレリーフが彫られています。
拝殿の右側には、境内社の「稲荷神社」がありました。


        明神型鳥居                手水舎               拝殿前 宋風獅子型狛犬
                                                 天保二年(1831)造立

     拝殿前 龍の絡む石灯篭               拝殿                 消防中の石柱

      稲荷社 明神型鳥居             同 お稲荷さま                同 社殿



路地の道を歩いていると、一般住宅の造りの「
極楽寺」がありました。
名札を見て寺院と分かり、よく見てみると「地蔵堂」らしき建物がありました。


         寺院門碑                 地蔵堂                 同 地蔵菩薩像


旧東海道に戻り、池上通り(都道421号線)との交差点の右側の先に京浜急行の高架が見えます。
交差点を右折し、「青物横丁駅」辺りの食堂で一休憩です。
青物横丁駅の名は、江戸時代に駅周辺が青物(野菜・山菜)の市場であったことに由来するとのこと。


     正面に京浜急行の高架             青物横丁駅



南諏訪稲荷神社から青物横丁駅辺りの徘徊を含み約600m歩いて、東海七福神の一つ毘沙門天を祀る海照山普門院品川寺」に着きました。
江戸三十三箇所観音霊場の第31番また東海三十三観音霊場21番札所でもあります。



寺院門を入ると直ぐ、 東京都指定有形文化財で江戸六地蔵の第一番銅造地蔵菩薩坐像」がありました。
現存する江戸六地蔵像のうち、唯一頭上に傘を載せていません。
銅造地蔵菩薩坐像前には、年代の古い石仏群が安置されています。


        寺院門碑              銅造地蔵菩薩坐像                同 拡大画像
                                               宝永五年(1708)造立

      六地蔵前の石仏群             同 如意輪観音像               同 地蔵菩薩像
                          宝暦十年(1760)造立           享保十一年(1726)造立

   同 地蔵菩薩像・
溺死者供養之塚          同 聖観音菩薩像               同 地蔵菩薩像
     元禄九年(1696)造立           享保四年(1719)造立


山門の前には、亀砆
に載っている珍しい「宝篋印塔」がありました。


         山門                 
門前 宝篋印塔

境内の左側には、「英霊堂」「鐘楼」「金生七福神」「弁天堂」が並びます。
車庫の上に載る「英霊堂」には、青銅の
聖観音(百済観音)と軍馬・軍犬・軍鳩の像が安置されていました。 
「鐘楼」の
国指定重要美術品「梵鐘」は、徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされ、 周囲に徳川三将軍の号(東照宮、台徳院殿、台献院殿)と六観音(聖・千手・十一面・准胝・如意輪・馬頭)が陽刻されていました。


         境内                車庫の上に英霊堂          同 青銅の軍馬と百済観音像

         鐘楼                 梵鐘               同 拡大画像(徳川三将軍の号)
                         明暦三年(1657)造立

      
金生七福神 布袋尊像           金生七福神 大黒天像             三体の羅漢像

      金生七福神 恵比寿像           金生七福神 福禄寿像           金生七福神 寿老人像

      金生七福神 毘沙門像           金生七福神 弁財天像

        弘法大師像          地蔵菩薩像と四国三十一番の石碑           
観音堂

        弁天堂               同 内部 弁財天像               同 拡大画像


境内の右側には、 境内社の「のりとり稲荷社」・2mの自然石に釈迦如来の種字が彫られた光明石庚申塔と二基の石碑」・役行者と呼ばれる青銅の神変大菩薩像」がありました。



      稲荷社 明神型鳥居             同 鳥居左 小祠             鳥居右 小祠

        手水鉢                社殿


         庫裏              
光明石庚申塔と二基の石碑       同 光明石庚申塔の下部に三猿像

    同 道祖神みちしるべの石碑         同 庚申塔(下部に三猿像)


       
神変大菩薩像               同 拡大画像               十三層の石塔

境内の右奥に、大きな三角形の千鳥破風が印象的な「本堂」があります。
本堂の左側に、学徒出陣慰霊の「まことの鐘」、右側に戦争裁判殉職者慰霊の「仁慈の鐘」が配置されています。



         本堂                 まことの鐘

       
仁慈の鐘                同 拡大画像                手水鉢


街道に「左 鮫洲/十四番 千躰荒神 南/右 青物横丁」の道しるべがありました。


        道しるべ


品川寺から100m足らずで、千躰荒神を祀る寺として知られる「
竜吟山瑞林院海雲寺」がありました。
江戸三十三観音霊場の番外番札所でもあります。
山門の前には、「千躰荒神王霊場の石碑」が配置されていました。



         参道                 寺院門碑                  山門

    山門前 千躰荒神王霊場の石碑            境内

山門を入ると、境内の中央に鈴ヶ森刑場の番人を供養する平蔵地蔵の覆屋」・「荒神像」・「宝篋印塔」・「力石」が配置されています。


       平蔵地蔵尊の覆屋             同 拡大画像              同 如意輪観音像

        荒神像                  同 拡大画像                 宝篋印塔

         力石                  手水舎                  井戸  


境内の正面には、竈・台所の守護神を祀る「千躰荒神堂」とその右奥に「本堂」があります。


        千躰荒神堂                 本堂

境内の右側には、便所の守護神
烏瑟沙摩明王を祀る「大明王堂」・「鐘楼」があります。


         鐘楼                烏瑟沙摩明王堂              同 烏瑟沙摩明王像

境内の左側には、橘右近揮毫の「筆塚」・「えんの行者像」があります。


         筆塚                 えんの行者像                 井戸


青物横丁商店街を進むと都道420号線との交差点があり、南品川宿はここまでです。
交差点の先は東大井の鮫洲商店街で、品川宿を出たことになります。
鮫洲商店街の入り口両側に「東海道竜馬がゆく」というプレートの付いた柱がありました。


     青物横丁商店街(旧東海道)            交差点          海道竜馬がゆくのプレート(鮫洲商店街)


街道の右側に、稲荷神社の幟と案内矢印がありましたので路地を進みました。路地の突き当たりに、更に案内矢印がありました。化かされたかなと思いだした頃、やっと朱の鳥居がチラリと見えました。。


       稲荷神社の矢印              ここにも                 やがて朱の鳥居が


海雲寺から400m進み、京浜急行の高架の下に「青雲稲荷神社」がありました。


        路地の一角                明神型鳥居                境内  

         手水舎               社殿前 お稲荷さま               社殿


高架に沿って進むと、鮫洲駅に出ました。青物横丁駅との駅間が短く感じました。
旧東海道に戻ると、「左 立会川/十七番 八幡神社/右 鮫洲駅」の道しるべがありました。
道しるべに従い右折すると、正面に神社が見えます。



         鮫洲駅                鮫洲商店街(旧東海道)              道しるべ

       八幡神社参道



青雲稲荷神社から200m、かつての御林猟師(漁師)町の鎮守鮫洲八幡神社」がありました。
鮫洲は江戸城御用の鮮魚を納めた「御菜肴八ヶ浦」の一つで、境内には地元の漁師たちが寄贈した狛犬や灯篭が多とのこと。
鳥居から拝殿前に至るまで、種類の異なる三対の狛犬が配置されていました。


     明神型鳥居と神社名碑            鳥居横 宝珠型狛犬   
      寛政元年(1789)造立            安永七年(1778)造立

        手水舎                  手水鉢              手水舎横 宋風獅子型狛犬
                                               嘉永二年(1849)造立

        百度石              拝殿前 和風獅子型狛犬               拝殿 
                          嘉永二年(1849)造立


境内末社として「出世稲荷神社」、そして柵に囲われた神池の中央に「厳島神社(通称 弁天社)」と「漁呉玉神社(通称 水神社)」が祀られています。
鳥居から神池への参道右横に、富士山の溶岩を配した塚の上に「富士浅間大神の碑」がありました。登山道らしきものもあり、富士講(富士塚)があったのでしょうか。


   厳島神社・漁呉玉神社 神明型鳥居         富士浅間大神の石碑             登山道

        石灯篭                  手水舎                 手水鉢
     安政三年(1856)造立


      神池の中央に二社
              漁呉玉神社 社殿             厳島神社 社殿

     出世稲荷神社 明神型鳥居          同 社殿前 お稲荷さま              同 社殿



鮫洲八幡神社の塀沿いに進むと、駒引稲荷神社入口の貼り紙を見つけました。
矢印に従い細い路地を入っていくと、民家の玄関の横に神社がありました。



     神社の角の石柱に貼り紙           狭い路地を行く



玄関横に「駒引稲荷神社」がありました。


       玄関横に稲荷神社                同 社殿


鮫洲商店街(旧東海道)に戻り暫く進むとアーケードが見えます。
アーケードの辺りを右折し脇道に入り、鮫洲小学校の東側を進むと小さな神社が見えました


      鮫洲商店街(旧東海道)            アーケード辺りを右折            小学校の右側に神社


大井村七稲荷の一つ白玉稲荷神社」がありました。


        明神型鳥居               お稲荷さま                 社殿


鮫洲商店街(旧東海道)に戻り少し進むと、街道沿いに寺院名碑が見えました。


         寺院名碑


鮫洲八幡神社から500m進み、高詳山嶺雲寺」に出ました。
「本堂」は、コンクリート造りの珍しいデザインです。
境内の左側には、石仏が並んでいます。
境内の右側には、「虚空堂」と境内社の「北濱稲荷大明神」が祀られています。



         寺院名碑                 寺院門                  本堂 

       水子地蔵尊像               同 拡大画像                 六地蔵像 

       聖観音菩薩像               三界萬霊塔                  同 石群仏

         井戸                  虚空堂


    北濱稲荷大明神 明神型鳥居          同 社殿前 お狐さま    


横通りの先に、朱の神社が見えます。


         参道


嶺雲寺から320m、立会川河畔の公園の一角に「仲町稲荷神社」がありました。


         全景                高台に石灯籠                同 拡大画像

        境内の石造                手水鉢                 明神型鳥居
                          安政四年((1857)造立

       社殿前 お稲荷さま              社殿 


稲荷神社から直ぐ、立会川に架かる「浜川橋(俗称 泪橋)」があります。

鈴ヶ森の刑場で処刑される罪人が護送されるとき、その親族たちが密かにここまで見送ってきて、この橋を最後に涙で別れたといわれています。


        浜川橋(泪橋)                説明札               碧色に濁った立会川


浜川橋を渡ると、直ぐ右に鳥居が見えました。


       街道の右に鳥居


仲町稲荷神社から100m、東海七福神の一つ福禄寿を祀る天祖諏訪神社」に着きました。
境内社は、拝殿の左側に「南稲荷神社」・拝殿の右側に「厳島神社」がありました。


       神明型鳥居                 境内                   手水舎

      拝殿前 和風獅子型狛犬             拝殿                 福禄寿像(転写)
       慶応三年(1867)奉納

      稲荷神社 明神型鳥居           同 社殿前 お稲荷さま              同 社殿

      厳島神社 明神型鳥居              同 境内                  同 社殿

        同 手水鉢               同 七層の石塔



競馬場通りと交差する南大井一丁目の交差点を渡ります。
交差点の角に、 「左 立会川駅/二十五番競馬場通り/右 しながわ区民公園を経て鈴ヶ森」の道標がありました。
暫く進むと、右側の駐車場奥に鳥居が見えました。



      南大井一丁目の交差点          交差点の右角に道標           南大井1-16(旧東海道

       街道の右奥に鳥居が


駐車場奥の一角にあり、見落としそうなこじんまりとした開運稲荷神社」です。
境内の左側には、「手水鉢」と 柵で保護されている2個の「力石」が配置されています。


        明神型鳥居                 境内                一対のお稲荷さま

         社殿                  手水鉢                  力石



街道沿いに寺院名碑があり、「濱川神社」とわかりました。
離れて見上げると、2階部分に社殿が見えました。



        神社名碑               建物の上に社殿               五層の石塔


更に進むと、右側の風景が一変しました。
旧東海道と第一京浜国道の交差する細長い三角地帯が、東京都指定文化財「鈴ヶ森刑場遺跡」のようです。
天祖諏訪神社から600m来た、「鈴森山大経寺」の境内となっています。


      風景が変わる一角                大経寺              鈴ヶ森刑場遺跡の案内塔


「鈴ヶ森刑場」は、江戸時代に江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた「小塚原刑場」(2006年10月旧日光街道巡りで訪れています。)とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた刑場です。明治四年に閉鎖される220年の間、10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われています。
ここには「鈴ヶ森刑場受刑者之墓」を始め、八百屋お七を処刑して火炙台」・丸橋忠弥を処刑した「 磔台」・斬首刑者の首を洗った「首洗いの井戸」などがあり、また関東大震災で犠牲になった方のための「大震火災殃死者供養塔」・ 安政の大火事で焼け死んだ馬達の霊を供養する「馬頭観音碑」この辺りは海であった関係か「水難者供養塔」「鯉塚」なども祀られていました。


       水難者供養塔              火炙り柱用の礎石              磔け柱用の礎石

       首洗いの井戸            永代鈴森/御花講新橋の石碑             鯉塚

 二十五番/大経寺/ 東海道鈴が森口の道標     鈴が森刑場受刑者之墓の石碑            
題目宝塔

         題目宝塔        六十六部供養塔と大震火災殃死者供養塔        同 上部 地蔵菩薩像  

     二基の馬頭観音の石碑           同 左側下部 拡大画像


第一京浜国道と海岸通り、大きな道路が交差する鈴ヶ森交差点を渡ります。
こからは第一京浜国道(旧東海道)を進みますが、随分と趣が変わります。
第一京浜国道に架かる、大森海岸駅への歩道橋を渡ります。


       鈴ヶ森交差点            日本橋から12Kmの標識         第一京浜国道の先に歩道橋

       歩道橋をを上る           歩道橋より 第一京浜国道        歩道橋より 大森海岸駅を臨む


大森海岸駅は、品川区と大田区にまたがる品川区最南端の駅で、この先は大田区になります。
更に第一京浜国道(旧東海道)を進むと、神社前の歩道上に二基の石造がありました。



        更に進む               神社前に二基の石造


大田区指定文化財「磐井の井戸」がありました。
社名の由来となった「磐井」と呼ばれる古井で、東海道往来の旅人に利用され霊水・薬水と称されていたのこと。


        磐井の井戸           當神社重要縁起/磐井の石碑


大経寺から750mで、東海七福神の一つ弁財天を祀る磐井神社」に着きました。
喧騒の第一京浜国道沿いにありながら、境内はかなり広く神聖な雰囲気です。
参道沿いには、宝珠を載せた寺社建築を模したような「石燈籠」と子沢山の「狛犬」が配置されています。

狛犬好きの近所の方の話によると、「大学教授の見立てで、ここの狛犬は親子9頭が彫られている珍しいもの」とのことでしたが、どう数えても親子8頭しか見えません。どこかに隠れているのでしょうか。狛犬談議は、20分以上も続きました。
社殿の右手後方には、大田区指定有形文化財鈴石鳥石と江戸文人の石碑群」など多くの石碑が配置されている一角がありました。



         神社名碑               明神型鳥居                手水舎

         境内                  石灯籠
                          明治四十年(1907)造立

                  宋風獅子型狛犬                          拝殿
                明治十四年(1881)造立

       石碑群の一角           同 鳥石祠の銘がある手水鉢          同
卍の刻がある手水鉢
                          寛保元年(1741)奉納

       同 三個の力石                     同 剥落した和風獅子型狛犬


境内社は二社ありました。
一社は、社殿の右手にあり、玉垣に囲われた「海豊稲荷神社」。
一社は、周囲を池に囲まれた島上に建ち、東海七福神の弁才天を祀る「笠島弁天社」。



       海豊稲荷神社              同 神明型鳥居                手水舎

       二基の手水鉢           金網で保護されるお稲荷さま           社殿
左 大正三年(1914)・右 慶応二年(1866)造立


     笠島弁天社 明神型鳥居          かさ志ま辨才天の石碑             石灯籠
                                               大正八年(1919)造立

        社殿    


第一京浜国道を300m戻り、京浜急行大森海岸駅に着いたのは14時40分でした。


      第一京浜国道を戻る             大森海岸駅



品川駅から8Km強、旧東海道を歩きつつ「東海七福神」を拝観してきました。
この組み合わせは効率がよく、途中に出会った「レンガ壁の法禅寺」「品川寺の富士塚」「長徳寺の閻魔さま」「天妙国寺の個性的な山門」「南品川諏訪神社の龍の彫り物の石灯籠」「海運寺の烏瑟沙摩明王像」「鮫洲八幡神社の三対の狛犬と富士塚もどき」「鈴ヶ森刑場遺跡」なども印象的でした。
北品川宿・南品川宿には、注意深く歩いていると趣のある建物が多かったように思えます。

出足で、品川宿への入口で道を間違え(これはこれでよかった…「北品川橋の船溜り」「鯨塚」「利田神社」を観賞できました)前途に不安を感じましたが、初心に戻り品川宿
の起点から歩き直したのが良かったと思います。
ただ、複雑な地形については詳細に調べなければと改めて反省しました。