八王子寺院巡り
八王子七福神巡りを終え、「横山党」と云う言葉をよく耳にしました。「横山党」は、八王子市の平安時代末期から室町時代初期に分布していた武士団で武蔵七党のひとつです。横山町辺りの「妙薬寺」には横山氏の供養塔があり、横山氏の館跡とも言われています。またそのすぐ南の「八雲八幡神社」は横山大夫義孝の勧請と言われ、 横山町辺りが横山氏の本拠地であったと言われています。
甲州街道(国道20号線)の南側寺院・神社は 八王子七福神巡りでほぼ巡りましたので、横山町を中心に甲州街道(国道20号線)の北側寺院・神社を巡り歩く計画を立てました。





9時50分、JR中央線八王子駅北口に降り立ちました。
八王子駅から、織物産業が盛んだった八王子を象徴する桑の並木の桑並木通りを北へ向かいます。
八王子駅入口交差点の東西両角に モニュメント「若き日の母(北村西望作将軍の孫(北村西望作が配置されています。
交差点からは、東西に走る甲州街道(国道20号線)の斜め前に 朱の大鳥居が見えます。


                JR中央線八王子駅北口                        桑並木通りを北へ

       八王子駅入口交差点            若き日の母(北村西望作)           将軍の孫(北村西望作)

       朱の大鳥居が見える



旧村社の「市守大鳥神社」です。
西方やや距離のある場所にある八幡八雲神社の兼務社で、境内は「市守神社」として八王子市の史跡に指定されています。
鳥居の扁額をみると書かれているように、市守神社と大鳥神社という2つの神社が同じ境内にあります。
参道の狛犬の先には、鉄筋コンクリート神明造の「拝殿」が配置されています。


         神明型鳥居                 二社の扁額                一対の宋風獅子型狛犬
                                                               昭和三十一年(1956) 造立

        閑散とした境内                一対の石灯篭                 黒い水盤 

            拝殿                    本殿                    授与所



八王子駅入口交差点を右折し、桑並木通りを北進します。
八王子駅北交差点を左折し いちょうホール通りを西へ向かうと、寺院の塀が見えます。


         桑並木通りを北進              八王子駅北交差点を左折           いちょうホール通りを西へ

         寺院の塀が見える



多摩八十八ヶ所霊場77番で八王子三十三観音霊場29番札所の「龍華山大義寺」です。
塀の角に「十一面観音坐像」と、門柱の両傍には小さな石仏が配置されています。


        十一面観音坐像               門柱の両傍に小さな石仏                   前景


境内に入ると山門のすぐ脇に、「不動明王像」が配置されています。
参道右側の芙蓉の樹の左側に、
六道能化の「地蔵菩薩像」と覆屋に祀られる小さな「地蔵菩薩像」が配置されていてます。
正面には、コンクリート造二層屋根の「本堂」が聳え立っています。 壮麗という形容詞がふさわしい白を基調に濃茶色と緑色、そして金色を各所に配した西洋風の造りです。
本堂の脇には、「六地蔵像」「青面金剛像の庚申塔」二基の「三猿の庚申塔」や沢山の石仏が配置されています。 
門扉の蔭に現代の武骨な不動明王がおられました 左が宝暦十一年(1761)の六臂青面金剛像ですが蜘蛛のような六臂造形です。残り2基は年不明の三猿主尊の庚申塔です。 八王子では三猿主尊は数少ない


          山門のすぐ脇                不動明王像

           芙蓉の樹                 地蔵菩薩像が二基            同 六道能化の地蔵菩薩像

           地蔵の覆屋               小さな地蔵菩薩像                   水盤

          天水桶                      本堂

           六地蔵像            青面金剛像の庚申塔と二基の三猿の庚申塔          沢山の石仏
                             左) 宝暦十一年(1761) 造立



いちょうホール通りを西へ、次の信号を左折すると寺院門が見えます。


         信号を左折                 寺院門が見える



圓融山専念寺」です。
真宗本派本願寺説教所として創建したといいます。
石仏・石碑の類は見受けられず、会館の趣があります。



            前景                        本堂



更に、いちょうホール通りを西へ、八幡八雲神社北交差点を左折し南へ進むと朱の大鳥居が見えます。
この頃から雲が解けて、快晴に変わりました。


        信号に戻り左折            八幡八雲神社北交差点を左折            朱の大鳥居が見える



八王子の総鎮守「八幡八雲神社」です。
八幡神社は、武蔵国守の小野隆泰が多摩郡横山荘に京都の石清水八幡宮を勧請したことに始まり、八雲神社は、近江国の八王子社を勧請したことに始まるとのこと。 これが、八王子という地名の由来となったのだと云われています。 八幡神社と八雲神社とを合祀し「八幡八雲神社」と呼んでいますが、両社は対等に並立して称すべき神社とのこと。 
八幡八雲神社が鎮座する地は、武蔵七党の一つ横山党横山氏の館跡(本拠地)と伝えられて、境内は「横山党根拠地」として都の旧跡に指定されています。
朱の大鳥居をくぐり参道を行くと、一対の石灯篭が並びまた一対の石灯篭が対面して配置されています。
更に進むと、参道の左右に「獅子山」と一対の石灯篭が、更に左側に「手水舎」が配置されています。
拝殿前にも、新旧二対の狛犬が配置されています。

正面の高台には、朱塗りの鉄筋コンクリート造
2つの神様を祀っているため2つの破風が並ぶ「拝殿」が鎮座、社叢の緑に映えて厳かな雰囲気を醸し出しています。 境内裏の駐車スペースからは、「本殿」が見て取れます。


            前景                    朱塗りの両部鳥居 

     参道左側 一対の石灯篭            参道左右 一対の石灯篭

        参道左側の獅子山              同 和風獅子型狛犬
     大正十一年(1922) 奉納

        参道右側の獅子山              同 和風獅子型狛犬
     大正十一年(1922) 奉納

     参道左右 一対の石灯篭               参道左側 手水舎                  同 手水鉢

    拝殿前 一対の宋風獅子型狛犬         一対の宋風獅子型狛犬               同 一対の石灯篭
      明治四十二年(1909) 奉納         昭和五十九年(1984) 奉納

        同 一対の天水桶                     拝殿                       本殿


駐車場スペースの「神楽殿」左脇には、大江広元が横山党の始祖横山義孝を祀るために建立したと伝えられる境内社「横山神社」が配置されています。


             神楽殿

           横山神社                    同 神明型鳥居                     同 社殿


駐車場スペースの東側には、鉄柵に囲われて境内社赤星稲荷神社・恵比須大国社・永寿稲荷神社・厳島神社・江島神社 」が配置されています。


     鉄柵に囲われて境内社が並ぶ               同 赤星稲荷神社                同 恵比須大国社

        同 永寿稲荷神社                同 厳島神社・江島神社                 石灯篭

            石祠



八幡八雲神社北交差点に戻り、更に北へ進みます。
北大通りに出た処で左折すると、市立第1小学校歩道橋の先に寺院門が見えます。


    八幡八雲神社北交差点に戻る           更に北へ                北大通りを左折

市立第1小学校歩道橋の先に寺院門が見える



多摩新四国八十八ヶ所霊場第75番札所の「
醫王山聖天院妙藥寺」です。
山門を入って直ぐ左側には、二基の「水子地蔵像」「弘法大師像」「一石六地蔵像」東京都の旧跡「宝篋印塔」「薬師堂」「百度石」「聖観世音菩薩像」などがコの字に配置されています。
その隣には、極彩色で派手な作りの「本堂」が建っています。 本堂の梁上には龍の彫刻が、扉には4枚の観音像の彫刻が施されていて印象に残りました。
正面の「庫裏」の右横には、「十三層の石塔」が配置されています。


            前景                  境内左側の一画                 同 水子地蔵像

        同 水子地蔵像                  同 弘法大師像                  同 一石六地蔵像 

        同 石塔の覆屋                   同 宝篋印塔                     同 水盤 
                           永禄三年(1560) 造立

           同 薬師堂                    同 百度石                 同 聖観世音菩薩

          同 石灯篭                     同 石灯篭                     本堂脇 石灯篭 

            本堂                   同 梁上の龍の彫刻                   同 扉の彫刻

            庫裏                    十三層の石塔


境内の右側「地蔵像」の脇に建つ横山塔への案内板に従って墓所を進んでいくと、奥まったところに小さな門扉があり、その奥に「横山塔」が配置されています。
この石塔は、通称「横山塔」と呼ばれる横山将監小野秀綱の供養塔(宝篋印塔)で、東京都指定旧跡です。
一画には、その他「光明真言塔」「三層の石塔」「青面金剛像の庚申塔」などが配置されています。


     墓地区域入口に立つ地蔵像             横山塔への案内板               門扉(横山塔への入口)

          光明真言供養の碑                  横山塔                   同 供養塔(宝篋印塔)
      文化五年(1808)造立                                       永禄三年(1560) 造立

         三層の石塔                  青面金剛像の庚申塔
                              宝暦七年(1757) 造立



北大通りを西へ向かい、 都道166号線一つ手前の道を右折し北へ進みます。
突き当りの寺院塀を右折すると、山門(通用門)が見えます。


        北大通りを西へ               目印の飛鳥ビル                 先の角を右折

           北へ進む            突き当りを右折すると裏門が見える



寶樹山極楽寺」です。
八王子空襲での焼失を免れた当寺院は、巨木に囲まれ風格と静けさが漂うとても広い敷地を持つ八王子市を代表する名刹寺院です。
裏門から入り、樹木に囲まれた静かな境内を正門に回ります。


           裏門(南門)


真直ぐに伸びる敷石を進んでいくと、参道左側一帯の墓地に「玉田院(小督姫)墓」「塩野適斎墓」が配置されています。
更に進むと、参道左側に三体の「地蔵菩薩像」と石塔・石碑が並び、五基の「長田作左衛門供養塔」を安置する覆屋 更に石塚の上に五基の供養塔が配置されています。 これら三つの墓は、いずれも東京都旧跡に指定されています。
更に続いて、「弁天堂」が配置されています。


            山門                    参道

        墓所内 玉田院墓               同 卵塔(無縫塔)

       墓所内 塩野適斎墓                  同 墓塔と供養塔          同 塩野家累代霊位と刻まれた墓塔

      参道左側 石仏・石塔・石碑            同 南無阿弥陀仏の石塔             同 大乘妙典日本回国碑

           同 地蔵菩薩像               同 二体の地蔵菩薩像

       参道左側 長田作左衛門墓               同 五基の供養塔              塚の上にも五基の供養塔

     参道左側 堂前 一対の石灯篭            堂前 手水鉢                    弁天堂
                              明和四年(1767) 造立


弁天堂と面した参道の右側に、「歯吹如来常念仏塔」と三体の「地蔵菩薩像」が配置されています。
また、裏門の脇に「鐘楼」が聳え立っています。


      参道右側 石塔・石仏              同 歯吹如来常念仏塔              同 三体の地蔵菩薩像
                              明治十一年(1878) 造立

        参道右側 鐘楼                 同 撞鐘
     享保年間(1716-36) 造立


参道正面の本堂への参道には、変わった形の「青銅灯篭」と「石灯篭」が各一対並んで配置されています。
その間の左側には、「旅立ちの法然さま」のブロンズ像が配置されています。
正面には、コンクリート製の寄棟造の「本堂」が迎えてくれます。


            参道正面                 同 青銅灯篭

   旅立ちの法然さまのブロンズ像              同 拡大画像

        本堂前 一対の石灯篭                 本堂                 本堂右横 十三層の石塔



裏門を出て西へ進むと、6月に巡った金剛院から続く都道166号線に出ます。
通りを挟んで斜め向かいに、寺院が見えます。
都道166号線を北へ、浅川橋南交差点から回り込んで寺院に向かいます。 
途中、都道166号線に面して極楽寺の医薬門が見られます。 閉じられた山門の扉及び塀瓦には、徳川家菩提寺の増上寺と親族関連が有るとの事で の三葉葵紋が使用されている様です


        裏門を出て西へ             斜め向かいに鳥居が見える            都道166号線を北へ

            山門                  扉の三つ葉葵紋                塀瓦の三つ葉葵紋

         浅川橋南交差点                  浅川                     南へ向かう

        寺院門が見える



四木山声寿院宝樹寺」です。
聲阿彌稲荷社の別当寺です。
正面の「本堂」の左前に青銅の「一遍上人像」、左脇に三体の「地蔵菩薩像」が配置されています。


             前景                      境内

         石臼の天水桶                    本堂

        一遍上人像                   同 拡大画像                 本堂左脇の地蔵

          同 和合地蔵尊                 同 地蔵菩薩坐像                  同 子育て地蔵像


境内の左側で一遍上人像の後ろ側に 日限り地蔵像を祀る「地蔵堂」があり、その左脇に五体の「地蔵菩薩像」が配置されています。
更に左横には、青銅の「聖観音菩薩像」と四基の石塔(「二十三夜塔」「猿田彦大神塔」二基の「庚申塔」)が並んで配置されています。 
猿田彦塔の台石には、三猿が彫られています。


          地蔵堂                同 堂宇内 日限り地蔵像           左脇の五体の地蔵菩薩像

      同 左二体の地蔵菩薩像             同 中央の地蔵菩薩像              同 右二体の地蔵菩薩像
                             文久三年(1863) 造立

          聖観音菩薩像                 四基の石塔                      同 二十三夜塔
                                                       天保十四年(1843) 造立

        同 猿田彦大神塔                 同 台石の三猿               同 二基の庚申塔
      慶応三年(1867) 造立                               文久二年(1862)・文久元年(1861) 造立


境内の右側には、「閻魔堂(十王堂)」が配置されています。 堂宇内の正面には閻魔大王、左右に十王が並び、奪衣婆も見て取れます。


          閻魔堂                     同 堂宇内



隣りの神社は「聲阿彌稲荷社」です。
宝樹寺と聲阿彌稲荷社は、神仏習合の名残で同じ敷地にあるように見えますが、お互い独立した出入口と参道があります。
よく見ると、両社は長屋門のような建物で繋がっていました。
朱の屋根が目立つ「拝殿」の右横に、「さかえきんせひ(?)/正一位声阿弥稲荷大明神」と陰刻のある石柱が配置されています。
拝殿の左脇には、八王子宿の芸妓や娼妓たちが病になったとき腕を患部に当てて治癒を祈願し腕を奉納したという「瘡守稲荷社」が配置されています。


            前景                   明神型鳥居

      社殿前 一対の石灯篭               社殿前 一対の神狐像                社殿右横 神社名碑
                                                           安政三年(1856)造立

            社殿                       同 堂宇内         宝樹寺と長屋門のような建物で繋がっている

            瘡守稲荷社                     同 堂宇内



聲阿彌稲荷社左側の道を西へ進むと、鳥居が見えます。


           西へ進む                    鳥居が見える


治水の守「水天宮」です。
北隣りの福全院の境外社です。
境内に八王子附近には珍らしい水天宮が祀られています。



         神明型鳥居                     社殿                     同 堂宇内


水天宮社殿の裏側は、福全院の参拝者用駐車場でした。


       寺院の屋根が見え.る



八王子三十三観音霊場27番札所の「大横山福全寺」です。
山門から前に広がる墓地にかけては工事中でしたので、その先の通用門から入らせていただきました。
横に広がる境内の左側には、首の欠けた二体を含む「六地蔵像」「地蔵菩薩坐像」青銅の「水子地蔵像」「馬頭観音像」が配置されています。
境内の正面には、永代供養塔の「聖観音菩薩像」が配置されています。
境内の右側には、客殿と庫裡の先に質実剛健な寄棟造の「本堂」が広がりを見せて建っています。



            山門                          境内                        本堂

         境内左側の石仏群                同 六地蔵像                     同 地蔵菩薩坐像 

      同 青銅の水子地蔵像              同 馬頭観音像

         永代供養塔                同 聖観音菩薩像



都道166号線に戻り、南へ進みます。
いちょうホール西交差点を左折し、いちょうホール通り(八王子市幹線1級19号線)を東へ向かいます。
一つ目の信号を右折し、とうがらし地蔵通りを南へ向かうと山門が見えます。


     都道166号線に戻り南へ           いちょうホール西交差点を左折         いちょうホール通りを東へ

         信号を右折             とうがらし地蔵通りを南へ



八王子三十三観音霊場28番札所の「神龍山禅東院東福寺」です。
最初に「山門」をくぐりましたが、本堂の裏側で墓所への参道になっているようです。
改めて、少し先の寺院門から入り直しました。
直ぐ右側に RC地上二階入母屋造の「本堂」が聳え立ち、その一階部分に「六地蔵像」中心仏の開運地蔵として信仰を集める「とうがらし地蔵像」「釈迦如来像」が並んで配置されています。 とうがらし地蔵像には、装飾として布製の唐辛子が胸元にぶら下がっていました。



            山門                   墓所への参道                      蹲

            前景                       本堂                   本堂下の石仏群

      同 六地蔵像と中心仏           同 中心仏(とうがらし地蔵)              同 釈迦如来像
                              寛文十一年(1671) 造立


本堂の前は、別棟になった坐禅道場「普門殿」で、禅宗式庭園が見事でした。


         普門殿入口                              枯山水の禅宗式庭園

      枯山水の禅宗式庭園                  石灯篭                     石灯篭



とうがらし地蔵通りを更に南へ進み、甲州街道(国道20号線)と交差する夢美術館東交差点に出ます。
交差点の角に、高札場で「札の辻」と呼ばれていた「甲州街道八日市宿跡碑」が配置されています。



        夢美術館東交差点              甲州街道八日市宿跡碑



甲州街道を東へ進み、野猿街道(都道160号線)との交差点から始まる歩行者専用道路"西放射線ユーロード"を、八王子駅北口まで南東に進みます。
西放射線ユーロードは、格子状の街を斜めに貫くように整備された道路で、三角形の残地はポケットパーク(横山町公園・中町公園・三崎町公園)として整備されています。 その各所には、モニュメントやブロンド彫刻が配置されていていて"彫刻のまちづくり"が進んでいるのが分かります。 八日町交差点に「自然と時(ヤネツ・レナーシ作)」、中町公園に「ひざし(高橋洋作)」、J:COM前に「空間の面(秋山礼巳作)」、スシロー前に「箱の中(増田正和作)」、ドンキホーテ前に「風拓No.3(大成浩作)」、三崎町公園に「立つ女(黒田嘉治作)」が設置されています。
また、八日町交差点「自然と時(ヤネツ・レナーシ作)」の前に「八王子道路原標」が設置されています。  国道20号では、起点の中央区日本橋より45kmとなっています。
11時50分、JR中央線八王子駅北口に着きました。 近くのファミレス"バ-ミヤン"でランチを摂り、マルベリーブリッジ(絹の橋)経由で帰路に着きます。


        甲州街道を東へ               野猿街道との交差点           斜めに西放射線ユーロードが走る

      西放射線ユーロードの起点         自然と時(ヤネツ・レナーシ作)            八王子道路原標

       八王子花街への標識             ひざし(高橋洋作)              空間の面(秋山礼巳作)

       箱の中(増田正和作)             風拓No.3(大成浩作)               立つ女(黒田嘉治作) 

       バ-ミヤンでランチ            マルベリーブリッジ(絹の橋)             八王子駅北口




ウォーキング日和ということもあり、4kmの行程もさほど疲れもなく楽しいものでした。
八幡八雲神社」「妙藥寺」と「横山党」ゆかりの地を巡り、八王子市を代表する名刹「極楽寺」の神聖な雰囲気に気持ちを癒され、「大義寺」「東福寺」の華麗かつ壮大な建築物(本堂)に触れることができました。