板橋区富士塚巡り3(蓮根氷川神社の富士塚・西台天祖神社の富士塚) |
一通り東京都内の富士塚を参拝し終えましたが、Webサイト「江戸御府内千社参詣 東京の富士塚 全73ヵ所」に「2022.1.1追記 新たに4ヵ所見つかりましたのでリストに追加しました。」とありました。確認してみると、2つは無理をした感じの富士塚のようです。あと2つ「蓮根氷川神社の富士塚」「西台天祖神社の富士塚」も富士塚と云うよりも、古墳時代に築造された古墳や御嶽大権現が祀られる江戸時代後期の山岳信仰の塚「御嶽塚」のようです(Webサイトにも富士塚の表記はありません)。しかし、上記サイトに富士塚と追加され、かつ常時登拝可能とありますので拝観を計画しました。 9時45分、都営三田線蓮根駅東口をスタートします。 蓮根駅前通りを、高架沿いに南へ向かいます。 都営三田線の高架をくぐり、蓮根二丁目交差点を右折し、志村坂下通りを西へ進みます。 右手に神社の杜が見えます。 ![]() ![]() ![]() 蓮根駅東口 高架沿いに南へ 高架をくぐる ![]() ![]() ![]() 蓮根二丁目交差点を右折 志村坂下通りを西へ 神社の杜が見える 神社の南東の一角に小堂が祀られており、堂宇内には「不動明王像」が安置されています。 ![]() ![]() ![]() 神社の南東角の一角 小堂 同 不動明王像 宝暦八年(1758) 造立 蓮根駅から650mで、蓮根村鎮守「蓮根氷川神社」に着きました。 大鳥居からをくぐると、参道の右側に「手水舎」が配置されています。 「神橋」を渡ると、右側に「神楽殿」左側に境内社「御嶽神社(御嶽塚)」が配置されて、正面が鉄筋流れ造りの「拝殿」になります。 ![]() ![]() ![]() 前景 明神型鳥居 境内 寛政四年(1792) 造立 ![]() ![]() ![]() 手水舎 同 手水鉢 神橋 ![]() ![]() ![]() 一対の石灯篭 神楽殿 御嶽塚 ![]() ![]() ![]() 招魂社系獅子型狛犬 拝殿 本殿 昭和十年(1935) 奉納 拝殿の右側に、境内社「蓮根稲荷神社」が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 拝殿の右側 明神型鳥居 参道 ![]() ![]() ![]() 手水鉢 手水鉢 一対の石灯篭 安政四年(1857) 造立 ![]() ![]() ![]() 一対の神狐像 社殿の覆屋 同 社殿 境内右側に配置されている「蓮根御嶽塚」は、一見富士塚に見えます。 高さは2.5m程度でボク石が敷き詰められており、五合目辺りに「小御嶽神社に該当する石祠」、頂上に「御嶽神社の石祠」が鎮座してしています。 塚の登山口左右に「狛犬」と「不動明王像」、塚周りには沢山の「力石」が配置されています。 ![]() ![]() 全容 登山道 ![]() ![]() ![]() 登山口左 狛犬 同右 不動明王像 五合目辺り 小御嶽神社(?)の石祠 明治二十四年(1891) 造立 正徳二年(1712) 造立 ![]() ![]() ![]() 頂上 御嶽神社の石祠 頂上から 登山口右側 頂上から 登山口左側 正徳二年(1712) 造立 ![]() ![]() 塚の裏側 力石 三拾五貫目 ![]() ![]() ![]() 力石 六拾貫目 同 四拾弐貫目 同 五拾貫目 志村坂下通りを西に向かい、正面に見えるの首都高速5号池袋線前の信号を左折します。 下を走る都道446号長後赤塚線に沿って南へ進み、西台交差点を右折し西へ向かいます。 一つ目の角を右折し、北西に進むと寺院門が見えます。 ![]() ![]() ![]() 志村坂下通りを西へ 首都高速5号池袋線前の信号を左折 西台交差点を右折 ![]() ![]() ![]() 一つ目の角を右折 北西に進む 寺院門が見える 蓮根氷川神社から550mで、「福寿山善長寺」に着きました。 本堂の左手奥に「子育て地蔵尊坐像」「念仏塔」「青面金剛像の庚申塔」「唐破風笠付の庚申塔」「地蔵菩薩立像」「白衣観音立像」「青面金剛像の庚申塔」「六地蔵」の石仏・石碑が並んで配置されています。 左から7番目の「青面金剛像の庚申塔」は道標になっていて、左側面に「西 ねりま道/東 江戸道」と陰刻があります。 また、風化が進む「地蔵菩薩坐像」も道標になっていて、正面下部には「南 弥りま道」、右側面には「東 戸田わたし道」、左側面には、「北 徳丸吹あげ道」の陰刻があります。 ![]() ![]() ![]() 前景 本堂前 天水鉢 本堂 ![]() ![]() ![]() 本堂左奥の石仏・石塔 同 子育て地蔵尊坐像 同 念仏塔 弘化五年(1848) 造立 天保五年(1834) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 青面金剛像の庚申塔 同 唐破風笠付の庚申塔 同 地蔵菩薩立像 正徳六年(1716) 造立 元禄十二年(1699) 造立 宝永七年(1710) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 白衣観音立像 同 青面金剛像の庚申塔 同 右側面 ![]() ![]() ![]() 同 地蔵菩薩坐像 同 正面・左側面 同 六地蔵像 宝暦二年(1752) 造立 宝暦十年(1760)~安永五年(1776) 造立 境内の左側に、「西台大鷲神社」が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 境内の左側 朱の明神型鳥居 一対の石灯篭 ![]() ![]() ![]() 社殿 同 内部 神社名碑 更に北西に進むと、石柱らしきものが並んで祀られています。 ![]() ![]() ![]() 更に北西へ トベラの甘い香りに癒される 石柱群 「三社石塔」です、 石柱が5個並んで祀られています。三基の石塔と二基の石祠(?)のようです。 ![]() 五個の石柱 (右端)大正十三年(1924) 造立 ずっと北西に進むと、変則五差路に出ます。 左の道をとり、南西に向かうとコンクリート製の立派な小堂が見えます。 ![]() ![]() ![]() ハーブ&おいしい野菜塾の辺り 変則五差路 コンクリート製の小堂が見える 「聖徳太子身代子安地蔵尊」です。 コンクリート製の立派なお堂に、門番のように「地蔵菩薩像」が配置されています。 その奥は、閉扉されていて窺い知れません。 ![]() ![]() ![]() 地蔵堂 回国供養塔 聖徳太子身代子安地蔵尊の碑 明和四年(1784) 造立 ![]() 内部 地蔵菩薩像 更に進むと、変則四差路に出ます。 天祖神社の案内板に従い南へ、神明坂を上ります。 ![]() ![]() ![]() 変則四差路を左へ 神明坂 神社の塀が見える 善長寺から550mで、西台村の鎮守「西台天祖神社」に着きました。 この台地全体が西台遺跡で、古墳の上に営まれた古祠であるということらしいです。 神明鳥居としては区内最古という大鳥居をくぐると、眼下に高低差の大きい境内が広がります。 ゆっくりと石段を下りると、境内の左側に「手水舎」「二個の力石」「百度石」、右側に「神楽殿」が配置されています。 神明造の拝殿-幣殿-本殿で構成された、木造権現造りの「社殿」は貫禄十分です。 ![]() ![]() ![]() 前景 神明型鳥居 同 額束が丸のが非常に珍しい 一対の和風獅子型狛犬 寛政八年(1796) 造立 ![]() ![]() 高低差の大きい境内 一対の石灯篭 ![]() ![]() ![]() 手水舎 同 手水鉢 三個の力石 ![]() ![]() ![]() 一対の石灯篭 百度石 神楽殿 ![]() ![]() ![]() 拝殿前 和風獅子型狛犬 拝殿 本殿 拝殿の左側は、境内社の一角になります。 左側には、小高い場所に祀られた境内社「稲荷神社」が配置されています。 石段を上がった「社殿」の右奥には、境内社「富士浅間神社」の石碑が配置されています。 右に向かう石段を下りると、境内社「水神社」「春日神社・伊勢神宮・杵築神社」二個の力石に守護された「(祭神不明)小祠」「八雲神社」の石祠が横一列に並んで配置されています。 拝殿の左横には、男性器を形どった石の御神体「おしわぶき様」が配置されています。石で造られたものであることから「石神」→「せき神」→「咳神」となって、咳に効くことになっているらしい。 ![]() ![]() ![]() 境内社 稲荷神社 同 明神型鳥居 同 社殿への石段 ![]() ![]() ![]() 同 朱の明神型鳥居 同 一対の石灯篭 同 一対の神狐像 ![]() ![]() 同 社殿の覆屋 同 内部 社殿 ![]() 社殿右奥への通路 ![]() ![]() 境内社 富士浅間神社 同 富士浅間神社碑 ![]() 右側境内社への通路 ![]() ![]() ![]() 境内社 水神社の小祠 境内社 春日神社・伊勢神宮・杵築神社の石祠 二個の力石と祭神不明の小祠 ![]() ![]() ![]() 境内社 八雲神社の小祠 境内社入口 神明型鳥居 鳥居脇 一対の和風獅子型狛犬 ![]() ![]() 社殿左横 同 力石 ![]() ![]() 同 おしわぶき様 同 拡大画像 境内を振り返ると、神輿蔵の先(境内の右側)に「御嶽神社」が見えます。 朱の鳥居に並んで、一対の狼型狛犬に守護された「御嶽神社の石祠」「御嶽山三十三度大願成就碑」二個の「力石」が配置されています。 ![]() ![]() 神輿蔵 御嶽神社の一角 ![]() ![]() ![]() 御嶽神社の石祠 同 一対の狼型狛犬 同 石祠 ![]() ![]() 御嶽山三十三度大願成就碑 力石 五十五貫・四十五貫 大正二年(1913) 造立 朱の鳥居をくぐると「西台御嶽塚」です。 登山道の側面には、ふんだんにボク石が使用されていて富士塚のような感じもあります。 高さ2mほどの塚の方々には、「霊神碑」「和儀霊神碑」「三笠山大神碑」「八海山大神碑」など御嶽山関連の石碑が配置されています。 頂上には、御嶽社の石祠がありますが、直ぐ脇に道路が見え高低差を利用して築かれているような感じです。 拝殿の奥に富士浅間神社の石碑がありましたが、御嶽塚には富士塚を示す形跡はありませんでした。 ![]() ![]() ![]() 明神型鳥居 塚の全容 登山道 ![]() ![]() ![]() 霊神碑 和儀霊神碑 三笠山大神碑 ![]() ![]() ![]() 八海山大神碑 頂上 御嶽社の石祠 同 塚入口を臨む 神明坂を南へ向かいます。 志村第五小学校を過ぎた辺りで道なりに南東に進むと、三差路の角にお堂が見えます。 ![]() ![]() ![]() 神明坂を南へ 志村第五小学学校の辺り 覆屋が見える 「馬頭観音堂」です。 堂内には、彩色の朱色も鮮明で真新しそうな「馬頭観音立像」が安置されています。 台石は道標も兼ねていて、正面には「南 祢りま道」、右側面には「東 戸田わたしば道」、左側面には「西 吹阿げ道/はやせ道」の陰刻があります。 ![]() ![]() 馬頭観音堂 同 馬頭観音立像 寛政二年(1790) 造立 ![]() ![]() 台石 正面 同 左側面・右側面 道なりに南東に進むと、西台中央通りと交差する志村第五小学校入口交差点に出ます。 西台中央通りを南へ向かうと、やがて寺院門が見えます。 ![]() ![]() ![]() 志村第五小学校入口交差点 西台中央通り 寺院門が見える 西台天祖神社から500mで、太田道灌が開基の「西台山円福寺」に着きました。 室町時代に太田道灌によって川越で創建され、江戸時代初期に当地へ移転して来たと伝えられています。 門前には、大きな「阿吽の仁王像」が睨みを利かせています。 山門の右手の塀の前に「不許葷酒入山門の戒壇石」「地蔵菩薩立像」「唐破風笠付の庚申塔 」の三基の石塔が並んで配置されています。 ![]() ![]() ![]() 前景 阿吽の仁王像 三基の石塔 ![]() ![]() ![]() 同 不許葷酒入山門の戒壇石 同 地蔵菩薩立像 同 唐破風笠付の庚申塔 明和二年(1765) 造立 明和二年(1765) 造立 延宝五年(1677) 造立 「山門」をくぐり境内に入ると、右側に「鐘楼」と何故か「クジャクの檻」が配置されています。 参道の左右には、火袋と地輪に龍が彫られた一対の石灯篭が配置されています。 本堂左手の墓地への二つの階段の間に「無縁仏」が集められていて、中心仏として「大日如来坐像」が鎮座しています。 更に、水子供養塔の上に沢山の小さな水子地蔵に囲まれて、「水子地蔵菩薩像」が鎮座しています。 二つの階段の奥にあるもう一つの階段の陰に、「馬頭観音立像」が隠れていました。 ![]() ![]() 山門 境内 ![]() ![]() ![]() 鐘楼 同 撞鐘 クジャクの檻 ![]() ![]() ![]() 石灯篭 同 龍が彫られた地輪 九層の石塔 ![]() ![]() 本堂前 天水桶 本堂 ![]() ![]() 無縁仏 同 中心仏 大日如来坐像 ![]() ![]() ![]() 水子供養塔 同 水子地蔵像 馬頭観音立像 安永七年(1778) 造立 円通寺前の信号を渡り、谷津坂を下ります。 道なりに東へ進むと、「西臺不動尊の石標」が見えます。 ![]() ![]() ![]() 信号を渡る 谷津坂を下りる 石標が見える 円福寺から100mで、「西台不動尊」に着きました。 注意して見るとずっと奥の階段の上に不動堂の屋根がわかりますが、石標がなければ辿り着けないような非常にわかりずらい場所です。 お堂への石段の左の崖地に、風化が激しく像容が判らない石仏が点在しています。(勝手に「不動塚」と名付けました。) 細い登山道がついていて、その入口には「円福寺守り不動尊」の立て看板が見えます。 石仏は、近づいてよく見ると「不動明王像や眷属の童子像」のように思われます。 ![]() ![]() ![]() 前景 社殿への石段 石段左側 不動塚 ![]() ![]() ![]() 登山道入口 石碑 登山道 八大童子の一 ![]() ![]() ![]() 八大童子の一 八大童子の一 八大童子の一 ![]() ![]() ![]() 制多迦童子像 不動明王像 矜羯羅童子像 ![]() ![]() 八大童子の一 八大童子の一 頂上には、「不動堂」が建っています。 境内の左側には、「手水鉢」「地蔵菩薩立像」「青面金剛像の庚申塔」「石祠と一対の神狐像」円福寺奉納の「一対の石灯篭と水鉢)」が配置されています。 境内の左側には、「水掛不動尊」土地の子宝石の「金精神」「弁財天」「西光方丈石」「三十六童子碑」が並んで配置されています。 不動堂左奥に、細く長い石段がありますので崖上に向かいます。 ![]() 不動堂 ![]() ![]() ![]() 境内の左側 同 手水鉢 同 地蔵菩薩立像 正徳三年(1713) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 青面金剛像の庚申塔 同 石祠と一対の神狐像 同 水鉢と一対の獅子型狛犬 正徳三年(1713) 造立 ![]() ![]() ![]() 境内の右側 同 水掛不動尊 同 拡大画像 ![]() ![]() ![]() 同 金精神 同 覆屋 同 弁財天像 ![]() ![]() 同 西光方丈石 同 三十六童子碑 ![]() ![]() お堂左奥の階段 崖上に出る 西へ向かい二又路を右へ進むと、西台中央通りに出ます。 西台中央通りを渡り更に西へ向かいます。 突き当りを左折し1つ目の角を右折、西へ向かうと寺院門が見えます。 ![]() ![]() ![]() 二又路を右へ 西台中央通りを渡る 突き当りを左折 ![]() ![]() ![]() 1つ目の角を右折 更に西へ 寺院門が見える 西台不動尊から200mで、坂名の由来となった円福寺の境外堂「円福寺法蔵庵」(昔 弥陀堂と呼ばれていた)に着きました。 山門の左脇には「青面金剛像の庚申塔」が配置され、右脇には「地蔵菩薩像」と「六地蔵像」が並んでいます。 奥の墓地の入口付近に、前列に二体の「地蔵菩薩像」と「如意輪観音像」後列に「三界万霊塔」蓮華を持たない「聖観音菩薩像」「如意輪観音像」の六基の石仏・石塔が前後に並んで配置されています。 ![]() ![]() 前景 門前 左側 青面金剛像の庚申塔 正徳六年(1716) 造立 ![]() ![]() ![]() 門前 右側 石仏 同 地蔵菩薩像 同 六地蔵像 享保四年(1719) 造立 享保六年(1721)~享保十四年(1729) 造立 ![]() ![]() 法蔵庵 墓地入口 六基の石仏・石塔 ![]() ![]() ![]() 同 三界萬霊塔 同 聖観音菩薩像 同 如意輪観音菩薩像 寛政十年(1798) 造立 明和五年(1768) 造立 元禄十二年(1699) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 地蔵菩薩像 同 如意輪観音菩薩像 同 地蔵菩薩像 明和六年(1769) 造立 天明三年(1783) 造立 名前に惹かれて約270mほどの阿弥陀堂の坂を、板橋区立西徳第二公園を半周する感じで散策します。 終点の板橋区立西徳第二公園の北端からは、京徳観音堂の石段が見えます。 ![]() ![]() ![]() 阿弥陀堂の坂 スタート 突き当りを左折 同 四つ角を右折 同 西徳第二公園脇を北西へ ![]() ![]() ![]() 同 西徳第二公園西端を右折 同 西徳第二公園脇を北東へ 同 終点 西徳第二公園の北端 円福寺法蔵庵から300mで、円福寺の境外堂「京徳観音堂」に着きました。 石段の手前左手に、鉄の檻に囲まれて「回国供養塔」と「地蔵菩薩像」の二基の石塔が配置されています。 急坂に、二列の石段が用意されています。 ![]() 前景 ![]() ![]() ![]() 二基の石塔・石仏 同 回国供養塔 同 地蔵菩薩像 安永三年(1774) 造立 文化十五年(1818) 造立 石段を上りきった境内の左側に、「無縁墓群」「馬頭觀卋音菩薩碑」「薬師如来のお堂」「地蔵菩薩像」が配置されています。 無縁墓群の中には、板橋区登録文化財の南北朝時代の「宝筐印塔」二基も無造作に置かれています。 ![]() ![]() 石段の上より 境内 ![]() ![]() ![]() 無縁墓群 同 二基の宝筐印塔 延文六年(1361) 造立 ![]() ![]() 馬頭觀世音菩薩の覆屋 同 馬頭觀世音菩薩碑 大正十五年(1921) 造立 ![]() ![]() 薬師如来の覆屋 同 薬師如来坐像 寛政十二年(1800) 造立 ![]() ![]() 地蔵菩薩像 観音堂 万治三年(1660) 造立 慎重に石段を下り北西に向かうと、直ぐに覆屋が見えます。 ![]() 覆屋が見える 「西台3丁目の庚申塔」です。 覆屋に、「文字庚申塔」「青面金剛像の庚申塔」「馬頭観音立像」三基の石塔・石仏が祀られています。 ![]() ![]() 庚申塔の覆屋 三基の石塔・石仏 ![]() ![]() ![]() 同 文字庚申塔 同 青面金剛像の庚申塔 同 馬頭観音立像 宝永四年(1707) 造立 文化十五年(1818) 造立 道なりになだらかな馬坂を、北へ進みます。 ボーっとして歩いていたため、聖徳太子身代子安地蔵尊先の天祖神社案内板の辺りまで行ってしまいました。疲れている身には、往復300mの無駄足は応えました。 地図をよくよく確認し探し当てた細道を北西に進むと、四つ角に百葉箱のような覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() 道なりに北へ 馬坂 天祖神社の案内板の辺り(ここでUターン) ![]() ![]() 本来は先の角を左折 小堂が見える 「大山不動明王」です。 「大山不動明王の石塔」の上に「不動明王坐像」が乗り、像の部分を覆屋で保護しているという感じです。 ![]() ![]() ![]() 不動明王の覆屋 同 上部 不動明王坐像 同 下部 不動明王の石塔 天明二年(1782) 造立 道なりに西へ向かうと、前谷津川緑道に出ます。 緑道を南西に進むと、不動通りとの交差点に出ます。 不動通りを南へ向かうと、中尾不動尊の門柱が見えます。(中尾不動尊は後で巡ります。) 手前の角を右折し、緩やかな坂を西へ進みます。 中尾観音堂の塀沿いに進むと、直接境内に入っていました。 ![]() ![]() ![]() 西へ向かう 前谷津川緑道 白い鉄製のアーチ 不動通りとの交差点 ![]() ![]() ![]() 不動通りを南へ 中尾不動尊の角を右折 緩やかな坂を西へ ![]() 観音堂の塀沿いに進む 法蔵庵から1,300mで、「中尾観音堂」に着きました。 境内には、西側に「石仏五体の覆屋」、北側に「庚申塔四体の覆屋」が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 北側 参道 中尾観音堂 境内 ![]() ![]() ![]() 境内西側 石仏五体の覆屋 同 地蔵菩薩像 同 一石六地蔵像 元文元年(1736) 造立 宝永二年(1705) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 聖観音菩薩像 同 地蔵菩薩像 同 地蔵菩薩像 寛文十一年(1671) 造立 寛延三年(1750) 造立 延宝八年(1680) 造立 ![]() ![]() ![]() 境内北側 庚申塔四体の覆屋 同 青面金剛像の庚申塔 同 青面金剛像の庚申塔 安永七年(1710) 造立 享保十八年(1733) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 青面金剛像の庚申塔 同 青面金剛像の庚申塔 石灯篭 宝暦二年(1752) 造立 宝暦四年(1754) 造立 来た道を戻り、不動通りに出ます。 ![]() 不動通りに戻る 「中尾不動尊」です。 通りに向かい、参道の長い石段が伸びています。 境内は、「不動堂」と「手水鉢」のみの簡素なものです。 堂内には、小振りで可愛らしい「不動明王坐像」と脇侍の「矜羯羅童子像・制咤迦童子像」が鎮座しています。 ![]() ![]() ![]() 前景 境内 手水鉢 ![]() ![]() 不動堂 同 不動明王坐像と脇侍 不動通りを南に向かいます。 暫く進むと、正面に東武東上線の高架が見えます。 高架辺りが行き止まりになっていて、不動通りの終点でもあります。 この辺りは高低差が大きく、手前の角を右折し駅に向かう道はかなりの急勾配です。 突き当りを左折し南へ進むと、駅前通りの向こうに徳丸スクエアショッピングモールが目に入りました。 モール内のファミレス "ガスト" で、40分のランチタイムで疲れを癒します。 モールと東武東上線東武練馬駅北口が連絡していて、駅に着いたのは13時でした。 中尾観音堂からは、600mの行程でした。 ![]() ![]() ![]() 不動通りを南に 手前の角を右折 急勾配の坂道 ![]() ![]() ![]() 突き当りを左折し南へ 徳丸スクエアショッピングモール ファミレス"ガスト"でランチ ![]() ![]() 駅への連絡路 東武練馬駅北口 やはり、「蓮根氷川神社の富士塚」「西台天祖神社の富士塚」はいずれも「御嶽塚」でした。振り返れば、今まで巡拝した富士塚でも御嶽塚が幾つかあったと思います。 印象に残ったのは 西台不動尊の「不動塚(?)」で、富士塚・御嶽塚を思わせる感じがありました。 京徳観音堂の二基の「宝筐印塔」、板橋区登録文化財でありながら無縁仏に埋没していて残念!。 5Km弱の行程でしたが、想定以上に坂道が多くおまけに周り道をしていましたので、最後の駅までの上り坂は応えました。 ![]() |