10月23日(月) 暴風雨 9:40−9:50 「庄内神社」(鶴岡市) 会社同期旅行で前日の深夜高速バスで酒田に着き、台風21号の真っ只中「最上川舟下り」など当日観光をキャンセルせざるを得なかった。 唯一、鶴岡公園内の藤沢周平記念館に立ち寄った際暴風雨に見舞われながら「荘内神社」を拝観させていただきました。 庄内藩主の居城であった鶴ヶ岡城の本丸址に所在し、庄内藩主酒井家の4人の先祖を御祭神として祀っています。 神明型一之鳥居 明神型二之鳥居と神社名碑 手水舎 明神型三之鳥居 拝殿 宝物殿 亀趺 10月24日(火) 晴れ 8:50−10:30 「宝珠山阿所川院立石寺(山寺)」(山形市) 台風一過秋晴れの今日、山寺1070段の石段に挑戦します。 境内Map 「登山口」、ここから第一歩が始まります。 お寺なのに「登山口」と銘打つところが、山寺たる所以なんでしょうか。 最初の石段(76段)を上ると、山寺全体の寺院の本堂に当たる国指定重要文化財の「根本中堂」があります。 「奥の細道」の標識と「定」 寺院名碑 登山口 石段を上った所の石灯籠 香台と本堂 本堂(根本中堂) 山門まで平坦な道を行きますが、道の真ん中に「橋殿」の説明板と小さな地蔵像が祀られています。説明板には、「古来 天皇・宮人のみが渡る石橋と伝えられている。「石地蔵尊」の頭をなでると長命できる。」とありました。 更に、山寺を勅願寺とした清和天皇の供養塔「清和天皇御宝塔」がありました。山寺の中では、最も古い石塔です。 橋殿 同 拡大画像 石地蔵尊像 清和天皇御宝塔 同 拡大画像 水子供養の小堂 同 五輪塔 水子供養の地蔵群 前方に鳥居が見えます。 山寺を開山した慈覚大師が鎮守社として、釈迦・薬師・阿弥陀三尊を祀った「日枝神社」です。 なぜ「山寺の参道が神社の境内になるの」と云う疑問が湧きましたが…それはさて置き…。お辞儀をして鳥居をくぐり神社の領域に入ります。 「日枝神社」拝殿の前には、古来より延命長寿の霊験ありと伝えられ、小銭に自分の名前を書いて甲羅の上に投げると願いがかなうといわれる「亀の甲石」が設置されていました。 更に、6基の御神輿が収められている「御神輿殿」もありました。「御神輿殿」の前には、山形だけに「こけし塚」がありました。 神社の領域を示す明神型鳥居(IN) 芭蕉と手水盤の説明板 同 手水盤 亀の甲石の覆屋 亀の甲石 日枝神社 御神輿殿 「こけし塚」と刻まれた石塔 神社の領域を示す明神型鳥居(OUT) 鳥居を出ると、寺院の参道らしく、坐禅や写経を行う立石寺の修行道場「念佛堂」・「鐘楼」と続きます。 芭蕉と門人曾良の像 地蔵菩薩像 二仏の地蔵菩薩像 宝物館 奥の方に仏堂 同 ガンダーラ風の仏像 念佛堂 同 銅製の「なで仏」 鐘楼 鎌倉時代の建立といわれる「山門」に着きました。 受付で入山料300円を支払い、山門をくぐります。 この先、本格的な階段登りとなり、ここから「奥之院」までの石段は930段を超えます。 始めの内はなだらかな石畳ですが、やがて「姥堂」(160段)に出会います。ここから下は「地獄」、ここから上が「極楽」という「浄土口」です。 山門が見えてきた 山門 奥の院までの段数表示 登山口受付 山門をくぐる 青銅の宝塔 最初は緩やかな傾斜の石畳 笠岩に覆われる香台 同 拡大画像 地蔵菩薩像 姥堂 奪衣婆の石像 磐に掘られた石仏 同 六地蔵像 岩肌に石仏が並ぶ 西国三十三所観世音菩薩の石碑 空也の石碑と如意輪観音菩薩像 預天賀地蔵 山寺夜行念仏の石碑 金剛寶地蔵 岩場の上に石仏 同 千手観音菩薩像 同 十一面観音菩薩像 お山の自然に沿って造られた参道は狭い箇所が多く、特に「四寸道」と呼ばれる箇所は一番狭く約14cmしかないと云われています。この参道は、先祖も子孫も登ることから「親子道」とか「子孫道」とも云われているようです。 慈覚大師御手掛石 四寸道 虚空蔵菩薩像 千手観音菩薩像 十一面観音菩薩像 一石二仏像 十一面観音菩薩像 -------------------------------- 行く手に石仏群 ------------------------------- うっそうとした杉林は太陽の光も届かず、石段に苔が付き足元に注意しながら「四寸道」を進むと、左に「百丈岩」が迫ってきます。 この崖の上に、「五大堂」「納経堂」「開山堂」が建っています。 「行者の参道」の案内板 狭い参道 百丈岩 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」芭蕉の句をしたためた短冊を、この地に埋めて石の塚を建てたという「せみ塚」(430段)まで来ました。 せみ塚 剥落が進む石仏 石灯籠と石仏群 緑の木々が清々しい 地蔵菩薩像 金剛憧地蔵 千手観音菩薩像 単制の卵塔・石仏群 長い歳月の雨風が岩を削り、「阿弥陀如来」の姿を創りだしたという「弥陀洞」(559段)に着きました。 この岩が「仏」の姿に見ることができる人には、幸福が訪れると云われています。どうしても「仏」の姿には見えない私には、今まで以上の幸福が訪れないのでしょうか。 弥陀洞辺り ------------------------------------ 弥陀洞 ----------------------------------- ------------------------------------------------------ 弥陀洞 --------------------------------------------------------- 「弥陀洞」から「仁王門」(654段、嘉永元年(1848)再建)までは100段余り、この辺りから明らかに紅葉が目に入ってきます。 けやき材の門の左右の「仁王尊像」は、「運慶」の弟子達の作と謂われています。 仁王門石段蕎麦の石仏 仁王門 門内の仁王像 「仁王門」の石段を上ると、本尊として阿弥陀如来を安置する「観明院」があります。 仁王門より性相院を望む 観明院 院内 阿弥陀如来像 この辺りから紅葉が見事 仁王門を振り返る 山内支院の一つ「性相院」(839段)に着きました。 案内板には「江戸時代までは、12の塔中支院があり、現在は、性相院/金乗院/中性院/華蔵院の4つの院がその面影を残す」とあります。 山内支院の案内板と奥の院5分の案内板 山内支院 性相院 同 聖観音菩薩像 金乗院を望む 石段を上ると、山内支院の一つ「金乗院」があります。 山内支院 金乗院 更に上ると、山内支院の一つ「中性院」(984段)があります。お堂の入口には、なで仏「おびんずるさま」が置かれています。 左側には、「最上義光公御霊屋」があります。 山内支院 中性院 同 おびんずるさま 最上義光公御霊屋 更に上ると、奥の院の全体を見渡せる広場に出ました。 中央に修復中の金華山・金比羅山の灯籠と共に日本三大灯籠と呼ばれている「金灯篭」が見え、右側に「一切経蔵」その上段に「鐘楼」が見えます。 最後の石段を上ると、この先は「奥の院」です。 奥の院を見渡す広場 一切経蔵 右側の石段と手水鉢 工事中の金灯篭 鐘楼 山寺の頂上「奥之院(如法堂)」(1070段)まで上り着きました。。 「大仏殿」の殿内には、金色の「阿弥陀如来像」が安置されています。 標高にすると約400mですが、勾配のきつい石段が多く結構きつかったです。 しかし、見所(休み処)が多く、思ったより余裕がありました。 香台 奥之院(如法堂) 登山口から1000余段/奥の院の案内板 大仏殿 殿内 阿弥陀如来像 奥の院の参拝を終えて広場に下り案内板に従い、「華蔵院」と、国指定重要文化財「三重小塔」を見学しに行きます。 山内支所の一つ「華蔵院」の右側にある岩窟には、岩屋をお堂に見たてたその中に高さ2.48mの全国で最も小さい三重塔「三重小塔」(永正十六年(1519)建立)が収まっています。 三重小塔への案内板 路傍の石仏 剥落している三体の観音像 三重小塔 同 三重小塔(転写) 華蔵院 更に、山寺のシンボル「納経堂」に向かいます。 途中、大正天皇が山寺に行啓(参詣)された時に休憩された建物「大正天皇東宮時山寺行啓行在所」があります。 「修行の岩場」の案内板に沿って進むと、山内で最も古い建物「納経堂」と慈覚大師の木造の尊像が安置される「開山堂」並んで見えます。 納経堂への道 山寺記念殿(行在所) 「修行の岩場」の案内板 案内板の方向に「修行の岩場」 進む崖の壁面に石仏群 納経堂と開山堂 同 拡大画像 納経堂 同 拡大画像 開山堂 「開山堂」脇の櫓組した「五大堂」の階段を上りると、山形市で最高の見晴台と言っても過言ではない風景が広がります。 五大堂の櫓の階段 五大堂 五大堂からの眺め 帰路は、「日枝神社」からの108段の石段を下りました。 日枝神社 明神型鳥居と寺院名碑 五大堂を望む 13:00−13:15 「熊野神社」(南陽市) 県道3号線沿いの、東北随一の歴史と規模を持つ日本三大熊野の一つ「熊野神社」を参拝しました。 境内Map 山寺の石段を上ったあとでは、拝殿までの約30段の石段は苦になりません。 境内には、左側に南陽市指定文化財の「洪鐘」(寛永三年(1626)寄進)・「神楽殿」があり、右側に山形独自の茅屋根文化を発達させた「拝殿」(天明七年(1787)再建)が配置されています。 県道3号線からの大鳥居 両部型鳥居 手水舎 大銀杏の前に小社 道祖神社 境内への石段 石段の和風獅子型狛犬 石段上の宋風獅子型狛犬 鐘楼 神楽殿 拝殿 さほど広くない境内には、県指定文化財の「土社神社」をはじめとし30程の境内社がありました。 土社神社 幸神社 大社神社 月山神社・湯殿山神社 大宮子易神社・青麻神社・山神社・古峯神社 境内社 八幡宮 同 拡大画像 愛宕神社・保呂羽神社・羽黒神社・菅原神社 14時に、途中合流の同期の一人と上杉神社で待ち合わせをしているため、慌しい参拝でした。 14:00−14:30 「上杉神社」(米沢市) 米沢城本丸奥御殿跡に建立された上杉謙信と上杉鷹山を祀る「上杉神社」で、同期の仲間と合流しました。 米沢城の堀に架かる「舞鶴橋」を渡り、拝殿まで一直線に通ずる参道を進みます。 二つの鳥居をくぐり、立派な「唐門(神門)」を通ると、杉の大木に囲まれた「拝殿」です。 舞鶴橋を渡る お堀 明神型一之鳥居 手水舎 明神型二之鳥居 唐門前 和風獅子型狛犬 唐門 拝殿 拝殿から参道を望む 「拝殿」の左側に「春日神社」への案内板がありました。 上杉神社の境内社「春日神社」は、小さな山の上に鎮座されていてパワースポットのような神々しさを感じました。 更に進むと、通称赤い橋「菱門橋」に出ました。 春日神社への道 春日神社 同 拡大画像 進む先に赤い太鼓橋 菱門橋 橋からのお堀 この後、お堀沿いに「上杉伯爵邸」を見学し、「松岬神社」へ向かいます。 15:10−15:20 「松岬神社」(米沢市) 上杉神社の参道側にある上杉神社の摂社「松岬神社」は、米沢につくし功績を称え祀った神社です。 明治に入り、上杉神社に上杉謙信公とともに祀られていた上杉鷹山公が松岬神社に分祀され、大正12年には上杉景勝公も合祀されました。昭和13年、米沢市制施行50周年を記念して新たに直江兼続・鷹山公の師細井平州・重臣竹俣当綱・莅戸善政も配祀されています。 一之神明型鳥居 二之神明型鳥居 手水舎 拝殿 拝殿前 和風獅子型狛犬 10月25日(火) 晴れ 9:10−10:00 「羽黒山正善院黄金堂」(鶴岡市) 羽黒山を参拝する際の玄関口にあたる、国指定重要文化財の「正善院黄金堂」(建久四年(1193)建立)とお竹伝説がある「於竹大日堂」に参拝しました。 入口の「仁王門」には、立派な「仁王像」が守護しています。 「仁王門」をくぐり境内に入ると、右側に「閻魔大王と左右の司禄」が座す覆屋と「十体の地蔵像」を祀る覆屋があります。 仁王門 門柱 仁王像 仁王門より境内 三体の閻魔を祀る覆屋 同 閻魔大王と左右は司禄 手水鉢 石灯籠 十体の地蔵像を祀る覆屋 左の三地蔵像 中央の四地蔵像 右の三地蔵像 左側には、「御竹大日堂」とお堂の前に「不動明王像」を筆頭に石仏が並んで祀られています。 於竹大日堂 於竹大日堂前 石灯籠 同 石灯籠 於竹大日堂前 石仏群 同 不動明王像 同 十一面観音菩薩像 「黄金堂」堂内には、ご本尊である等身大の三体の聖観世音菩薩を中心に左右十五体計三十三対の聖観世音菩薩が祀られています。羽黒山頂の「大金堂」に対し、かっては「小金堂」と呼ばれていましたが、御本尊の33体の観音様が黄金色に映えることから「黄金堂」へと呼び方が変化していったようです。 羽黒山五重塔に安置されていたご本尊前仏の他、平安時代から江戸時代までの貴重な仏像が約70体安置されています。ご本尊を正面で参拝をした後は、お堂の中を時計回りに一周し、その後「於竹大日堂」を参拝すると出羽三山をお参りしたことと同じになるように構成されているとのこと。 黄金堂 ご本尊の三十三世観音菩薩像 「於竹大日堂」の裏側は、あまり手が入れられていないらしく「鐘楼」とか石碑の類が雑然と配置されている感じでした。 於竹大日堂の裏側 裏側の様子 鐘楼 庚申の石碑 左 文字供養塔、右 六弁財天供養塔 馬頭観世音菩薩の石碑 堂内は撮影禁止でしたので、興味深い仏像を撮れなかったのが残念でした。 10:10−11:20 「羽黒山・出羽三神神社」(鶴岡市) 境内Map 鳥居をくぐり右側を見ると、色鮮やかな赤色の御社が鎮座していました。 出羽三山神社門前之宮「天地金神社」です。 天地金神社の手前には、安産子育てにご利益のある「豆腐地蔵尊」を祀る小さな御堂がありました。 羽黒山の入口 明神型鳥居と寺院名碑 鳥居右側の一角 豆腐地蔵尊のお堂 同 拡大画像 南無阿弥陀仏の文字塔 手水鉢 天地金神社 羽黒山参詣道の入口の「随神門」をくぐれば、これより先は出羽三山の神域です。 神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がり、「随神門」はこの広い神域の表玄関なのです。 継子坂を下り、参詣道を進みます。 坂の途中には、六社の境内社「磐裂神社」「根裂神社」「五十猛神社」「大年神社」「天神社」「豊玉姫神社」が配置されています。 隋神門 継子坂 磐裂神社 根裂神社 五十猛神社 大年神社 天神社 豊玉姫神社 継子坂を下りきると祓川に掛かる「神橋」に出ます。 神橋からは、8Km先の月山から水路を開削し造ったという「須賀の滝」が見られます。 祓川左岸の須賀滝下には、境内社「岩戸分神社」「祓川神社」と青銅の「不動明王像」が祀られていました。 神橋を渡ると、左側に祀られている境内社「下居社」がありました。 継子坂の先に赤い橋 神橋 須賀の滝が見える 迫力ある須賀滝 須賀滝下の岩戸分神社 同 不動明王 同 祓川神社 神橋の先に境内社 下居社 祓川を渡ると間もなく、左手に樹齢一千年以上といわれ天然記念物の巨大な「爺杉」が見えます。 山頂まで続く杉並木は、特別天然記念物に指定されてます そして国宝で東北最古の塔「羽黒山五重塔」(文中元年(1372)再建)に到着です。 法隆寺・瑠璃光寺の五重塔と共に、日本三大五重塔に数えられるとか。 少し山に入っただけなのに、まるで別世界がそこには広がっていました。 爺杉 石畳を進む 庚申の石碑 杉木立から見た五重塔 正面からの五重塔 一の坂と道標 この先登山道が続きますが、時間の関係上羽黒山の裏参道として県道から羽黒山頂に直結している羽黒山有料道路を使用しました。 駐車場からの参拝道を通って社殿に向かいます。 やっぱり山の中ということもあって、空気が違います。 裏参道からの境内入口となる、朱の鳥居が雰囲気を引き締めてくれます。 まず、 萱葺き屋根の「鐘楼」(元和四年(1618)再建)と国指定重要文化財で東大寺・金剛峯寺に次ぐ歴史を持つ鐘「建治の大鐘」(建治元年(1275)造立)が目に付きました。山内では、国宝五重塔に次ぐ古い建物です。神社に鐘楼が…と思いましたが、羽黒山にはこういった神仏習合の歴史を思わせるものがあちこちに見受けられるようです。 山頂駐車場から出羽三山神社へ向かう 境内社 境内社 天宥社 手水舎 両部型鳥居 萱葺き屋根の鐘楼 建治の大鐘 「鐘楼」の隣には、年間を通してほとんど水位が変わらないという不思議な池「鏡池」があります。 鏡池の前には、豪奢な社殿が並びます。 右から、境内社の「羽黒山東照宮」「霊祭殿」、仏像約250体を安置する「羽黒山千佛堂」、参拝者の方の休憩施設「参集殿」と続き、真打の三神合祭の拝殿国指定重要文化財「三神合祭殿」(文政元年(1818)建立)です。 「三神合祭殿」の社殿は、合祭殿造りという羽黒派古修験道独自のもので、高さ28m、桁行24.2m、梁間17mで、内部は総朱塗り、屋根の厚さは2.1mという萱葺きの豪壮な建物です。拝殿には、「出羽三山神社」の名の通り、月山・羽黒山・湯殿山の御祭神が祀られ各々の扁額が掲げられています。 「三神合祭殿」の左側には、工事中の境内社「蜂子神社」「厳島神社」が並びます。 境内社 羽黒山東照宮 境内社 霊祭殿 羽黒山千佛堂 参集殿 鏡池 鏡池からの三神合祭殿 三神合祭殿前 和風獅子型狛犬 横からの三神合祭殿 湯殿山・月山・羽黒山の扁額 三神合祭殿左側 工事中の境内社 同 蜂子神社 同 厳島神社 更にその隣には、表参道の境内入口となる朱の鳥居があります。 鳥居をくぐり、精進料理を予約している「斎館」に向かいます。 因みにこの道は登山道で、このまま下りていくと「羽黒山五重塔」に至ります。 境内入口の朱の両部型鳥居 手水舎 表参道の登山道 斎館 冬支度の斎館 三神合祭殿との回廊