久米川富士塚巡り |
2005年に「狭山霊場巡り」で、東村山の西側の寺院・神社を巡りました。 今回は「久米川の富士塚」及び狭山観音霊場9番札所の「梅岩寺」を中心に、東村山の東側のを走る府中街道沿いの神社・庚申塔を巡る計画をたてました。 東村山には古道が残っており、道の分岐点には庚申塔が沢山ありそうで楽しみです。 9時35分に、西武国分寺線東村山駅東口を出発します。 駅の右側には、2020年3月新型コロナウイルス感染症による肺炎のため逝去された志村さんの定番ギャグ「アイーン」ポーズ姿の銅像が3本のけやき「志村けんの木」の隣に設置されています。 志村けんさんの銅像を横目に見ながらdocomoショップの角を左折し北へ向かいます。 突き当りの東村山東大和線(都道128号線)を左折し北へ進むと、空き地に石塔が設置されています。 ![]() ![]() ![]() 東村山駅東口 志村けんの木 志村さんの銅像 ![]() ![]() docomoショップの角を左折 空き地に四基の石塔 志木街道へ通じる道の、裏道との追分に建てられた「本町2丁目の供養塔」です。 馬頭観音像が彫られた「百万遍供養塔」「文字馬頭観音碑」「青面金剛像の庚申塔」小さな「文字馬頭観音碑」の四基が横一列に配置されています。
道標を兼ねた百万遍供養塔の正面下部には、「同南大山通/左東江戸道/同北川越通/右西山口道」の陰刻があります。
![]() ![]() ![]() 四基の石塔 同 百万遍供養塔 同 正面下部の道標 明和三年(1766) 造立 ![]() ![]() ![]() 同 文字馬頭観音碑 同 青面金剛像の庚申塔 同 文字馬頭観音碑 天保六年(1835) 造立 宝永六年(1709) 造立 明治十六年(1883) 造立 更に北へ進み、西武新宿線・西武西武園線の踏切を渡ります。 二つ目の角を左折すると、鳥居が見えます。 ![]() ![]() ![]() 更に北へ 西武線の踏切を渡る 鳥居が見える 地域発展の守り神「東村山猿田彦神社」です。 旧道辻にあった庚申塔を、神体として移したと云われています。 ![]() ![]() ![]() 全景 神明型鳥居 石祠 ![]() ![]() 社殿 同 堂宇内 青面金剛像の庚申塔 宝暦三年(1759) 造立 道を戻り踏切を渡り、道なりに北東へ向かいます。 府中街道(都道16号線)と交差する久米川町四丁目交差点角に隠れて、覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() 踏切に戻り左の道を行く 道なりに北東へ 府中街道に出る ![]() 久米川町四丁目交差点角に覆屋 「久米川町4丁目の地蔵尊・庚申塔」です。 「地蔵菩薩像」と「青面金剛像の庚申塔」が祀られています。 ![]() ![]() ![]() 二基の石像 同 地蔵菩薩像 同 青面金剛像の庚申塔 宝暦十二年(1763) 造立 久米川町四丁目交差点を左折し、府中街道を北東へ向かいます。 少し進むと、街道沿いに不動尊の門碑が見えます。 ![]() ![]() 府中街道を北北東へ 門碑が見える 天王森の不動さまと呼称される「久米川不動堂」です。 梅岩寺から寄進された不動明王が祀られています(扉が完全遮蔽されていて拝観叶いませんでした)。 境内の右側には、境内社の「稲荷社」が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 前景 手水鉢 社殿 ![]() ![]() 境内社 稲荷社 明神型鳥居 同 社殿 ローソン東村山久米川町四丁目店の先の信号角、二差路の角地に覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() 府中街道を北東へ ローソン東村山久米川町四丁目店辺り 信号の角に覆屋 「久米川町4丁目の地蔵尊」です。 二体の「地蔵菩薩像」と傍らに「石灯篭」が配置されています。 石灯篭の竿部の四面に「春名神社・熊野神社・秋葉神社・阿夫利神社」の陰刻があります。 ![]() ![]() ![]() 地蔵尊の覆屋と石灯籠 同 地蔵菩薩像 同 地蔵菩薩像 府中街道を更に進むと、久米川辻交差点に出ます。 久米川辻は旧久米川村の中心で、南北方向の府中街道を軸に6本もの道が複雑に走っています。 北へ延びる道は志木河岸や所沢方面へ、西へ延びる道は廻田町や青梅方面、南へ延びる何本かは府中や東京へと続いています。 「国の指定重要文化財 元弘の碑/徳蔵寺 300m」の案内板がありましたが、2005年5月に拝観していますのでパスします。 更に進んだ久米川町五丁目交差点傍の街道沿いに、石門が見えます。 ![]() ![]() 久米川辻交差点 久米川町五丁目交差点 梅岩寺の境外仏堂「久米川阿弥陀堂」です。 境内の両側に、三体ずつ「六地蔵像」が並んで配置されています。 ![]() ![]() 前景 境内の両側に六地蔵像 ![]() ![]() 同 左側の三地蔵像 同 右側の三地蔵像 ![]() ![]() ![]() 阿弥陀堂 同 堂宇内 阿弥陀如来像 水屋 ![]() ![]() ![]() 無縁塔 同 如意輪観音像 同 地蔵菩薩像 阿弥陀堂の左側の道を北西に進むと、神社の鳥居が見えます。 ![]() ![]() 阿弥陀堂左側の道を北西に 鳥居が見える 旧村社「久米川熊野神社」です。 入口の石橋「神橋」を渡り「神明型鳥居」をくぐると、熊野三社大権現と刻まれた「石灯篭」台石に狛犬が彫られたと思われる「石灯篭」更に「宗風獅子型狛犬」が其々左右一対の配列されています。 その正面には、荘厳な佇まいの「拝殿-本殿」が控えています。 ![]() ![]() ![]() 前景 神明型鳥居 一対の石灯篭 天保六年(1835) 造立 ![]() ![]() ![]() 一対の石灯篭 同 台石の彫り物 一対の宗風獅子型狛犬 明治十四年(1881) 造立 ![]() ![]() 手水舎 同 手水鉢 ![]() ![]() 拝殿 本殿 拝殿の左奥には、境内社「稲荷神社」「伊勢神宮」「御嶽社」「神明宮」の四社が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 拝殿左奥の境内社 同 稲荷神社 同 神明宮 ![]() ![]() 同 御嶽社 同 伊勢神宮 神社の敷地内北東部に円墳状の小山が見えます。 ![]() 木々に覆われた小山 東村山市指定史跡「久米川富士塚」です。 ボク石や丸石などは使われていない簡素な塚で、規模は東西24m・南北24m・高さ6.1mとかなり大型の富士塚です。 説明看板の脇が登山道で、入り口からまず左に折れ→次は右→そして再び左に折れて頂上に至ると云うことです。登山道には一部コンクリートで階段が出来ていますが、山頂付近は山肌の土の崩落も進んでおり、頂上付近のケヤキの根が剥きだしになっていて危ない状態です。登山道は急で、雨上がりのこの日は滑りやすく、ズボンを泥だらけに汚してしまいました。 説明板によると、「この久米川の富士塚にも、裾野に風穴がつくられたり一合目・二合目の標識が置かれていたようです。」・・・が、頂上に残っていると書かれていた、「浅間神社の石祠」も見当たりません。 それでも、登山道のあちこちに冨士講由来の石碑が配置されています。 山頂に立ってみると、登山道らしき小径が縦横に通っているのがわかります。 富士塚の西側登山道入り口辺りに、浅間神社のものと思われる石祠が雑然と置かれてありました。 ![]() ![]() ![]() 登山道入口付近 同 富士講碑 同 天照皇大神碑 ![]() ![]() ![]() 五合目辺り 同 富士講碑 八合目辺り ケヤキの根が露出 ![]() ![]() 山頂付近 滑りやすい急勾配の坂 山頂 雑草だらけ ![]() ![]() ![]() 山頂より 南側から上って来た路 山頂より 西側の路 山頂より 北側のザクロの木 ![]() ![]() 山頂より 東側の路 同 小御岳神社碑 ![]() ![]() 西側登山道入り口から頂上 同 富士浅間社の石祠? 富士塚を下りて南東へ向かいます。 左の横道両側に、二基の石柱が配置されています。 ![]() ![]() 富士塚を下りて南東へ 石柱が見える 左側に「青面金剛王の文字庚申塔」右側に「不許葷酒入山門の碑」二本の石柱が立ち、続く参道の先に山門が見えます。 ![]() ![]() ![]() 青面金剛王の文字庚申塔 不許葷酒入山門の碑 参道 寛政四年(1792) 造立 狭山三十三観音霊場の9番・10番の「芳林山梅岩寺」に着きました。 狭山三十三観音霊場の10番は「大宙山滝谷寺」でしたが、明治時代前後に瀧谷寺は合併され境内の石碑にその名残が記されています。 山門を入ると、四国八十八ヶ所詣の石仏 東村山市指定有形民俗文化財「新四国石仏」が、本堂に向かって左側山門側から四国霊場一番寺から順に並んでいます。 ![]() ![]() 山門 寺院門碑 ![]() 境内 新四国石仏が両側に並ぶ 文政七年(1824) 造立 境内の左側には、「敷石供養塔」「新四国石仏の第一番~第四十番」「西国秩父/百参拾三所順拝塔/坂東狭山」「六地蔵像」「地蔵菩薩像」等が横一列に配置されています。 ![]() ![]() ![]() 敷石供養塔 新四国石仏の第一番~第四十番 同 新四国石仏 ![]() ![]() ![]() ----------------------------------------------------- 同 新四国石仏 ---------------------------------------------------- ![]() ![]() ![]() 西国秩父/百参拾三所順拝塔/坂東狭山 六地蔵像 地蔵菩薩像 境内の右側には、「水屋」「新四国石仏の第四十一番~第八十八番」「狭山霊場第拾番/滝谷寺の碑」等が横一列に配置されています。 ![]() ![]() ![]() 水屋 新四国石仏の第四十一番~第八十八番 同 新四国石仏 ![]() ![]() ![]() ----------------------------------------------------- 同 新四国石仏 ---------------------------------------------------- ![]() 狭山霊場第拾番滝谷寺の碑 正面には、一対の「石灯篭」と屋根唐破風造りの「本堂」が格式高い姿を見せています。 ![]() ![]() 本堂前 一対の石灯篭 本堂 境内の右側奥には、鐘楼の屋根付近まで高さがある「巨大な石灯篭」と「鐘楼」鐘楼南側に「十三仏」鐘楼東側に「増上寺から将軍の霊廟に献上の石燈籠四基」が配置されています。 ![]() ![]() ![]() 巨大な石灯篭 鐘楼 同 撞鐘 享保十五年(1730) 造立 ![]() ![]() ![]() 十三仏 --------------------------------- 同 拡大画像 --------------------------------- ![]() ![]() ---------------------------------- 同 十三仏 ---------------------------------- ![]() ![]() ![]() 増上寺から将軍の霊廟に献上の石燈籠 ------------------------------- 同 四基の石燈籠 -------------------------------- 梅岩寺墓所のブロック塀北西角に、二基の石塔が祀られています。 ![]() 塀沿いに北西へ 東村山市指定有形民俗文化財「梅岩寺の庚申塔」です。 「三猿の庚申塔」と、現存する市内で最も古い「馬頭観世音碑」が安置されています。 ![]() ![]() ![]() 二基の石塔 同 三猿の庚申塔 同 馬頭観音碑 延宝五年(1677) 造立 天保二年(1831) 造立 更に、墓所の塀沿いに北西へ進むと、塀に組み込まれて二基の石塔が祀られています。 ![]() 塀に組み込まれて石塔が見える ここには、二基の「青面金剛像の庚申塔」が安置されています。 ![]() ![]() ![]() 二基の庚申塔 同 青面金剛像の庚申塔 同 青面金剛像の庚申塔 宝永元年(1704) 造立 貞享五年(1692) 造立 予定ではここで「終了→東村山駅へ直帰」ですが、体力・時間的に余裕があるためプランBを実行します。 即ち、「梅岩寺を起点とし→野行通り→さくら通り(東村山都市計画道路3・4・27号東村山秋津線)→東村山駅帰着」という、東村山駅東側を∩状に巡行するルートです。 梅岩寺墓所西側(裏側)の塀沿いに、ひたすら北へ向かいます。 突き当りを右折し南東へ、東村山駅から続く府中街道を突っ切り、野行橋までの野行通りを南東へ進みます。 暫らく進むと、二差路の角に石灯篭が見えます。 ![]() ![]() ![]() 墓所の角を右折 塀沿いに北へ 突き当りを右折 ![]() ![]() ![]() 野行通り 南東へ 二股路の角に石灯篭が見える 「久米川町1丁目26の板石型馬頭観音」です。 自然石の「馬頭観音碑」竿部の四面に「春名神社・熊野神社・秋葉神社・阿夫利神社」の陰刻がある「石灯篭」「馬頭観音像」の三基が祀られています。 ![]() 三基の石造 ![]() ![]() ![]() 同 馬頭観音碑 同 石灯篭 同 馬頭観音像 安永八年(1779) 造立 二差路の左側の野行通りを進むと、さくら通り(東村山都市計画道路3・4・27号東村山秋津線)との交差点に出ます。 さくら通りを突っ切って更に南東に進むと、二差路の角に覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() さくら通りとの交差点 野行通りを南東へ 二差路の角に覆屋が見える 「久米川町1丁目32の馬頭観音」です。 覆屋には、「馬頭観音碑」が安置されています。 上部は、「如意輪観音像」に見えますが・・・。 ![]() ![]() ![]() 馬頭観音の覆屋 同 馬頭観音碑 同 上部 如意輪観音像? 二差路の右側を進み、野行通り終点の空堀川に架かる野行橋を渡ります。 川沿いの道を北東に進み突き当りを右折すると、所沢街道沿いの電話ボックス脇に石塔が見えます。 ![]() ![]() ![]() 二差路の右側を進む 野行橋 空堀川 ![]() ![]() ![]() 川沿いの道を北東へ 突き当りを右折 電話ボックス脇に石塔が見える 「江戸街道追分の庚申塔」です。 所沢街道沿いに「青面金剛像の庚申塔」が配置されています。 道標を兼ねていて、左側面に「右ハ ち丶ぶみち」右側面に「左ハ 三ヶ嶋道」と陰刻があります。 ![]() ![]() 青面金剛像の庚申塔 同 左右の側面 明和七年(1770) 造立 来た路を、さくら通りとの交差点まで戻ります。 舗装が新しいさくら通りを南西に進むと、ウエルシア東村山久米川2丁目店の先に覆屋が見えます。 ![]() ![]() ![]() 来た路を戻る さくら通りとの交差点 さくら通り ![]() ![]() 南西に進む 覆屋が見える 「だるま坂の子安観音」です。 府中街道の久米川辻を南東に行くとだるま坂と呼ばれている坂があり、坂上を入ったところに位置すると云うことです。 「子育観音堂」には、いずれも真新しい「慈母観音像」と「馬頭観世音碑」が安置されています。 ![]() ![]() ![]() 子育観音堂 同 慈母観音像 同 馬頭観世音碑 直ぐ先の信号を右折し北西に向かうと、空き地の先に石碑が見えます。 ![]() ![]() 信号を右折 空き地の先に石碑が見える 「久米川町2丁目の馬頭観音」です。 かなり剥落した「馬頭観世音碑」が配置されています。 ![]() ![]() 馬頭観世音碑 同 拡大画像 さくら通りに戻り南西に進みますが、野際通りとの交差点からは西へ東村山駅に向かいます。 途中40分のランチタイムを取り、英気を補充します。 信号を右折し北へ向かうと、木々の間に石碑が見えます。 ![]() ![]() ![]() さくら通りを南西へ 野際通りとの交差点 ランチタイム ![]() ![]() 信号を右折 木々の間に石碑が見える 「久米川町4丁目の大六天」です。 しっかりとしたコンクリート製の台の上に「大六天碑」が安置されています。 ![]() ![]() 大六天碑 同 拡大画像 さくら通りに戻りそのまま進むと駅前を走る府中街道で、その先が直ぐ駅です。 東村山駅東口に帰着したのは12時50分です。 ![]() ![]() 府中街道を横切る 東村山駅東口に帰着 当初計画では、「府中街道付近の神社・路傍の地蔵尊・庚申塔→久米川富士塚→梅岩寺」の片道2Kmの行程でした。 時間・体力に余裕があったため、急遽予備で調べていた「梅岩寺を起点とし→野行通り→さくら通り(東村山都市計画道路3・4・27号東村山秋津線)→東村山駅帰着」という、東村山駅東側を∩状に巡行するルート4.5kを敢行しました。 久米川富士塚は、ほとんど手付かずの状態でした。頂上付近は足場がなく、急斜面のため登頂が難しかったです。頂上には奥宮の祠が見当たらず、草茫々の状態でした。一見単なる小山と見受けられますが、幾つかの富士塚関連の石碑が面目を保っていました。 ![]() |