保谷 石仏巡り(1)

 今回は、西武池袋線界隈の石仏巡り「練馬高野台・練馬・桜台・東久留米・中村橋」に続く第6弾、練馬区に隣接し
 武蔵野の面影が残る緑豊かな住宅地「西東京市保谷地区」を散策します。
 駅舎の1/3は練馬区に架かっている 西武池袋線保谷駅を起点に、南の西武新宿線西武柳沢駅を経由して田無駅迄の
 約13Kmを、多摩石仏の会編著「新多摩石仏散歩」を参考に、点在する路傍の石造物・寺院・神社などをピックア
 ップして順路マップを作成しました。


 最寄の西武池袋線富士見台駅より、僅か4駅8分 9時20分に保谷駅北口に降りたちました。
 駅舎・駅前は再開発が行われ、10年前にきた時とは様変わりをしていました。
 駅前から北に向け250mほど広い道路が続き、更に80m程狭い道を直進すると、セブンイレブンの横に「馬頭観世
 音の石碑」がありました。

 
            保谷駅北口               馬頭観世音の石碑
                           大正十四年(1925) 造立


 保谷駅北口から続く福泉寺通りを更に250m北進すると、保谷地区の鎮守三十番神の別当寺「向竜山唯心堂福泉寺
 があります。
 山門の左右に、四基の題目塔が安置されていました。
 馬頭観音像を浮き彫りにした「石橋供養塔」など、いずれも保谷市有形文化財の四基の石仏・石碑が安置されていま
 した。
 正面には、鉄筋コ ンクリート造りの立派な本殿があります。
 

 
     山門の左右に題目塔と寺院名碑           門前の題目塔               山門入って左の題目塔
                             明治二十五年(1892) 造立
 
      山門入って左の馬頭観世音塔             同 拡大画像                境内の題目塔
      明治三十五年(1902) 造立 
 
         帝釈天堂                  本殿                青銅の日蓮上人像
 
          堂横の観音像                  堂横の水鉢               墓地内の魚藍観音像 

 山門の右奥に、境内社の「稲荷神社」がありました。


 
       稲荷神社 明神型鳥居               同 お社                同 お稲荷さま

  
 福泉寺通りを更に200m北進すると、したみち通りの交差点にでます。


 
           したみち通り


 したみち通りを右折し200m進むと、永徳二年(1382)の開創で六百年余りの古刹「新井山大乗院円福寺」があり
 ます。
 門前の「馬頭観世音の石碑」の基礎の右側に、「右 たなし道」の陰刻がありました。
 長い参道の先の山門を潜ると、境内の左側に 柴又の帝釈天から分身の帝釈天立像を祀る「帝釈堂」があります。
 正面には、鉄筋コ ンクリートの立派な本殿があります。


 
           題目塔と山門                   題目塔                馬頭観世音の石碑
                            宝暦十一年(1761) 造立                     
 
           題目塔                    山門                     帝釈堂 
      寛政二年(1761) 造立           宝暦二年(1752) 造立 
  
          本殿


 したみち通りを戻り、更に西に向かいます。 細い道ですが立派な道路が続きます。


 
           したみち通り

 
     
 700mほど住宅街を歩み続けると、憩いの杜といった風情の「下保谷天神社」にでます。
 神主の奥様が落ち葉焚きをしていて、一層風情が漂っていました。
 彫が繊細で見事な狛犬を繁々と眺めていると、奥様がわざわざ解説をして下さいました。
 台石に彫られている「牛に跨り笛を吹く童子」と「子を抱く人魚」は石造美術としても、一見の価値があると思い
 ます。
 又、奥様に教えられて、境内の東端にひっそりと佇む「道祖神の石碑」を探しました。 石碑の正面が塀に向かっ
 ている為に裏面しか見えず、只の石塊れかと思いましたが、回り込んでみると南無道祖神の陰刻がありました。
 側面は「道しるべ」になっていて、「右○又道」「左田無道」と陰刻がなされていました。
 境内には、西東京市指定文化財の二基の「題目塔」(3mの大きな題目塔と自然石の題目塔)も配置されています。
 境内社の前には、風雪を経て風格が出てきた「和風狛犬」が配置されていました。
 拝殿の左右には、「富岡稲荷神社」「後現稲荷大明神」の石碑が祀られていました。


 
           明神型鳥居                神社名碑                  大きな題目塔
                                                安永九年(1780) 造立
 
          自然石の題目塔               道祖神の石碑               同 側面は道しるべ
      安永二年(1773) 造立           文化十三年(1761) 造立   
 
       左の宋風獅子型狛犬           右の宋風獅子型狛犬             同 左右の台石彫刻
 
          拝殿                   旧社殿                和風獅子型狛犬
                                                 宝暦九年(1759) 造立 
 
           二基の石碑               裏側の明神型鳥居               手水舎


 更に170m進むと、スーパーLet'sの傍らに「題目塔」が祀られていました。


 
     スーパー入口付近に題目塔              同 題目塔
                            享保八年(1723) 造立  


 更に270m進むと、東京都道・埼玉県道234号 (前沢保谷線) と交差する角の畑に、剥落して文字が判読できない
 「題目塔」が祀られていました。
 この辺りから、雲行きが怪しくなり始めました。 東から黒い雨雲が漂い始め心配になりました。

 
        畑に磨滅した題目塔               同 拡大画像            


 ここで したみち通りを左折し、前沢保谷線を南に歩を進めます。
 200mほど先の信号の脇に、「題目付き庚申塔」がありました。


 
          信号脇の庚申塔              同 題目付き庚申塔
                           寛政十年(1798) 造立  


 信号を右に入り150mほど行くと、「大象坊跡墓地」がありました。
 墓地中央の「釈迦如来丸彫り坐像」が目立っていました。


 
       墓地中央 祠と釈迦如来像            同 釈迦如来丸彫り坐像
                             寛文四年(1664) 造立


 先ほどの信号まで戻り、前沢保谷線を50m (延べ200m) 南に進むと、保谷第一小学校の前に「坊ヶ谷戸墓地」が
 ありました。
 小学校の前に墓地とは珍しいと思いつつ、扉を開けて中に入れさせて頂きました。
 墓地の正面には大きな「題目塔」が構え、その右に「日蓮上人坐像」が安置されていました。

 
       墓地中央に大きな題目塔                同 題目塔                  同 日蓮上人坐像
                           天保二年(1831) 造立


 遠くで、雷鳴が鳴り始め空は完全に雨雲に包まれてしまいました。 何時雨が降り出してもおかしくない状況です。
 今回の散策は、270m先の西武池袋線の踏み切りまでとし、急遽駅まで避難することにしました。
 踏切待ちをしていた時に、踏み切り沿い左30m先の「二十三夜塔」を見つけました。
 踏切から900m先の、西武池袋線保谷駅に向かう途中でポツリポツリ冷たいものが頬を過ぎりましたが、幸い濡れ
 るという所までは行きませんでした。
 駆け足で保谷駅南口に着いたのは、11時40分でした。


 
          二十三夜塔                 保谷駅南口



 保谷地区は、日蓮宗が盛んな土地柄か、辻の所々に「題目塔」が祀られていることに気が付きました。
 天候の急変で仕方ありませんでしたが、散策の軌道に乗った所で中断とは残念でした。
 結局、約4Kmの歩行で、まだ2/3の行程を残しています。 近い内に挑戦したいと思います。



  ☆ 保谷巡り(2)