三国街道 (猿ヶ京付近) 巡り 1


 テニスクラブ恒例の合宿で、猿ヶ京温泉に赴きました。
 いつもの通り、翌朝5時起きで温泉に浸かり、心地よい体の火照りを楽しみながら近くの散策に出かけました。
 国道17号に出て直ぐに、「三国街道」の標識を見つけました。
 急遽ロッジに引き返し、カメラ持参で一寸した古街道巡りに出かけました。
 
 猿ヶ京は、越後への重要な交通網だった三国街道に点在する温泉郷です。
 古くから宿場として開けていましたが、昭和33年ダムの建設により、それまで笹の湯・湯島温泉と言われた温泉街は
 、赤谷湖の湖底に深く沈んでしまいました。 
 その為国道17号線沿いに移ったのが現在の猿ヶ京温泉です
 ここを通る三国街道は、中山道の高崎から北に分かれ、「金古・渋川・中山(高山村)・塚原(月夜野町)・布施・
 永井(新治村)」を経て、上越国境の三国峠を越える関東と越後を結ぶ街道です。
 “猿ヶ京”という地名の由来は、上杉謙信公が関東へ出陣中この地に野営したとき「関八州を手中に治める」という
 めでたい夢を見、喜んだ謙信公は「今年は申年、今日は申の日、余は申年生まれ」と門出を祝い、ここを猿ヶ京と名
 付けたといわれています。 因みに、「吾も申年生まれ」です。


 東京薬業健康保険組合 猿ヶ京温泉保養所「ロッジガルニ」を、5時30分にスタートしました。


 
       「ロッジ ガルニ」               宿泊棟                  温泉場 
 
           食事処


 国道17号線沿いの、三国街道との分岐地点までは20m足らずでした。
 分岐地点付近には、「庚申の文字塔」「庚申塔の石碑」「不動明王像」の三基の石造物が安置されていました。


 
        三基の石造物               同 庚申の文字塔            同 拡大画像 三猿部分 
 
           同 庚申塔の石碑              同 不動明王像


 国道に架かる歩道橋が分岐点で、左が三国街道です。 右の国道17号線に沿って三国街道は続きます。


 
       分岐点 左が三国街道


 三国街道の面影が残る民宿通りには、「お願しょ (パワースポット) 」の史跡が点在しています。
 三国街道 (民宿通り) の、四〜八番の「お願しょ」を巡ります


 
       途中で逢った如意輪観音像             同 拡大画像


 三国街道沿いに安置されてる、お願しょの四番「子育て地蔵」です。

 
           お願しょ四番             子育地蔵と地蔵菩薩               同 拡大画像


 街道沿いには、常夜灯が点在しています。 瀟洒な造りは、町興しの観光用と思われます。
 新しい石標には、「参勤交代道永井宿…」「三国街道猿ヶ京宿…」と刻まれています。


 
         常夜灯1                   石標                  常夜灯2


 信仰巡りの案内標識に従って進むと、江戸時代初期と思われる 眼の神様 お願しょの五番「薬師堂」に出会いました。
 「とうかんや」の灯篭はまだ新しいものです。
 薬師様の左側には、「二十三夜塔」と剥落した「地蔵菩薩像」などが配置されています。
 右側には、4体の石仏と「青面金剛像の庚申塔」「地蔵菩薩尊」が配置されています。

 
           お願しょ五番                  薬師堂          百番の石碑・地蔵像 二十三夜塔・地蔵菩薩像
 
          4体の石仏                同 如意輪観音像           青面金剛の庚申塔と地蔵菩薩尊


 更に進むと程なく、信仰めぐり五番・六番・七番の標識がありました。


 
          お願しょの標識


 標識に従って進むと、お願しょの六番「いぼ地蔵」の覆屋が見えました。
 覆屋の脇にも、「聖観音菩薩像・地蔵菩薩像・庚申塔の石碑」など3基の石仏・石碑が安置されていました。


 
           お願しょ六番              いぼ地蔵の覆屋              同 いぼ地蔵像
 
        覆屋の脇に三基の石造           同 聖観音像・地蔵像             同 庚申塔碑
                                                文化二年(1805) 造立


 お願しょの七番は、「二十三夜様」とありました。 
 ここには、「二十三夜塔・庚申の石碑・青面金剛塔・勢至菩薩像」など7基の石仏・石塔が安置されています。

 
           お願しょ七番
 
     左より 御神燈・庚申塔・地蔵像     青面金剛塔・勢至菩薩像・二十三夜塔            庚申の石碑


 耳の病気に効能があるという「耳だれ地蔵」に向かいます。
 耳垂れ地蔵左折の案内標識と、「旧三国街道猿沢の上り」の散策マップがあり標識に従い左折します。
 「若山牧水も歩いた昔の風情が、そのまま残っている」という文句にそそられ、時間の許す限り歩いてみることにし
 ました。

 
          分岐路                耳だれ地蔵の標識        旧三国街道 猿沢の小径の散策マップ
 
         下り坂の山道


 やがて旧三国街道は、猿沢に向けて下り坂となります。
 途中、方々の小枝に祈願のお椀が吊るされている変わった場所に出ました。 お願しょの八番「耳だれ地蔵」です。
 説明板によると、何の変哲もない剥落した地蔵像が「耳だれ地蔵 (耳鳴り地蔵)」 とのことでした。


 
           お願しょ八番              剥落した耳だれ地蔵


 まだまだ旧三国街道は、猿沢に向けて下り坂となります。
 この付近は猿の餌場だったことから、猿沢と名付けられたと言われています。
 この辺の林道は、野鳥や昆虫も多く生息していて自然の豊かさを感じさせてくれました。


 
     擬木で作られている申沢橋       木々に反射してよく響く猿沢の瀬



 時間が止まってしまっているかのような感覚でしたが、お腹の虫が朝食の時間を知らせてくれて、木々に醸し出され
 るイオンに包まれたウォーキングを中断し、急いでロッジへと戻りました。

 散歩の途中偶然出会った「三国街道」を、猿ヶ京付近5Km 1時間40分程度歩いたに過ぎなかったのですが、昔の
 名残を残す漆喰造りの旅館・民宿、観光用に鮮やかな草花を敷き詰めた路辺・休息小屋、時折垣間見る情緒的な田園
 風景、若山牧水も歩んだ猿沢の瀬音が心に浸み入る幽玄な旧三国街道猿沢の上り、そして「信仰巡り」の標識に導か
 れての石仏巡り「早起きは三文の得」と言われますが、大変価値のある安らぎを得た感がしました。
 また、信仰巡りの案内標識がポイント毎に配置されており、不案内な土地でも安心して巡り歩くことが出来、充実し
 た旧街道巡りを楽しみました。

 昨日のクラブテニス大会での優勝と相俟って、幾つものお土産が出来ました。



  ☆ 三国街道 (猿ヶ京温泉~猿沢橋)    ☆ 三国街道 (猿ヶ京関所址・神明神社)