和光市新倉地区巡り

今回は、昨日に続き埼玉県和光市の寺院・神社及び庚申塔巡りに向かいます。
特に 新倉地区および下新倉地区には、多くの庚申塔が残っているようなので楽しみです。


10時40分和光市駅北口に着きました。
駅から北東に走る妙蓮寺通りを進みます。
東京外環自動車道に沿って走る和光インター線(埼玉県道88号線)を突き抜け直進し、細い漆台通りを更に進みます。
下り坂の途中に和光市指定文化財の「新倉ふるさと民家園」があります。
その向かい側、擁壁の脇に小堂があります。


       和光市駅北口                妙蓮寺通り           和光インター線との交差点

       二股路を直進                漆台通り               新倉ふるさと民家園



小堂の左側に、「石碑(判読難解)」と「新倉1丁目の庚申塔」がありました。


       擁壁の脇に小堂             二基の石像と小堂            同 供養塔・不動明王像

         同 小堂                同 堂内 石象



漆台通りの坂を戻り湧水漆台の洗い場に向かいます。
民家脇の細道を往くと、急に山道になります。
不安を抱えながら進むと、庚申塔が見えました。


       漆台通りを戻る           右折し民家脇の道を往く            急に山道になる



水場の脇に「不動ノ滝洗場前の庚申塔」が建っています。
その奥には、「不動堂」があり不動明王像が祀られています。


      水源の脇に庚申塔            同 青面金剛像の庚申塔
                           嘉永六年(1853年) 造立

    
         不動堂               同 堂内 不動明王像



眼前に立ちはだかる武蔵野崖線の階段を上ると、広い大正通り(埼玉県道88号線)にでます。


         武蔵野崖線                大正通り



階段を上がり切った大正通りの前に、ポッンと「漆台足洗地蔵堂」があります。
:境内に並ぶ大小5体の地蔵尊像のうち、大きい地蔵尊像は和光市最古のものです。


         境内                 境内左側 5体の石仏            同 四体の地蔵菩薩像
                                        左から 宝永 七年(1710)・宝暦五年(1755)
                                            享保十五年(1730)・宝暦三年(1753) 造立

      同 大きな地蔵菩薩像           同 地蔵堂改修供養塔               本堂
       寛文六年(1666) 造立


更に大正通りを東へ進むと、柿ノ木坂児童公園の先に寺院門が見えます。


      柿ノ木坂児童公園            寺院門が見える




和光市駅から900mかかり、「医王山東林寺」に着きました。
白塀に挟まれた長い参道の脇には、「力石」が整然と並べて配置されています。
その先の山門をくぐると、左側に石仏が整然と並んでいます。


       寺院名碑と参道              石段の先の寺院門               白壁の参道が続く

         力石が並ぶ                同 五十八貫の力石             山門前 一対の常夜燈

                 同 一対の手水石                           山門

         境内の壁際                石仏が並ぶ               同 地蔵菩薩像
                                                享保六年(1721) 造立

       同 地蔵菩薩像              同 覆屋の庚申塔            同 青面金剛像の庚申塔
     明治二十六年(1893) 造立                               文政七年(1824) 造立

         境内の左側              六地蔵像の覆屋                 同 六地蔵像

          手水舎                    水鉢                    本堂

         七層の石塔                  無縁塔



予定になかったのですが、富士塚を見たく 急遽「新倉氷川神社」に行くことにしました。
大正通りの信号を左折し、氷川通りを北へ進みます。
暫く進むと、横道の左側に鳥居が見えました。


       氷川通りとの交差点              氷川通り                 通りの横道に鳥居



狭い立地ながらもなかなか立派な鳥居が印象的な「諏訪神社(半三池諏訪神社)」に出会いました。


         神明型鳥居                  石祠



再び、東京外環自動車道の高架を渡ります。
その先は宮坂になります。
通りの先に、案内板が見えます。


      東京外環自動車道                宮坂                 通りの先に案内板



東林寺から800mかかり、「上新倉氷川八幡神社」に着きました。
通りに沿って、長い参道が続きます。
富士嶽浅間大神が祀られており、拝殿の横にはいくつもの富士講関連の石碑が配置されていて、また拝殿の左奥の雑木林にはそれらしい雰囲気の御嶽神社もありました。富士塚を期待しましたが、残念ながら塚なるものは見当たりませんでした。調査不足でした。


       神社名碑と参道              明神型一之鳥居                参道

       鳥居前 常夜燈                明神型二之鳥居               参道 石燈籠

      参道 和風獅子型狛犬              手水舎                  境内

         拝殿                 拝殿前 子宝犬             拝殿前 和風獅子型狛犬

内社は、拝殿の右側に「稲荷神社」、拝殿の左側に「天神社」「富士嶽浅間大神」があります。
更に、拝殿の左奥に「神明神社」「本宮神社」があり、その奥深く「御嶽神社」があります。



    境内社 稲荷神社 神明型鳥居            同 社殿

      境内社 天神宮 神明型鳥居             同 石祠

   境内社 富士嶽浅間大神 神明型鳥居         同 富士嶽浅間大神の碑             同 一対の神猿

      笠間稲荷/太々祈念碑             富士講の石碑               拝殿の左奥に神社  

    境内社 神明神社 神明型鳥居            同 石祠

    境内社 本宮神社 神明型鳥居            同 石祠                  同 手水石

      社殿の奥深くに神社

    境内社 御嶽神社 神明型鳥居       同 鳥居脇 二基の三猿の庚申塔             同 石祠
                         右) 貞享四年(1687) 造立



富士塚に出会えず、重たい足を元来た氷川通りまで戻ります。
信号斜め前の氷川通りを、南へ進みます。
途中 氷川通りを離れ、入り組んだ道を北へ進み、何とか目印とした壹鑑寺の駐車場に出ることができました。
その前に、寺院が見えます。


        氷川通り                大正通りとの交差点          氷川通り 新倉小学校の脇道

        氷川通り                 脇道を左折右折              公園の脇を往く

       壹鑑寺の駐車場              左手に寺院



上新倉氷川八幡神社から1,200m、整備された境内が心地よい「光明山観音院長照寺」に着きました。
山門入って左脇には八基の石仏・石碑が配置されていますが、中でも左から二番目の「三猿の庚申塔」は和光市内では最も古い庚申塔といわれています。


          寺院門                 門の横に小僧像 

         境内の左側               同 八基の石仏・石碑

       同 地蔵菩薩像              同 三猿の庚申塔            同 馬頭観音像の庚申塔
                           天和三年(1683) 造立            宝永七年(1710) 造立

      同 供養塔(判読難解)            同 二基の馬頭観世音碑        同 如意輪観音像・三猿の庚申塔
      天保九年(1838) 造立        大正六年(1917)・大正六年(1917) 造立  享保八年(1723)・天和三年(1683) 造立

          同 手水舎                同 六地蔵の覆屋               同 拡大画像

       同 延命地蔵尊像             同 拡大画像                本堂前 石燈籠

         本堂                 青銅の聖観音菩薩像               同 拡大画像

   和光市のゆるキャラ「わこうっち」            庫裡                  庫裡前 小僧像



坂下公民館通りを南東に進むと、壹鑑寺の案内板がありその先に寺院門が見えます。


       壹鑑寺の案内板            先に寺院門が見える



長照寺から250m、境内の桜が満開の「薹月山壹鑑寺」に着きました。
川越領の大名の酒井家の菩提寺であり、
墓地の奥にある和光市指定文化財の「酒井家墓地」には、大小さまざまな累代の五輪塔が建てられています。なかでも、前方に建つ巨大な三基の五輪塔は迫力があります。


          寺院門                  境内に小堂              同 堂内 大日如来像

      不許葷酒入山門の石碑              本堂前 石燈籠                 本堂

         慈母観音像               同 拡大画像                英霊供養塔

       釈迦如来を戴く燈籠             開運地蔵尊像                三体の地蔵尊像

       墓所の石燈籠               酒井家の墓域

     二代忠興夫人の墓塔              酒井忠重の墓塔               忠重夫人の墓塔
     寛文五年(1665) 造立            慶安元年(1648) 造立           寛永十三年(1636) 造立



更に 坂下公民館通りを南東に進むと、弥太郎坂通りとの交差賂に出ます。
交叉路の右手前角のブロック塀に、「弥太郎坂下の庚申塔」が祀られています。


       坂下公民館通り


       四つ角に覆屋                 覆屋                同 青面金剛像の庚申塔
                                                 享保九年(1724) 造立



ここで右折し、弥太郎坂通りを南西に往きます。
暫く進むと、ブロック塀に挟まれる感じで「弥太郎坂上の馬頭観音像」が祀られていました。


       弥太郎坂通り                 覆屋                  同 馬頭観音像

                                               延享元年(1744) 造立


更に進むと、氷川通りとの交叉路に出会います。
氷川通りの先に、ブロック塀に挟まれる感じで「弥太郎坂上の庚申塔」が祀られていました。


         氷川通り                 覆屋                同 青面金剛像の庚申塔
                                                天明六年(1786) 造立


氷川通りを越えると、弥太郎坂通りは谷中川通りに名前が変わります。
谷中川通りを南に進むと、中新田通りとのT字賂の両角に二つの覆屋があります。
手前のブロック塀には、「中新田坂下の地蔵菩薩」、道路を挟んだ向かいの住宅のブロック塀には「中新田坂下の庚申塔」が祀られています。


         谷中川通り

     中新田通りとのT字賂 手前角             覆屋                 同 地蔵菩薩像
                                               享保二年(1717) 造立

   中新田通りとのT字賂 向かい側              覆屋                同 青面金剛像の庚申塔

                                                安永九年(1781) 造立


谷中川通りを少し往き、T字賂を左折して中新田通りを東へ進みます。
突き当り辺に神社が見えます。


       丁字路を左折                 中新田通り                 神社が見える



壹鑑寺から600mで、「下新倉氷川八幡神社」に着きました。
境内の前庭が広くシンプルな感じの神社で、西参道〜表参道(東参道)が一直線に繋がっています。


       神社名碑と明神型鳥居         表参道の先に西参道が見える            石燈籠

        和風獅子型狛犬                 石燈籠                    拝殿
    明治二十五年(1892) 造立

        舞殿(旧拝殿)             西参道の明神型鳥居


:拝殿の右側に、境内社「稲荷神社・琴平神社」があります。
ここからは、下新倉氷川八幡神社の「拝殿−幣殿−本殿」が一目で拝観できます。


      琴平社・稲荷社 参道             明神型鳥居                  社殿

       二基の手水鉢            境内社から見た 拝殿−幣殿           同 幣殿−本殿


社殿の左奥に「下新倉富士塚」があり、登山口に富士嶽神社の鳥居があります。
登山道は藪に覆われて登りづらい個所がありました。 
頂上には、奥宮の代わりに浅間大神の石碑が祀られています。

5mほどの高みから眺める風景は、遠くが見渡せて気持ちがよかったです。


       富士塚参道入口             入口に明神型鳥居               鳥居横 手水鉢

     同 剥落した一対の神猿           同 鈴原神社の石碑     同 登山三十三度の石碑と富士登山大願成就の石碑

      藪に覆われた登山道           頂上 浅間大伸の石碑            頂上より西参道を臨む

         富士塚全容



東参道から妙典寺坂通りを東へと進みます。
やがて鳥居が見えてきました。


       妙典寺坂通り                鳥居が



二つの社殿を祀る「下新倉4丁目の神社」がありました。


         明神型鳥居                左の社殿                 右の社殿



妙典寺坂通りを更に進むと寺院の擁壁が続きます。


       妙典寺の擁壁



下新倉氷川八幡神社から250mで、「長光山妙典寺」に着きました。
通りに面した総門は閉じられていて、寺院内には静寂が漂っています。
拝観を諦め切れず横に回ると、駐車場が開いていました。
本堂左横の小高い丘に、「鐘楼」と「御題目堂」が見えます
本堂の左奥には、日蓮上人が安産の祈祷を行ったという「法華堂」とその横に安産の霊水「「子安の池」があります。


       閉じられた総門             寺院門碑と念仏塔           惣門から見た参道・山門

         境内の山門                手水舎                 本殿前 石燈籠  

          本堂                   鐘楼                  十三層の石塔

     本堂左横の石段上にお堂            同 御題目堂               安産御加持之碑

       本堂左奥にお堂              同 法華堂                 子安の池 



門前の妙典寺坂通りを東へ進むと、交通量の激しい笹目通り(東京都道・埼玉県道68号)に出ます。
笹目通りを東へ進み、吹上観音前交差点を右折します。
正覚院通りを南に進むと、擁壁の先に案内板が見えました。


       妙典寺坂通り                笹目通り               先の交差点を右折

         正覚院通り              擁壁の先に案内板



妙典寺から600mで、「福田山東明寺」通称 吹上観音 に着きました。


                    境内Map


急な石段を上った先にある「仁王門」に収蔵された木造の「仁王像」は、高さ2m超で和光市最大の仏像です
境内の左に、「地蔵堂」があります。
本堂右奥にある「八幡神社」は
、一般拝観を行っていないようです。
庚申塔が135基も置かれているという和光市指定文化財の「百庚申塚」も、残念ながら
一般拝観を行っていないようです。


       山門と寺院門碑              山門内に石仏            同 青面金剛像の庚申塔

      仁王門への石段石段              仁王門                   同 金剛力士像

       本堂への石段                石段上 常夜燈                手水舎

          本堂

     本堂右奥 八幡神社                同 神明型鳥居              立ち入り禁止

       鳥居脇の力石                      後ろに二基の三猿の台石

       地蔵堂への路                  地蔵堂                  同 内部

      同 身代わり地蔵像             同 六地蔵の石幢               同 地蔵菩薩像

          鐘楼                同 拡大画像(撞鐘)             庫裡との渡り廊下
                         寛文十二年(1673) 造立

     百庚申塚 立ち入り禁止            一部を遠望

 同 階段右脇に二基の青面金剛像の庚申塔         同 奥 拡大画像             同 手前 拡大画像
                          明和五年(1768) 造立           宝暦十一年(1761) 造立

       境内から仁王門             石段上から山門



東明寺を出て直ぐの吹上観音下交差点を直進し、三園通り(正覚院通りの延長)を進むと二基の庚申塔が見えます。


      吹上観音下交差点             三園通りの先に庚申塔



左側の路傍に、「橋供養庚申塔」と「白子3丁目の庚申塔」が祀られています。


       二基の庚申塔               同 左 橋供養庚申塔           同 右 青面金剛像の庚申塔
                          享保十九年(1734) 造立            宝暦十年(1760) 造立



吹上観音下交差点に戻り 左折し、吹上観音から白子川沿いに南に向かう市城通りを進みます。
暫く往くと、<字になった稲荷坂が現れます。
稲荷坂の途中の高台に朱の鳥居が見えました。


        市城通り                先に<字賂が見える             稲荷坂を上る

    坂の途中に朱の鳥居が見える



東明寺から700m、参道の急な石段を登った先に「豊川稲荷神社・氷川神社(市場稲荷神社)」があります。
北側参道の横には、「坂石供養塔」と「三猿の庚申塔」が安置されていました。


       朱の明神型鳥居               更に明神型鳥居               手水舎

      社殿前 明神型鳥居                同 常夜燈                 同 神狐

          社殿                   北側の参道                朱の鳥居群 

      参道脇に二基の石塔             同 坂石供養塔              同 三猿の庚申塔
                         明治二十五年(1892) 造立          天和四年(1684) 造立



神社の北t側は、道を隔てて
真向かいに石階段がありその先は墓地になっています。


     北側から見た神社                墓地の石段



石段の途中に「市場大日堂」がありました。
堂内には、大日如来などは祀られていないようです。


       墓地への石段中にお堂              大日堂              同 堂内左 六体の木像

     同 堂内右 延命地蔵尊像             お堂右脇に石仏群
      文政三年(1820) 造立



更に 市城通りを南西に進み、途中成増五丁目公園の角を左折をして白子川を渡ります。
渡った先の成増五丁目公園の角を右折し、南西に小川沿いを往きます。
成増北口通りを南に成増駅に向かいます。
成増駅を横断し、地下鉄成増駅に着いたのは14時20分でした。
市場稲荷神社から1,600mも歩き詰めでした。


        市城通り                 左折し更に進む                橋が見える

        白子川               成増五丁目公園を右折          護岸された小川沿いの路

      成増北口通りとの交差点            成増北口通り               東武東上線の踏切

         成増駅北口          川越街道 地下鉄成増駅地上出入口




昨日周り切れなかった和光市の庚申塔巡りを中心に7Km近く歩きました。
通りに点在する庚申塔の他、「壹鑑寺の巨大な三基の五輪塔」「下新倉氷川八幡神社の富士塚」「東明寺の仁王門」等印象に残るものがありましたが、「東明寺の百庚申塚・八幡神社」は立入禁止で拝観できず残念でした。
二日に亘っての和光・成増地区の庚申塔巡りでしたが、予定外の庚申塔があったり面白い石仏巡りでした。