新宿山ノ手七福神巡り

正月早々より「江戸東京七福神めぐり」(グループ漫歩編)を眺めていると、「新宿山ノ手七福神」に興味を惹かれました。正月あまり人混みに出なかったこともあり、都会の雑踏に揉まれてみたいという気分になりました。
調べてみると、「花園神社」「鬼王神社」「西向天神社」には夫々「富士塚」があることが分かりました。
たまたま駅で見た西武鉄道発行のフリーペーパー「ウォーキング&ハイキング」に、「新春開運招福 新宿山ノ手七福神めぐり(1月20日)」が載っていました。これに便乗して独自の「新宿寺院神社巡り」を企画しました。
マッピングしてみると、一筆書きでいける比較的歩き易いなルートだということも分かりました。


10時、丸ノ内線新宿御苑駅の地上出口を出ました。
ウォーキングには絶好の日和りです。


      新宿御苑駅の地上出口        新宿通り
新宿一丁目西交差点


新宿一丁目西交差点を右に入ると、新宿山ノ手七福神の一つ布袋尊を祀る「霞関山本覚院太宗寺が直ぐにわかりました。七福神めぐりのグループが沢山出入りしていました。
新宿御苑駅から200m弱の近さでしたが、ビルの谷間にはまった感じで暫し方向感覚を失いました。


                  境内Map

境内入って右側には、江戸に入る6本の街道の入り口にそれぞれ安置された東京都指定有形文化財「銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵)の第三番」が聳えています。
その先の「閻魔堂」には、新宿区指定有形民俗文化財で都内最大級の「閻魔像」と「奪衣婆像」が安置されていました。


       大宗寺付近              円光大師霊場の石碑            太宗寺の寺院名碑

      銅造地蔵菩薩坐像             同 拡大画像
     正徳二年(1712)造立

        閻魔堂                 閻魔像                  奪衣婆像
                        文化十一年(1814)安置            明治三年(1870)製作

境内の左側には、境内社の「稲荷社」・真っ白に塩を被った姿が特徴の「塩かけ地蔵尊・新宿山ノ手七福神の一つである「布袋尊像」を祀る「不動堂」・新宿区指定有形民俗文化財の宝篋印塔の墓塔内藤正勝の墓」などがありました。 


       境内の左側                 百度石                 宝篋印塔

        稲荷社                 明神型鳥居                お稲荷さま

       塩かけ地蔵尊                同 拡大画像   

        不動堂                 同 布袋尊像                同 拡大画像

   内藤家三基の宝篋印塔の墓塔            中央 内藤正勝の墓      
 
                         寛永六年(1629)造立

正面に、モダンな造りの「本堂」がありました。
本堂横には、新宿区登録有形文化財の「切支丹灯籠」が配置されていました。


         本堂                 切支丹灯篭


新宿柳通りと靖国通りが交わる新宿五丁目東交差点を左に進みます。
新宿五丁目交差点で右に、明冶通りに入ります。


       新宿柳通り交差点            新宿五丁目東交差点            新宿五丁目交差点


太宗寺から600m、新宿総鎮守として江戸時代に内藤新宿が開かれて以来街の守り神として祀られている「花園神社」に着きました。


                  境内Map


明冶通りに面して、朱の大鳥居が目を惹きました。


        神社名碑                       大鳥居前 宋風獅子型狛犬

       明神型鳥居  
 
鳥居をくぐり右に目を遣ると、若い三人連れの二つのグループが屯していました。
花園神社の境内社「芸能浅間神社」です。
演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いことでも有名で、歌手や俳優など数多くの有名人が参拝しているとのことです。


      若い女性のグループ             明神型鳥居                寺院名碑

      覆われている手水鉢            なぜか二宮金次郎像           芸能系のお願いばかり 

芸能系の神社のようですが浅間神社とあり、社殿は小さな富士塚新宿富士の上に鎮座していました。
溶岩のぼく石で覆われた塚は、高さ1.5m位で7段の石段がありました。
周囲には富士講が寄進した石碑が林立していました。


       富士塚の社殿 

---------------------------------------------- 周囲は富士講が寄進した石碑 ----------------------------------------------

そこから朱の鳥居が密集している、境内社威徳稲荷神社」が目に入りました。
社殿の後ろに回ると、富士塚のような溶岩の上に石祠と男性のシンボルに似せた石のオブジェが置かれていました。“家内円満”“夫婦和合”のご利益があるのでしょうか。


      朱の鳥居が密集               明神型鳥居群            鳥居前 石灯籠(狐の彫刻)   

     覆われている手水鉢             更に明神型鳥居群            鳥居横 お稲荷さま

         社殿               社殿左右 お稲荷さま           社殿裏 石祠と珍宝石

改めて東側靖国通り出て、通りに面した東京都指定有形文化財の「鳥居」をくぐりました。
鳥居の後ろに、新宿区有形文化財指定の江戸末期の鋳工「村田整a」の作品「雌雄一対青銅の唐獅子像」が配置されていました。
朱の鳥居を通り抜けると、正面に「神楽殿」、左側に色鮮やかな「拝殿」が見えます。
拝殿の横には、「雷電稲荷神社の神社名碑」「納め大明神」
がありました。


        神明型一之鳥居                    雌雄一対の青銅の唐獅子像
      元文五年(1740)造立                   文政四年(1821)造立

       神明型二之鳥居            花園稲荷神社の神社名碑           神明型三之鳥居

        神楽殿                  手水舎


         拝殿           手水鉢(植木鉢として使われていました)

     雷電稲荷神社の神社名碑          納大明神 神明型鳥居              同 社殿

西側参道の鳥居を通って次のお寺に向かいます。


      西側参道 明神型鳥居            和風獅子型狛犬          階段下から明神型鳥居を望む



石段を下りると、この辺りは1950年代の雰囲気を色濃く残す新宿ゴールデン街(新宿三光商店街)です。
怪しいネーミングもさることながら、迷路のように入り組んだ通りに200以上の飲食店が密集する魅力的な街でもあります。(私の私見です。)
この時間は閑静な雰囲気したが、ごみも無く臭いも気にならず意外と清潔な感じを受けました。
新宿ゴールデン街の路地を抜けて新宿区役所通りを北へ進みます。


       新宿ゴールデン街
             新宿区役所通り
  

花園神社から600m、全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集める「稲荷鬼王神社」に詣でました。
名前の通り、稲荷神社と鬼王権現が合体した神社のようです。
ここでは鬼を春の神とみなし節分の豆まきに「福は内、鬼は内」と唱えるそうです。
鳥居の横に、新宿区指定有形文化財の邪鬼が頭で支える水鉢」が配置されていました。 高さ1m余、安山岩でできているようです。


       神明型鳥居            邪鬼が頭上に載せている水鉢             同 餓鬼の様

        神社名碑                 境内                   和風獅子型狛犬

     拝殿前 宋風獅子型狛犬              拝殿

境内の左側には、境内社で新宿山ノ手七福神の一つ恵比寿を祀る恵比寿神社(三島神社)」がありました。
手水鉢は、手水鉢の水を柄杓ですくい左下方の紐の巻かれた石を目印に少しずつお掛け竹筒に耳を当てると、地中から弦を弾く様なかすかな響きが聞こえる水琴窟の仕掛けになっていました。


      鳥居の前に寺院名碑             明神型鳥居               水琴窟の手水鉢

        覆屋の社殿


裏参道入口に周り、西大久保富士」を拝観します。
昭和43年の社殿再建の際に左右に分断されて、小さくて登れない富士塚ながら造りは細かくアイテムが揃っており、かなり見応えがありました。 富士塚が、このように複数の塚の形になっているのは初めて見ました。
通路の右側は、溶岩が積まれている小さな塚があり、1合目〜4合目の碑がありました。
左側にも同じような2mほどの溶岩の塚があり、5合目〜9合目の碑と頂上に淺間神社の奥宮が安置されていました。




      裏参道 神明型鳥居         参道右側 鳥居前 淺間神社の石碑    屏風岩・小御岳石尊大権現・御胎内の石碑

    亀石の石碑・頂上に4合目石          一合目石・二合目石          三合目石(上部欠損)・四合目石


   参道左側 鳥居前 元十三講の石碑        南無妙法蓮華経の石碑             頂上に奥宮

      五合目石・六合目石            七合目石・八合目石           九合目石・頂上の奥宮



抜弁天通りを東へ進み、大江戸線東新宿駅を通り過ぎます。
抜弁天通りから斜めに入る文化センター通りの下り道を行きます。


   明冶通りと交差する東新宿交差点   
      大江戸線東新宿駅

        抜弁天通り            文化センター通りを下りる


西大久保富士から900mで、下り坂の高台にある「西向天神社」に赴きました。
西向の由来は本殿が西方、京都の北野天満宮の方を向いているからだそうです。
拝殿横の紅梅林に、「不動明王像」「三猿の石碑」二個の石造がありました。
隣の大聖院駐車場の一角に、新宿区指定史跡「紅皿の墓」がありました。


       明神型一之鳥居                     鳥居前 宋風獅子型狛犬
                                    弘化三年(1846)造立

        神社名碑                明神型二之鳥居               手水舎

     拝殿前 和風獅子型狛犬              拝殿
      宝暦十二年(1762)奉納

      拝殿右側の紅梅林          同 手前拡大画像 不動明王像         同 奥拡大画像 三猿駒形碑

      駐車場に紅皿の墓              同 拡大画像              東側参道 明神型鳥居

拝殿南側の少し上がったところに天神山児童遊園の広場があり、その端の柵の先に東大久保富士」がありました。
黒ボクに覆われた塚で、高さは約2mとのこと。
富士塚の北側「浅間神社の石碑」の先に、ボク石で覆われた「洞窟(胎内)」を窺い見ることができました。
帰りは境内西南の崖に面した斜面の石段を下りましたが、改めて見上げると塚は崖の斜面をボク石で覆って富士塚の延長としており、高さ約10mほどの巨大な富士塚の姿を見ることが出来ます。
疎らに、「一合目石・三合目石・五合目石・七合目石・九合目石」を確認できました。


    天神山児童遊園の脇に富士塚            一合目石                 三合目石

        五合目石                 七合目石                  九合目石

     小御岳石尊大権現の石碑           再築紀念の石碑               同行の石碑

       頂上に日之尊の石碑           浅間神社の石碑の先に洞窟             同 胎内

    裏面 小御岳石尊大権現の石碑        崖の下から富士塚を望む



来た道を抜弁天通りに戻ります。
更に進むと、都道302号線と交差する抜弁天通り交差点にでます。


      抜弁天通りに戻る      抜弁天交差点(左:抜弁天通り・右:都道302号線)


東大久保富士から260m、抜弁天通り抜弁天交差点角の「佛願山正定院専念寺」に詣でました。
浄土真宗のお寺で時々見られる古代インド様式の「本堂」でした。


        寺院門碑                正面に本堂 

      境内右側 二つの覆屋            地蔵菩薩像の覆屋              同 拡大画像

       六寺蔵像の覆屋              同 拡大画像

        境内左側                聖観音菩薩像         南無阿弥陀仏の石碑と地蔵菩薩像

         石仏群                同 大日如来像               手水鉢


抜弁天交差点を渡り専念寺から30m先の、新宿山ノ手七福神の一つ福禄寿を祀る「大久保山永福寺」に詣でました。

本堂の左側に、露座の「大日如来坐像の金銅仏(1.17m)」と「半跏趺坐の地蔵菩薩像(1.08m)」が並んで配置されています。
更に左側には、二体の「聖観音菩薩像」と「六地蔵石幢」が並んでいました。
その前に広がる広い空間の中央に、「福禄壽尊前の標柱と小堂」がありました。


        寺院門碑                 本堂

  青銅の大日如来坐像と地蔵菩薩像           同 拡大画像
 宝暦六年(1756)・嘉永六年(1853)造立

       三個の石造              同 二体の聖観音菩薩像            同 六地蔵石幢
                      元禄二年(1690)・延宝八年(1678)造立

    福禄壽尊前の標柱と小堂            同 福禄寿尊像(転写)            小堂前 手水鉢


再び抜弁天交差点を渡り50m先、都道302号線沿いの白蓮山専福寺」を覗いてみました。
ここも、古代インド様式の「本堂」でした。


        寺院門碑            境内の左側 手水鉢と寺院名碑          並んで…三体の石仏

      同 如意輪観音菩薩像             聖観音菩薩像               大日如来像
      ・正徳元年1711)造立           寛文十二年(1672)造立          宝永六年(1709)造立

         本堂


更に都道302号線沿いの細道を南下すると100mで、新宿山ノ手七福神の一つ寿老人を祀る「晴時山法善寺
が見つかりました。
「本堂」には、新宿区指定文化財「極彩色の七面明神像」が安置されているようですが拝観はできませんでした。
30cmの木像「寿老人」は、本堂脇の庫裏に安置されていました。


     寿老人の石碑と寺院名碑              題目塔                 本堂

        手水舎                 同 浄行菩薩像            
七面大明神御霊所の石碑

        庫裏                 同 拡大画像 寿老人像


都道302号線に戻ると、通りを挟んで鳥居が見えます。
抜弁天交差点を渡ります。


   都道302号線の向こうに鳥居          抜弁天交差点を渡る


法善寺から180mで、新宿山ノ手七福神の一つ弁財天を祀る「厳島神社」に着きました。
境内が南北に通り抜けができ、また義家が苦難を切り抜けた弁天社であることから、「抜弁天」として庶民から信仰されてきているとのことです。
確かに、20歩位で通り抜けできそうです。


    都道302号線側 神明型鳥居           龍吐水の手水鉢             拝殿前 神明型鳥居

         拝殿                 神明型鳥居             抜弁天通り側 神明型鳥居


抜弁天通り側の鳥居を抜けて、抜弁天通りを進みます。
抜弁天通り沿いの斜めの道を右に入ると、神社標識が目に入りました。


        抜弁天通り           横道を入ったところに神社標識



厳島神社から500mで、「出世稲荷神社」を見つけました。
神社の社殿は通常は「東向き」か「南向き」に建てられていますが、ここは「北向き」に社殿が建てられていました。


     神明型鳥居と神社名碑              拝殿                   手水鉢



抜弁天通りを南西から北東に登る緩やかな坂道「団子坂」を進みます。
若松口交差点の斜め前に、大江戸線若松河田駅が見えます。
抜弁天通りを渡り、更に進んだ先の路地を鳥居を探しながら徘徊しました。


       団子坂の標識               若松口交差点             大江戸線若松河田駅


       路地一本裏道


出世稲荷神社から500m、狭い路地の一角に火伏せの「八兵衛稲荷神社」を見つけました。
ここのご祭神は「八兵衛」(人名は珍しい)となっていて、正一位の称号が贈られた謂れがあるようです。


        明神型鳥居            火防の神八兵衛稲荷の石碑

      拝殿前 お稲荷さま               拝殿


来た道を戻り、大久保通りに交差する若松町交差点にでました。
大久保通りを右に、神楽坂方面に向かいます。
そろそろ昼食時、通り沿いのファミレスで30分の休憩をとりました。


        若松町交差点          大久保通り 原町三丁目交差点



八兵衛稲荷神社から350m進むと道路沿いに、外れクジ供養の「寶禄稲荷神社」がありました。
境内は狭く駐車場になっていてまったく趣はありませんが、外れくじの供養をすることで結果的に金運を上げるという異色の神社のようです。


        神明型鳥居              拝殿前 お稲荷さま               拝殿

     屋根の上にお稲荷さま              力石


大久保通りを進むと、通りの右奥に山門が見えました。
寺院へ向かう途中に、大江戸線牛込柳町駅がありました。



        大久保通り             通りから山門が見える           大江戸線牛込柳町駅


寶禄稲荷神社から350m進み、蓮紹山瑞光寺」に詣でました。
境内には、「妙福稲荷尊天」なる稲荷社が祀られていました。


         山門                  石灯籠                 手水鉢

        妙福稲荷尊天             本堂左側 題目塔             本堂右側 題目塔

         本堂



瑞光寺の隣に大久保通りに面して、コンクリート造りのП型寺院門の長遠山常楽寺」がありました。

コンクリートの寺院門の一部に鐘楼が配置され、モダンな感じを醸し出しています。
剣豪伊藤一刀斎の墓があるらしく、門の側面に謂れ書きが掲示されていました。
なかに進むと、マンションの一階の一画に近代的な「本堂」が組み込まれていました。


        寺院門碑                  鐘楼              一刀流ゆかりの寺の案内

         本堂                 三層の宝塔                 題目塔



常楽寺の隣に連なる石垣が、新宿山ノ手七福神の一つ大黒天を祀る「大乗山経王寺」です。
急勾配の石段を上がった直ぐに、「本堂」があります。
本堂の右斜めに、新宿区指定有形文化財の「大黒天像」を安置する「大黒堂」がありました。「大黒天像」は、度重なる火事にも焼け残ったことから「
火伏の大黒天」と呼ばれているそうです。堂内は、撮影禁止で拝観だけさせて頂きました。


      石段下 大黒天の石碑              本堂                 本堂 福寿地蔵像

      水子慈母観音像               同 拡大画像               彫刻が入った台座

        不動明王像               大黒天像                  神狐像

         大黒堂              同 大黒天像(転写)              開運大黒天の石碑



大久保通り市谷柳町交差点の辺りから、焼餅坂」と呼ばれる緩やかな坂道になります。


    大久保通り 市谷柳町交差点           柳町病院辺り               焼餅坂の標識

       牛込北町交差点            大江戸線牛込神楽坂駅


経王寺から1000mほど進むと、大江戸線牛込神楽坂駅の前に「天谷山南蔵院龍福寺」がありました。
本堂の右横に、立派な「歓喜天堂」(牛込聖天)がありました。門前に「大聖歓喜天」の石碑がありましたが、どのような縁があるのかは分かりません。


       弘法大師の石碑          寺院門碑と大聖歓喜天の石碑

         本堂               本堂前 地蔵菩薩像

       お堂前 石仏群            お堂前 和風獅子型狛犬               歓喜天堂

       境内の石仏           石碑に如意輪観音像と地蔵菩薩像           地蔵菩薩像


南蔵院の先の横通りに、大江戸線牛込神楽坂駅(新神楽坂ビル側)が見えました。
その直ぐ大久保通りの向かい側に「振袖坂」の標識が見えました。


     大江戸線牛込神楽坂駅        道路の向かい側に振袖坂の標識


大久保通りを渡り「振袖坂」の24段の石段を上ってみました。
更に大久保通りを進むと、法正寺への坂道の途中に朱の鳥居が見えました。


       振袖坂の標識             坂の上から見下ろす             坂道の途中に神社


南蔵院から100m、「繁栄稲荷神社」(岩戸稲荷神社)を見つけました。
お狐さまが金網で囲われており見づらいのですが、他のお稲荷様とちょっと違ったお顔つきで、また毛並みを表現しているかのように全体に筋目が入っています。


        神明型鳥居            金網に覆われたお稲荷さま             拝殿


更に進むと、早稲田通りと交差する神楽坂上交差点に出ました。


       神楽坂上交差点


繁栄稲荷神社から180m、交差点角に醫光山長寿院安養寺」(通称 神楽坂聖天)がありました。
境内に入ると、神楽坂聖天の名で知られる「聖天さま(大聖歓喜天)」が祀られいる「聖天堂」が面しています。
本尊の「瑠璃光薬師如来(大佛薬師如来)」は、観音堂左手に建つ2階「本堂」に安置されています。
境内には、植樹に覆われて「宝生弁財天(銭洗い弁天)」が祀られています。私も宝珠を乗せた水盤の洗心宝生水で、小銭を洗ってみました。


        寺院門碑             大久保通りに面した門碑      同 大聖歓喜天王・本尊薬師如来の門碑

         聖天堂                 本堂は二階

   宝珠を乗せた水盤の洗心宝生水        植樹に囲まれた宝生弁財天       同 拡大画像 小さな神明型鳥居

       寶生観世音菩薩像         子育地蔵尊像と出世地蔵尊像


神楽坂上交差点を渡り、賑やかな早稲田通りを行きます。
早稲田通りは、神楽坂上と神楽坂下の間が「神楽坂通り」と呼ばれています。



    安養寺より早稲田通りを望む            神楽坂通り


安養寺から140m、賑わいのある通りに面して新宿山ノ手七福神の一つ毘沙門天を祀る「鎮護山善国寺」がありました。
「本堂(毘沙門堂)」に祀られている新宿区指定有形文化財の「毘沙門天像」は、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれてきたそうです。
本堂の前には、新宿区指定有形民俗文化財の「石虎」が狛虎として鎮座していました。


         山門                   本堂                毘沙門天の石碑  
     
         堂内               同 毘沙門天像(転載)


      本殿前 阿吽の石虎            同 左側台座 虎の彫刻           同 右側台座 虎の彫刻

     嘉永元年(1848)奉納

        手水舎                同 勢至観音菩薩像             手水舎横 小社

       境内右側に宝塔              同 拡大画像              駐車場 家畜慰霊碑


喧騒の神楽坂通りを避け、花街風情を求めて横道を歩きました。


       老舗割烹「加賀」            通りから神社が見えた


善国寺から280m、源頼朝が戦勝祈願を行い見事に勝利したといわれる出世祈願の神楽坂若宮八幡神社」がありました。
江戸時代は神楽坂の中心は若宮神社だったとも言われています。
若宮神社の「神楽」の音が坂に響き渡っていたことから、「神楽坂」と言われるようになったと言われています。


        明神型鳥居               和風獅子型狛犬               手水舎

         拝殿              境内社 長喜火防稲荷神社


鳥居の横の道を進むと「若宮公園
が見えました。この辺りは江戸時代には武家屋敷中心の町だったことから、武家屋敷をイメージし冠木門・瓦葺の門・漆喰塀・瓦葺屋根を持つ四阿などが設置されているようです。
若宮公園を右に進むと、東京理科大学が運営する「近代科学資料館」を通り外堀通りに出ました。 



      若宮公園が見える             公園北側 冠木門              公園東側 瓦葺門

       近代科学資料館           東京理科大学前の外堀通り


外堀通りを左に進み、早稲田通りと交差する神楽坂下交差点に出ました。
神楽坂若宮八幡神社から
350m、予定の14時に今回の終着点有楽町線飯田橋駅に到着しました。


       神楽坂下交差点             有楽町線飯田橋駅




今回の歩行は約6.7Kmでしたが、そのほとんどは抜弁天通りの鬼王神社前から大久保通りの神楽坂上まで、大江戸線の上を歩いてきたわけです。
この間、東新宿・若松河田・牛込柳町・牛込神楽坂と4つの駅も見てきました。
目的の「七福神巡り」「富士塚巡り」のほか、「江戸六地蔵・塩かけ地蔵(太宗寺)」「村田整a作の唐獅子像(花園神社)」「石虎(善国寺)」などを拝観することができ充実した一日でした。
新春の新宿・神楽坂の喧騒を味わい、活気を得た感じがします。