所沢道石仏巡り |
所沢道は、青梅街道・中野村追分(東京都中野区中野鍋屋横付近)と所沢(埼玉県所沢市)を結んでいた古道です。 今回は、前回巡り終えた「禅定院」(2004年1月)から16年振りに「大鷲神社」の先「杉並区本天沼一丁目」辺りまで石仏を訪ねて巡ってみたいと思います。 所沢道は、杉並区本天沼二丁目交差点までは旧早稲田通り(都道25号線)で、その先は早稲田通り(都道25号線)となります。 13時15分、桜満開の禅定院をスタートします。 まず、禅定院先の豊島橋交差点を右折し南東へ向かいます。 今年2月頃から始まった「新型コロナ騒動」も佳境に入り、人出は少ないです。 ![]() ![]() 禅定院 豊島橋交差点 石神井川に架かる豊島橋をわたり、クリーニング店の角を左折します。 暫く東へ進むと、駐車スペースの一角に小さな小舎が見えます。 ![]() ![]() ![]() 豊島橋 石神井川 クリーニング店の角を左折 ![]() ![]() 東へ進む 駐車の後ろに小舎 駐車スペースの一角に、「小社」があり、素朴な「お地蔵さん」が祀られていました。 ![]() ![]() 小舎 同 お地蔵様 再び所沢道へ戻り、直ぐの二股路を左へ進みます。 ![]() ![]() ![]() 二股路を左へ 下石神井三丁目交差点 南田中四丁目交差点 南田中四丁目交差点を右折し西へ向かうと、大樹の袂に「小祠」が祀られていました。 ![]() ![]() ![]() 樹の袂に小祠 明神型鳥居 小祠 旧早稲田通りに戻り、更に進むと環八通り(都道311号線)に出ました。 大きな通りを渡り更に進むと、直ぐ千川通り(都道439号線)です。 ここからは練馬区⇒杉並区となります。 ![]() ![]() ![]() 環八通りとの交差点 環八通りのグリーンベルト 環八通り左の路が旧早稲田通り ![]() ![]() ![]() 千川通りとの交差点 千川通り 八成小学校北交差点 八成小学校北交差点の先に、「上井草二丁目の民間信仰石塔」がありました。 お堂の中には、剥落が激しい「文字庚申塔」と「聖観音菩薩像」が安置されています。 更に敷地内には、「猿田彦神社の碑」「馬頭観世音の碑」がありました。 敷地の外に「道しるべの石柱」があり、「〇〇道/是ヨリ〇〇丁××」の陰刻がみられました。 ![]() ![]() ![]() 通りにお堂 民間信仰石塔のお堂 同 庚申塔・聖観音菩薩像 享保七年(1722)・寛延二年(1749) 造立 ![]() ![]() ![]() 猿田彦神社の碑 馬頭観世音の碑 道しるべ石柱 新青梅街道(都道440号線)と交差する井草二丁目交差点を直進し、更に南東に進みます。 ![]() ![]() ![]() 井草二丁目交差点 旧早稲田道り/新青梅街道の標識 左が新青梅街道・旧早稲田道りは直進 セブンイレブン前の信号の斜め前に、「井草二丁目の地蔵堂」がありました。 お堂には、四体の石仏が祀られています。 地蔵堂 更に離れて、もう一基石柱がありましたが判読はできません。 ![]() ![]() ![]() 信号の先に地蔵堂 地蔵堂 四体の石仏 ![]() ![]() ![]() 同 (不明) 同 地蔵菩薩像 同 地蔵菩薩像 ![]() ![]() ![]() 同 馬頭観音像 弘法大師の石碑と左側面の道標 判読不可の石柱 安永五年(1776) 造立 文政十一年(1828) 造立 暫らく進むと、右側の横道にお堂が見えます。 ![]() ![]() ![]() 井草二丁目辺り 右の角を右折 お堂が見える 三宝寺の境外仏堂「井草観音堂」です。 お堂の中には、杉並区登録有形民俗文化財の通称井草観音と呼ばれている「如意輪観音像」と「地蔵菩薩像」二基の石仏が祀られています。 ![]() ![]() 手水舎 井草観音堂 ![]() ![]() 同 堂宇内 二基の石仏 同 如意輪観音像・地蔵菩薩像 寛文七年(1667) 造立 少し進むと、西武新宿線の踏切に出ます。 下井草駅を横目に見て更に進みます。 ![]() ![]() 井草一丁目辺り 西武新宿線踏切 ![]() ![]() ![]() 西武新宿線下井草駅ホーム 下井草駅南口 信号を左折 信号手前の狭い空間に、ひっそりと「三峰神社」がありました。 ![]() ![]() 神明型鳥居と神社名碑 社殿 信号を左折し、直ぐのユニクロ前の信号を右折します。 ![]() ユニクロ前の信号 南下する感じで進むと、マンションの角に「井草二丁目の庚申塔」がありました。 お堂には、沢山の千羽鶴と共に「青面金剛像の庚申塔」が祀られています。 ![]() ![]() ![]() マンションの角にお堂 庚申塔のお堂 同 青面金剛像の庚申塔 更に進むと、銀杏稲荷公園前交差点に出ました。 ![]() ![]() ![]() 下井草二丁目交差点 銀杏稲荷公園前交差点 銀杏稲荷公園 銀杏公園横の住宅の奥に「銀杏稲荷神社」の鳥居が見えました。 かっては200坪の境内のようでしたが、今では宅地化されて社殿を残すのみとなっていました。 ![]() 住宅の奥に神社 ![]() ![]() ![]() 明神型鳥居 社殿 神狐像 更に南へ進むと、「妙正寺川」に出ました。 妙正寺川を西へ辿ると、今年2月に巡ったばかりの妙正寺公園に行きつきます。 妙正寺川に架かる橋を渡ってすぐの路を左折します。 ![]() ![]() ![]() 妙正寺川に架かる橋 妙正寺川 渡ってすぐ左折 通りに面してピンク色のアパートのような「生楽寺」がありました。 更に町内を⊂字に回り込むと、住宅の角に「下井草二丁目の地蔵堂」がありました。 中に納まっているのは何故か「愛染明王像」のようです。 ![]() ![]() 生楽寺 朱の参道(階段) ![]() ![]() ![]() 住宅の角にお堂 地蔵堂 同 拡大画像 ![]() ![]() 同 愛染明王像 同 拡大画像 本天沼二丁目交差点を右折し、一旦所沢道を離れ早稲田通り(都道438号線)を西へ進みます。 旧早稲田通り(所沢道)は、ここ本天沼二丁目交差点で早稲田通りになります。 東へ向かう早稲田通り(都道25号線)が所沢道です。 ![]() ![]() 本天沼二丁目交差点 早稲田通り 早稲田通り 日向橋バス停前に「本天沼二丁目の地蔵堂」がありました。 お堂には、「庚申講中の碑」が祀られています。 ![]() ![]() ![]() バス停前にお堂 地蔵堂 同 庚申講中の石碑 元禄六年(1693) 造立 本天沼二丁目交差点に戻り、南に向かう脇道を進みます。 ![]() ![]() 本天沼二丁目交差点 脇道を往く ブロック塀に隠れて「稲荷神社」がありました。 ![]() ![]() ![]() ブロック塀の向こうに神社 明神型鳥居 社殿 更に、南へ進み突き当りを右折し南西に向かいます。 大沼児童公園の南西角にお堂が見えました。 ![]() ![]() ![]() 突き当りを右折 大沼児童公園 南西の角にお堂 一度も交通事故が起きたことのない四差路のお地蔵さん「意安地蔵尊のお堂」がありました。 お堂には「地蔵菩薩像」が祀られています。 ![]() ![]() ![]() 地蔵堂 意安地蔵尊のお堂 同 地蔵菩薩像 享保二年(1717) 造立 北東へ早稲田通り(都道25号線)=所沢道に戻ります。 ![]() 早稲田通りへ戻る 通りの向こうに「大鷲神社」の鳥居が見えます。 ![]() ![]() ![]() 通りの向こうに鳥居 神明型鳥居 社殿 本天沼一丁目交差点の次の角を右折し、南西に向かいます。 ![]() ![]() 本天沼一丁目交差点 路地を往く 住宅の駐車場横のスペースに、無造作に「青面金剛像の庚申塔」が祀られていました。 ![]() ![]() 駐車脇に青面金剛像の庚申塔 同 拡大画像 所沢道(この先は早稲田通り)はまだまだ続きますが、体力的に今回はここまでとします。 ![]() 所沢道(早稲田通り) 下井草一丁目辺り 5月の陽気(20℃超)に誘われて、快適に4,500mの所沢道を歩きました。 新型コロナ感染騒ぎのため、旅行・テニス・スポーツジム通いなどを自粛せざるを得なく、いささかストレスが溜まっていましたのでかなり発散した気がします。 ![]() |